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日本は太平洋戦争を回避できたのでしょうか?回避出来ていれば、330万人も死なずに済んだと思いますが、

A 回答 (22件中1~10件)

中国から引けば、燃料の輸入を止められなかったので、戦争は止めれたと思います。



少なくとも南京虐殺を日本政府はあった事は認めているので、アジア開放の精神とは反していた。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2024/05/03 08:20

どうでしょうね・・・・



確かに中国大陸(と園周辺)から兵力撤退を行えば、禁輸制裁を受けることは無かっただろうから開戦決断に至ることは無かったかも知れない

だけど、独ソ戦の進展状況によって対中国ではなく対ソ連という方向に軍の関心が向けられる可能性も有ったかも知れないし
そもそも満州進出も日本国内にあふれる人口(労働力)と貧困問題の解決策としてだから、国内の不安定化が進めばやっぱり外に打って出るしかない

という感じだったんじゃないかな・・・・

軍部>政府という力関係のママで、日本社会の構造変革が起きる可能性もないので、今の北朝鮮や中国のような国家体制(異質な国)として生きながらえることができたとしても
それ誰にとっての幸せか?って話だし
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2024/05/03 10:42

>日本は太平洋戦争を回避できたのでしょうか?



太平洋戦争を回避することは不可能ではなかったですが、あの当時「戦争」を回避することは困難でした。なので330万人よりも多い犠牲が出た可能性だってあります。

まずハルノートを受け入れて日本が満州権益を手放すとなると、他の方も書いているように日本の貧困問題を別の方法で解決する必要がでてきます。

また満州権益を日本が手放すとそこに入り込むのは間違いなくソ連で、ソ連が朝鮮国境までくればそれはそれで間違いなく戦争になります。

つまり日本としては「満州国は放棄するけど、結局また満州地域まで軍事的に進出する」ことになるわけです。

また日本が満州を放棄した場合、満州(つまり中国東北部)にソ連が入り込むのを中国は黙ってみていないです。でも当時はすでに清朝がなく八路軍や国民党軍などが入り乱れて内戦状態でしたから、ソ連は北京などまで進出するかもしれません。

そうなると今度はソ連に対して欧米列強がABCD包囲網を敷くことになり、結局盧溝橋あたりで戦乱になります。

その時に日本がどこと組んで参戦するか?によって犠牲者の数は変わるでしょう。

「太平洋戦争をしなければ330万人犠牲がでなかった」というのはその通りですが、歴史にifをつけるなら「とはいえ、帝国主義の時代は軍事力で勝負がつくので、もっと犠牲が増えた可能性もある」です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。戦争しなかった場合、今の日本では確実にありませんね。

お礼日時:2024/05/03 10:45

そもそもの話、戦争をしたかったのはアメリカ。

非戦を掲げて当選した大統領にとっては、どうしてもヨーロッパの戦いに参入する口実が欲しかった。それにはドイツと同盟を組んでいる日本と戦争になるしかない。実際日本なら簡単に勝てるし、という考えだったといわれています。したがって、たとえ中国大陸から撤兵して南洋からも手を引いても、何らかの言いがかりをつけてくる可能性は高かったはず。だとすると結局回避はできなかったのかなと思います。まあ中国大陸から撤兵して南洋から手を引いたら内乱が起きて日本は自壊したかもしれませんけどね。ちなみに南京虐殺は開戦とは何の関係もない話でしょう。
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この回答へのお礼

アメリカに戦争に負けてこれまで色々指図されて来た日本ですが、曲がりなりにも平和と繁栄を享受できた方ですかね。

お礼日時:2024/05/03 10:50

軍は、日清、日露で勝利して、「神州不滅」と本気で思っていたのですよ。



そういう軍が支配する政権ですから、太平洋戦争は回避できません。
どのような大義名分でも作り上げて戦争に突入です。

330万人の死は結果論です。

まあ、軍は「日本は絶対負けない、カミカゼが吹く」と思っていたわけですから、降伏のタイミングを間違えて、死者が増えてしまったのは事実です。
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この回答へのお礼

軍部が政治家たちが戦争を欲していたと言うより1番戦争に前向きだったのは日本国民だったかもですね。

お礼日時:2024/05/03 10:53

大日本帝国は、勤皇の志士と呼ばれたテロリストが建立した国なので、


建国以来、戦争、戦争の連続でした。
主権は天皇に在り、陸海軍の統帥権も天皇でしたが、大本営は、これを
無視して暴走を重ねました、御前会議は事後承諾の場となっていました。
民間で異を唱える人がいれば暗殺もしくは刑務所送りに成りました。
国会議員、文化人や新聞のマスコミも黙まり成りました。

国民の半数以上が一等国に成るの美名の元に指示していました。
隣組の町内会組織や婦人連合会は、異を唱える者を非国民として、
特高に告発(チクリ)して居ました、小説家志望の女学生だった
私の母は、与謝野晶子の「乱れ髪」を読んでいると通報され、特高に
引っ張られました。
大本営の戦争遂行を止める事は誰も出来ない状態・情況だったのです。

1947年5月3日に日本国憲法が公布されて、大日本帝国は滅亡しました。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2024/05/03 11:13

太平洋戦争とは、1941年12月8日に大日本帝国海軍がハワイ真珠湾のアメリカ海軍太平洋艦隊基地を攻撃して以後の日米戦争をいいます。



なぜ日本海軍が米海軍太平洋軍基地を攻撃したかといえば、攻撃前の同年8月1日 に米国が対日石油禁輸措置を発し、日本軍の東南アジア侵攻を阻止しようとしたからです。

では、なぜ日本軍は東南アジア諸国への侵攻を図ったのか。
豊富な石油資源があったからです。
石油は産業近代化、殖産興業の要でした。

どうして侵攻しなければ石油を得られなかったのか。
英仏蘭各国の植民地として抑えられていて日本が権益を得られなかったのです。
そこで、「アジアにおける欧米列強の植民地からの解放」という大義を掲げ、「大東亜共栄圏」という看板を打ち立て、侵攻を正当化したのです。

それより前、満州事変に対するリットン調査団の介入で中国東北部への支配を妨害されたことも欧米に対する敵意を醸成していたものと思われます。
この満州事変は、世界恐慌に続く昭和恐慌による経済的苦境を打破するために中国に対する権益拡張を図ったことによります。

国内政治としては、1932年(昭和7年)2月9日血盟団事件、5月15日五・一五事件、1936年(昭和11年)2月26日 二・二六事件という軍の一派の暴走によるクーデター未遂がむしろ軍部の政治権力を強化し、軍による国政支配から軍部独裁に至り、太平洋戦争に続く「帝国主義国家」という体制が固まったことが太平洋戦争へと進む政治の流れを作ったと言えます。

せっかく大正デモクラシーという民主的で文化的な繚乱の時代を経ながら、それが国民の意識とは乖離した「下賜」の意識が根強く、政治の暴走を留める国民意識には繋がらなかったのでしょう。

というように、様々な背景、前段となる歴史の結果ですから、回避となるとどの段階で、という気がします。
もしかすると、どの段階でも可能であったのかもしれませんが、その意思を明確に持てる人が少なかったのだと思います。
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この回答へのお礼

2024年の平和な時代に、戦争止めれましたか?などとふざけた質問してる訳で、そんな事あの時代に口に出そうものなら命も危なかったかもですね。時代のウネリに何人も巻き込まれて止めるなんてとんでもなかったですかね。

お礼日時:2024/05/03 12:24

回避できなかったから、開戦したのです。

 歴史の事実として確定しています。
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この回答へのお礼

歴史は結果ですが、その結果に至るプロセスで何か施策はなかったかが私の質問です。ありがとう

お礼日時:2024/05/03 12:26

今さら言うまでもありませんが、歴史に「もしも(if)」が無いのは、普遍的な常識です。

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この回答へのお礼

歴史は普遍的です。敢えてもしを付けて聞いてます。可能性としてどうだったのだろうの問いですよ。そこを理解さしてくださいね。

お礼日時:2024/05/03 13:58

No7さんが言われた「大東亜共栄圏」の勢力図


植民地を奪われた(大日本帝国によって独立された)アメリカが
大東亜共栄圏の勢力に危機感を強め日本への石油の輸出を禁止した。
これが大東亜戦争(後に太平洋戦争と言わされた)のきっかけで
売られた喧嘩を買っただけなのだから回避は困難でした。
戦争しなければ、アジアの殆どの国は欧米の植民地となっていたでしょう。
「日本は太平洋戦争を回避できたのでしょうか」の回答画像10
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2024/05/04 09:53

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