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 「経済発展とともに所得構成比でみた第二次産業の比重が増加するが、特に、製造業の比重が増加する。」

「さらに、製造業の内部においても構造が変化している。日本における工業構造の変化は、素材型工業から加工工業への動きである。」

 この現象を日本において説明してほしいんですけど、どちらかでもいいので、どなたか分かる方おねがいします。

A 回答 (2件)

>この現象を日本において説明してほしいんですけど



の意味が、
A:易しくかみくだいて説明して欲しいのか、
B:なぜそうなるのか、説明して欲しいのか
がはっきりしませんが、2番目について”説明”しますと、

A:素材型産業とは、製鉄とか石油化学のように、最終製品の原料となるものを生産する産業、加工工業とは、自動車、電機・電子産業のように、それらの原料を使って最終製品を作る産業を言います。まず現象としては、前者から後者へ中核産業が移ってきます。

B:何故か?この説明はちょっと難しいですが、ぼくはこう考えています。
素材産業は装置産業、つまり大規模設備で自動的に作ってしまうため、欧米からの技術の導入がやさしかったのに比べ、加工産業は、人手が介在する上、製品技術が高度なので、技術導入が難しい。人手には学習効果を出す訓練が必要ですし、製品技術では、例えば話題になったのはCDの読みとり技術で、これをアジアの発展途上国に移管してよいものかが問題になりましたが、こうした高度な製品技術が伴うため、時代的に遅れるのではないたと思ってます。

1番目は農業から工業への移行なので、大体解るでしょう?!
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この回答へのお礼

 説明不足で失礼いたいました。とても分かりやすく即答ありがとうございました。

お礼日時:2001/10/08 15:41

 まず第1のご質問


 日本経済の発展期は、明治期の産業革命(主に製糸業においての機械化と日清・日露戦争での特需による鉄鋼業、造船業の発展)に始まり、農村の寄生地主による支配化(小作農の増加→生活苦→出稼ぎ・副業化)が進み、賃金労働者が都市に流出していきます。(第1次産業→第2次産業への人口移動)
 第2のご質問
 明治~昭和初期の産業は上記のように軍事産業での内需型で輸出力は脆弱でした。輸出品の主体は軽工業である製糸業・繊維業の製品群(絹糸、絹布、綿糸、綿布等)で貿易収支は完全に赤字の状態です。
 戦後の産業復興において重化学産業中心の産業が発達し、1970年頃から高度経済成長期に入るわけです。ここでは、資源のない日本が貿易上で利益を上げるためにそれまでの1次産品を中心にした輸出品(単価が安い)でなく、原材料を輸入し高い技術で加工して製品として輸出するようになります。明治期から世界水準であった造船業で言いますと、鉄鉱石(鋼材)を輸入し、それまで軍艦を建造していた技術で大型船を輸出する様になるわけです。実際に戦後しばらくは造船業は日本の主力輸出産業でもありました。
 前置きが長くなりましたが、資源の乏しい日本の産業発展には加工型産業に移行するしか生き残りの道がなかったことが最大の原因でしょう。(中継貿易)

 ざっと歴史的に概観したつもりですが、不明なところは高校の日本史、政治・経済の教科書でも確認できると思いますので、お手元にありましたら読んでみるといいでしょう。
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この回答へのお礼

 この課題を読んでみてもぜんぜん意味不明なおばかな私に丁寧に説明していただきありがとうございました。がんばって本などで勉強してみるようがんばります。

お礼日時:2001/10/08 15:46

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