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今中国の後漢時代~三国時代終焉までの爵位について勉強しているのですが、いまいちよく分かりません。

「王」皇族のみ叙任され複数のあるいは一つの県を支配していた。
「公」臣下が叙任され複数あるいは一つの県を支配していた。
「候」臣下が叙任され一つの県あるいは郡を支配していた。
「君」ただの称号。
私はこんな風に理解していますが、違いましたら正しいことを教えてください。

A 回答 (3件)

漢代の爵位は二十あり、王、公、それに○○侯といった地名を冠した侯は『列侯』という一番上の爵位の中に含まれます。



王は基本的に皇族だけです。
侯には県侯、郷侯、亭侯などがありそれぞれ封国の範囲が異なります。
公は前漢時代にはあまり使われず、もともと普通の侯より上で王より下的な、やや特殊な地位だったと思われます。これも郡公、県公などがあります。

列侯は郡や県そのものの支配権を持つわけではなく、「封国」として与えられます。範囲は様々です。小さい公より大きい侯のほうが戸数が多いということはありえます。その封国から上がってくる税のうち「租」という田畑や果樹、魚や商売の税をもらえますが、行政や軍事に関わる権利はありません。統治は中央から送られてくる「相」が行います。

時代によっても変わるので一概には言えませんが、おおまかにはこのようだったと思います。
それから、「侯」と「候」は別の漢字なので注意してくださいね。

参考URL:http://www5c.biglobe.ne.jp/~beam/log/whkanngi01. …
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この回答へのお礼

お礼が遅くなって申し訳ありません。
「候」ではなく「侯」なんですね。お恥ずかしい…。
詳しい説明&参考URLありがとうございました。

お礼日時:2005/05/24 01:37

こんにちわ。



曹操は皇族(娘を献帝に嫁がせているので皇族と言えば皇族か・・・。)ではありませんが、「魏王」だった気がします。「漢」の中に「魏」と言う国を作ったので、その魏の王ですね。

後漢最後の皇帝献帝は、退位後に「山陽候」に封じられてます。

「王」「公」「候」などは名誉的な称号で、土地の直接的な支配を意味するものではないでしょう。

土地の支配は皇帝を頂点としたピラミッドがきちんと確立しており、州・郡・県には中央政府から役人が派遣(任命)されて、彼らがその土地を支配しているはずです。


しかしながら、封じられた土地から上がる税の中からいくらかは「生活費」が回されているのではないかと思います。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなって申し訳ありません。
王などは称号で、支配していたのは中央役人なんですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2005/05/24 01:35

 質問がはっきりしないのですが、郡と県の関係について、現在の日本では、県の中にいくつかの郡がありますが、前漢では一番大きな行政区画は郡で「県は郡の下にある行政区画」です。

そして、郡は皇帝直属、臣下・皇族が封土として郡をもらった場合は、王と呼ばれました(郡国制)。
 しかし、王の力が強くなりすぎ乱の元となったので、全ての郡は皇帝直属となり(郡県制)ましたので、王・公は封土とは繋がりがなくなりました。

 後漢が衰えて以後、群雄割拠の時代となって、広い地域を支配した者が王を自称したり、皇帝が広い地域を実効支配している者を味方にするため叙任(実際以上の格の爵位を与えることも多い)したりして、爵位はあまり規則性がなくなってしまいます。
 
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この回答へのお礼

お礼が遅くなって申し訳ありません。
中国では県が郡より小さいのですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2005/05/24 01:29

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