「一気に最後まで読んだ」本、教えて下さい!

アフガニスタンでの今回の紛争を見て、キリスト教やイスラム教の信仰心を新ため
て感じました。
そこでなのですが、日本人は
12月にはキリスト教のクリスマスを楽しみ、
1月には神教の神社に初詣
8月には仏教のお盆で休暇をとります。
また、日本のすべての宗教人口を合わせると各宗教団体の大本営発表もあるのかも
しれませんが2億人を超え、一人につき二つの宗教に入信していることになりま
す。上記のことを考えるとよく言えば日本人は宗教に寛容、悪く言えば、
宗教心が薄いという感じをうけます。
なぜ日本人にこのような国民性が形成されたのでしょうか?
どうかご教授ください。。

A 回答 (12件中1~10件)

日本人がもともと多神教であったことは疑うべくもありません。

日本神話をたどっても、やたらにたくさん神様が出てきます。

で、身の回りにある自然の造形物全てに「神様」を見出してしまいました。キリストのように、唯一絶対でないにせよ、何せ神様ですので、人々は、身の回りすべてのものをあがめ、大切にし、感謝するという国民性の基盤は、ここに生まれたのではないかと思います。

でも、それだけで癒されるほど、人間は心が高尚ではありません。苦しいとき、何かに救いを求めるものです。
日本に導入された仏教は、哲学のみの仏教ではなく、偶像崇拝的な要素も兼ね持ったものでした。そして、お経さえ唱えれば救われるといった宗派も誕生しました。これらの流れから、もう一つの日本人の宗教観、他力本願、救いを求める、というものが生まれたのだと思います。

ここまでお読みいただいてわかる通り、日本の宗教観には、「唯一絶対」が存在せず、他を排除する発想があまり強くありません。(宗教家の間では、もちろんあるのですが)そして、有り難そうなものならばなんでも神様にしてしまうので、海外から入ったものであろうがなんであろうが、すんなりと受け入れてしまう。宗教間に食い違いがあったり、矛盾があったりしても、「まあ、まあ、お互いに神様なんだし。」と、穏便に済ましてしまおうとします。

そして、多くの場合、その宗教は、信仰者にとって「生き方を求める」哲学的なものではありません。尊敬すべき他者であり、救いの手を差し伸べてくれる存在なのです。守られて、自然と共生する国民の宗教観です。

そう考えると、日本人の信仰心には深いものがあると思いませんか?もう何千年の昔から、草花に、山に、太陽に神様を見出し、「ケガレた」と思ったら「キヨメ」ようとし、いつも救いの手を求めているのです。

自分だけの力で切り開いて生きていかなければならない民族だったら、こうはいかないでしょう。最後の最後に味方してくれるたった一人の信じられるもの=唯一神に信仰が向いていくのも当然です。
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この回答へのお礼

やはり多神教であるのが、ポイントのようですね。
ご回答ありがとうございました

お礼日時:2001/10/12 00:35

 こんにちは。



 日本人がいろいろな宗教に対して寛容なのは
「他の宗教の人にヒドい目に遭わされた事があまりない」
からではないでしょうか。
第2次大戦の敗北にしても「キリスト教に負けた」
という様な意識はあまりないと思います。

 日本人が1つの宗教に固執しないのは、決して悪い事ではないと思います。
いろいろな宗教の良い所を取り入れていけばよいのではないでしょうか。
(節操がない、と言われるかも知れませんが)

 1つの宗教に傾倒し過ぎると、どうしても対立が起こります。
宗教とは、自分自身をより良くする為、世の中をより良くする為に存在する
と私は思っていますが、その宗教の違いの為に、人や国が争うのは大変愚かな事です。
「聖地がどこの国のものか」とかそんな事は、どうでもいい事だと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
そうですね、やはり政治と宗教がリンクしているということは
とても危うい事だと今回も思いました。
日本は21世紀になり再び深刻になろうとしている悩みを持たないという
とても幸せな国なのかもしれませんね。

お礼日時:2001/10/12 00:50

日本でもしばらく前は仏教、神道を多くの国民が信じていました。


現在のように無宗教になったのは太平洋戦争で負けたことが、大きな転機になりました。言うまでもなく、あの戦争は天皇を中心とした神道が精神的な推進力となり、仏教もそれを後押しする形になりました。敗戦後、アメリカの豊かさとともにキリスト教が上陸します。GHQは戦争の責任を神道にあるとし、これを封じ、仏教は葬式専門となり人を導くことをしなくなりました。それまで信じていた心のよりどころが崩壊したのです。かといって、今まで敵対していた敵国の宗教を信じるには抵抗があります。結局、どの宗教も国民の支持を完全に持つことはできませんでした。特に、神道と戦争の忌まわしい結びつきは宗教の持つ危険性を、身をもって体験したのですから、宗教すべてにわたって「触らぬ神に・・」という考えを持つのも理解できます。それでも、大晦日や初詣などは慣習として残りました。クリスマスも宗教的な意味合いよりはお祭りとして見られているのが現状です。バレンタインデーなどはまさしくそうです。
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この回答へのお礼

太平洋戦争に宗教がからんでいたとは少しも知りませんでした。
ご教授ありがとうございました。参考になりました

お礼日時:2001/10/12 00:46

まず日本の食料事情と諸外国の食糧事情を考えてみてください。



日本は.平安時代頃は.比較的食料がありました。稲作については課税対象となりますが.山に入ってしまえば.天皇の支配を逃れて自由に食料をえられました。食糧の供給に限れば特定の支配者に従うよりも.天候に支配される日々です。

イスラム教諸国・キリスト教諸国ともに.地中海沿岸諸国が発祥の地であり.食料のほとんどない不毛な砂漠と水のほとんどないサバンナの生活.あるいは.道に迷ったならば即死を意味するヨーロッパの森.食料はほとんどない針葉樹の森です。このような地区では.一人の天才的指導者が現れれば大量の食料を得られますが.指導者が悪いと集落全体の死を意味します。特に牧畜を主体とするサバンナや砂漠での生活は.指導者に逆らうことが即死を意味します。

ということで.特定の指導者に盲目的に従うことがイスラム教国やキリスト教国での生活です。

ということで.特定の支配者に盲目的に従うことを目的としたイスラム教・キリスト教(とこれを模倣した最近の新興宗教)における信仰と.季節天候に従い比較的自由にできた日本の宗教(極端な言い方をすれば.空を見て季節の変わり目と天候さえ予測できれば.優秀な指導者となる)の違いでしょう。少し位指導者に逆らっても(たとえばちょうさん)食い物には困らないのが日本の生活です。

参考として.武力をもっとも持っている国は狩猟(放牧)民族であり.武力の少ない国は農耕を主体とする国です。
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この回答へのお礼

そうですね、狩猟民族と農耕民族では国民性に大きく違いがあるように
思います。宗教とその関連性からのご意見はとても分かりやすかった
です。ありがとうございました

お礼日時:2001/10/12 00:42

 日本人にはなぜ宗教意識が薄いかとのことで、ほんとにただの凡人、素人の意見ですけど自分の考えを書いてみたいと思います。


 まず第一に仏教というのがネックだと思います。なぜ仏教がかというと仏教は高度すぎるのだと思います。かの昔ゴータマシッタールタ(だったかな?)さんが悟った哲学なのですが、正直どのような考えなのか完全に分かっている方は少ないと思います。というか、完全に分かっていたらその人は涅槃の境地に達していて輪廻の鎖を断ち切って解脱しているということみたいです。撲には輪廻を脱するとどんなふうなのかも涅槃の境地がどういうものなのかも分かりませんし、分かる努力をする勇気も起こりません・・・・一生がかりなので。
 仏教はキリスト教やユダヤ教、イスラム教の旧新約聖書やコーランのように明確な教えがあるわけでもなく、ひたすら純粋に内なる自分のなかでの達観をめざす宗教らしく、とても凡人に理解できるものではない気がします。現在の仏像やお経などは布教のために一般の人でも理解しやすいように作られた面が大きいようですね。ですから仏教は内面の宗教という面で極めて平和的な宗教だと思います。
 で、そうすると仏教の国の例えばタイなどはどうかと思うかもしれませんが、正直タイに行った時の知り合い曰く、日本同様にクリスマスもあるそうですし結婚式も西洋式とタイ式の両方あるそうです。最近は不況の影響でタイ式が増えているそうですが。ようするに仏教は戒律ではなくて本人の内面しだい、ということのようです。
 そして神道はおそらく戦争の敗退が大きいでしょう・・・・・。
とまあ無意味に長くなってしまいました。すみません。宗教感等はあくまで撲の考えですし、宗教哲学も違っているかもしれません、そのへんは一般人なのでご勘弁を・・。
 
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
やはり仏教という宗教にポイントがありそうですね。
ありがとうございました、参考になりました

お礼日時:2001/10/09 01:41

答えは、日本史上最初の偉人である「聖徳太子」にあります。



聖徳太子は、皇族ですから本来は神道を擁護する立場です。
しかし、聖徳太子は神道で満足するには頭が良過ぎたんでしょうね。
仏教と儒教を熱心に学び、特に仏教に傾倒します。

実は聖徳太子が若い頃に、日本史上最初で最後の「宗教戦争」がありました。
仏教派の蘇我氏と神道派の物部氏との戦いです。この戦いで聖徳太子は蘇我氏側に
ついて参戦します。

この戦いで仏教派が勝ちますが、問題が残ります。それは天皇家の問題でした。
天皇家が天皇(当時は大王[おおきみ]と呼んでいた)でいられる理由は、神道の
神であるアマテラス大御神の子孫であるという理由だからです。
天皇家が神道を放棄してしまえば、その地位は危ういものとなります。

そこで聖徳太子は、自らは仏教信者であるけれども神道も排斥しない政策を取りま
す。仏教と神道の両立というのは天皇家の一員である聖徳太子自身の問題でもあっ
たからです。

以後、日本の歴史は仏教と神道が融合していく世界的にも稀な宗教的伝統を持って
いくわけです。聖徳太子以後、日本には宗教戦争らしき戦いが全くなくなってしま
ったので、日本人はそういう歴史的記憶をすっかり忘れてしまったようです。

その後に入ってきたキリスト教についても江戸時代は大迫害をしますが、明治時代
以降は徐々に受け入れてきていると思います。完全ではありませんが、クリスマス
という習慣も根付きましたし。
(とは言っても、クリスチャンの日本での人口は数パーセントだから、完全に普及したとは言いきれません)


聖徳太子のお陰で日本人は宗教戦争をほとんど体験せずに済みました。しかしその
反面、現代の世界での宗教間の対立と戦争というものが日本人にはピンときにくく
なってしまっていると思います。

以上、ほとんど境屋太一氏の「日本を創った12人」(PHP新書)からの受け売り
でした。もっと詳しい内容を知りたい場合は、上記書籍を買って読んでください。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
聖徳太子の存在が出てくるとは思ってもいませんでした。
大変参考になりました。ありがとうございました

お礼日時:2001/10/09 01:37

おそらく、歴史的に強烈な支配や占領、弾圧を受けたことが少ないのでしょう。



神道・八百万の神=無神論なのだと思います。仏教も日本的にアレンジされて、なんでもかんでも「神さま・仏さま」になってしまいます。昔から初日の出や富士山を拝んで、便所やかまどにも神様がいても違和感なく受け入れてきたのだと思います。それが昂じて、クリスマス、盆休み、正月に宗教的な信仰心を持たずとも「平気で安穏」な感覚が、育っていったと思います。

ただ、島原の乱で見られるように、環境によっては、殉教するまでの宗教心を発揮する素地は持っているので、自然に恵まれた島国で他国の侵略をあまり経験しなかった歴史が原因でしょう。

かく言う私も、借金で困ったときか、宝くじを買うときだけ、「神さま・仏さま」です。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
「神様仏様..」という有名なフレ-ズに
日本人の宗教観があらわれていますよね。
日本人の宗教感が低いのは日本が平和であるがためなんでしょうね

お礼日時:2001/10/09 01:35

日本人というのは、四方を海に囲まれていたために、近代に入るまで、海外からの文化や技術の流入が限られていました。

そして、その多くは貴族や大名のような支配者階層にまず伝えられ、その支配社会層の都合に合わせて、都合のよい部分だけは取り入れられ、都合の悪い部分は切り捨てられた後、一般に広まってきたのではないかと思います。その典型的な例が、宗教ではないかと思います。例えば、中国から朝鮮半島を経由して入ってきた『儒教』は、中国や韓国ではれっきとした宗教ですが、日本では『儒学』と呼ばれ、学問として主に武士階級の間に広まったものです。
文化や技術の流入が限られていて、あまり直接的ではなかった時代が長かったために、宗教に限らず、日本人というのは、海外から流入した文化や技術を自分たちの生活に合わせて都合よく解釈する傾向があるように思います。

以上、私の極めて個人的な意見ですが・・・。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
時の為政者によって使いやすいようにアレンジされて、、
なるほどとうなずいてしましました。
とても参考になりました、ありがとうございました

お礼日時:2001/10/09 01:31

私の個人的な意見で、何か文献などを調べたわけではないんですが、


日本は昔から中国の影響を大きく受けてきています。そして大きな影響を受けたのは儒教だと思います。今で言う道徳のようなものです。あわせて仏教も伝来しましたが、どちらも学問的な要素が強いものです。人間とはこうあるべきだみたいな教えです。さらに政治的な背景では、ほとんど迫害を受けずに受け入れられてきました。かなり昔から舶来物に弱かったようですね。

それには地理的な要因が考えられます。キリスト教とイスラム教は互いに陸続きの場所で広まりました。宗教の違いで対立することが頻繁に発生したのはここからではないでしょうか。そして、その対立によってキリスト教徒とイスラム教徒のアイデンティティーが確立されたと思われます。

つまり日本には対立宗教が無く、土着信仰と神道、儒教、仏教がうまい具合に混合されて受け入れられたと考えられます。
となると、他の文化がやってきても柔軟に対応できる気質が出来上がっても不思議ではないでしょう。そこから、キリスト教(これは政治的な理由で迫害を受けましたが)も受け入れられ、まるで日本の風習のようになったのではないかと考えられます。

もうひとつ考えつきました。キリスト教が迫害されたのは日本のほとんどを支配する支配者が出現してからでは?国全体を支配するよう葉強力な支配者(平安時代なんかも支配地域はほとんど都の周辺だけだったでしょう)がいなかったことも原因の一つではないでしょうか?


まとまりのない文章になってしまいました。すみません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
なるほど、宗教とアイデンティティ-のお話などとても参考に
なりました。ありがとうございました

お礼日時:2001/10/09 01:28

キリスト教についていえば クリスマスに関しては 宗教的な意味合いは 殆どありません。

クリスチャン以外の人は ミサになんか行きませんよね。キリスト教では クリスマスの次に イースターが非常に重要な行事なのですが、日本では何もありませんよね。クリスマス自体、日本のお菓子のメーカーが広めたものです。

神教ですが、初詣と 忘れていけないのが、御払いですね。神教は日本古来の宗教です。あと、結婚式も 神式でやるのが 多いですね。

仏教は 神教とともに 非常に重要な地位を占めていますね。葬式は 仏教に則る場合が多いですね。

ちなみに韓国では 仏教徒よりもキリスト教との方が多く、無信教の人が 半数を占めるそうです。

日本は平和なんです。だから、あまり 宗教を必要としないのです。しいていえば 日本人が 最も信仰するのは 新聞でしょう。世界一の発行部数を誇りますからね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます
確かに国情が安定していない国において宗教がクロ-ズアップされている
気がします。
宗教に寛容=平和
とうい式は成立する気がしますね

お礼日時:2001/10/09 01:24

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