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昔は僧が医師や看護師の役割を担っていたと習ったのですが
僧医と看護僧ではやってたことなどは違うのでしょうか?
また僧医などとして有名な僧はどのような人がいますか?

A 回答 (3件)

 失礼しました。

「療病院」の誤記でした。聖徳太子が四天王寺建立の際に「施薬院(薬草栽培と投薬所)、療病院(病人の治療所)、悲田院(孤児・貧者の収容所)、敬田院(学問所)」を設けたといわれます。ただし公的な病院・治療施設で、史実として確実な最古のものは養老7年(723)、光明皇后により興福寺に建立された施薬院・悲田院です。
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この回答へのお礼

ありがとうございました、とても役に立ちました☆

お礼日時:2005/06/09 18:34

 インド仏教の時代より「看病」は修行の一つとして重視されていました。


 日本では奈良時代、仏教が興隆するにつれて、仏教とともに支那の医学・薬学の知識も導入されました。さらには仏教の慈悲の精神に基づく「菩薩行(他者の救済)」のひとつとして、大寺院では施薬院(せやくいん)・施病院(せびょういん)が建立されました。これは薬草の栽培や投薬・入浴などの活動が行われました。
 これらの伝統を受け、中世期では聖(ひじり/諸国を巡り、布教や寄付をつのる僧侶)や修験者が、薬品・薬草の販売を行っています。現在でも大峰・高野山・当麻寺(奈良県)・石鎚山などの“陀羅尼助”や、富山(立山修験の影響下)の「反魂丹」・木曽御嶽の「神薬」など霊山・霊場で販売されています。
 また「喫茶」の風習も投薬としての面があり、空也上人が大福茶を病人に与えた故事(現在でも六波羅蜜寺<京都市>では行事として残っています)、また栄西禅師は『喫茶養生記』で茶の薬効を著しています。

 また各地の温泉伝説に行基菩薩・弘法大師 空海・慈覚大師 円仁などの名前が挙がるのも、宗教者が温泉治療にかかわっていたことが、伝説化したものと考えられます。

 さらには三昧堂(さんまいどう)と呼ばれる堂宇の建立です。本来は読経・念仏などを不断に行う修行道場でしたが、そこから転じて滅罪と鎮魂を祈る場所となり、病人はそこで看病され治る病人は治るし、治らぬ病人は必ず浄土に往生するという信仰が生まれました。

 医療にかかわった宗教者で有名なのは、仏教に帰依した聖武天皇の后妃・光明皇后が施浴場を設け(現在の法華寺<奈良市>)、自ら仙人の体を洗ったという話があります。
【光明皇后の施浴】http://www5.ocn.ne.jp/~ukiyo26/yuya16.html

 鎌倉期では西大寺(奈良市)中興・真言律開祖の興正菩薩 叡尊と、その弟子で、極楽寺(鎌倉市)開山の忍性菩薩の救癩活動が有名です。
【叡尊】
http://www.tabiken.com/history/doc/C/C027L200.HTM
【忍性】
http://www.tabiken.com/history/doc/O/O097L200.HTM


なお、江戸期までは正規の医師は僧形でした。

この回答への補足

すみません
施病院とはどういう意味でしょうか?
施薬院はわかったのですが…

補足日時:2005/06/07 20:46
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この回答へのお礼

解答ありがとうございました
すごく細かく説明していただき嬉しかったです

お礼日時:2005/06/05 20:26

昔の僧医は知りませんが、先日の日本テレビの「ドキュメント」は京都の僧医でした。


京大を出て僧侶になったひとで、病院に僧侶が入ることが許されないなら、じぶんが医師になろうと医師をめざしたひとです。仏教界が学費カンパなどをしてバックアップ、無事医師に合格、いまはインターンです。どこでも希望があれば個人宅にも説教に赴き、番組では、麻痺で寝たきりの婦人に気さくに説教されている姿が印象的でした。お名前は覚えていませんが、現在の僧医はこのひとだけではないでしょうか。
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この回答へのお礼

解答ありがとうございました
現在にも僧医はいらっしゃるんですね
参考になりました

お礼日時:2005/06/05 20:27

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