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日露戦争の日本海海戦の際、三笠を先頭とする連合艦隊の主力は、いわゆる敵前回頭によって右舷にバルチック艦隊を捉えながら砲戦を行いました。では、その際に左舷側の砲手たちはどうしていたのでしょう?とりあえず大砲を撃つことはありませんが、その場合にも持ち場を離れずに
(ひまだな~)等といいながらタバコでもふかしていた・・・
なんてことはないと思いますが。

A 回答 (6件)

原則として砲手は砲側を離れることは許されなかったと思いますがその他の砲員は(装填手、砲弾運搬手など)は確かにヒマであってもいつ回頭があって敵正面に対しても良いよう待機するのが常識と思います。



その他の兵員も「戦闘配備につけ」の命令があればそれぞれの配置位置について別命あるまで待機しているのが海軍の姿勢です。
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海軍は陸軍と違って、艦長から新兵まで全員が固有の任務に付いています。

もちろん、持ち場が破壊された(例えば配置された砲が使えなくなった)場合に、別の部署に助っ人に行くことまで定められ、それを想定した訓練も行っていました。
従って、左舷砲の砲手は「戦闘配置」「打ち方用意」「打ち方待て」「打ち方始め」といった全ての号令に瞬時に行動できるように心と体の準備をして配置についました。
なお、これもまた当然ですが、そのように自分の配置と役割を全うすることに全力を挙げるよう集中していますから、彼らは戦いの趨勢、敵味方の被害状況など全く分からずにいました。
海軍の軍人は、ほとんど戦う船の一部となっていたわけです。
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この回答へのお礼

皆様、ありがとうございました。
ここで、まとめて御礼させていただきます。

やはり、左舷側の砲手は持ち場を離れずにいたようですね。私は、あるいは右舷に補助に駆けつけるなどするのかと思っていました。No.4さんの御回答に、

>配置された砲が使えなくなった)場合に、別の部署に助っ>人に行くことまで定められ、それを想定した訓練も行って>いました。

とありますが、砲が使えなくなったケースではなくとも、
すくなくとも面前に敵がいなければ、砲戦を行っている側のサポートをするなどのきまりがあるのかと思っていました。
戦場に飛行機が現れた時代になれば、対空砲火の必要から
各砲手は持ち場を離れることはないと思いましたが、この時代、いかに不意に敵艦があらわれようと秒単位での対応が要るわけではなかったでしょうから。
(横須賀の三笠にいくとよくわかりますが、両舷の間は
急げば一分以内で行き来できます。見張りさえしっかりしておけば、万一左舷に敵艦が現れたとしても----後知恵では、事実上ありえないことですが----それが射程内に入るまで持ち場に戻ることは十分に可能です)

(ひまだな~)は、もちろん冗談です(笑)
むしろ、左舷砲手たちは敵も見えず、射撃をすることもなくじっと持ち場にいなければならなかったのは辛かったかと思います。

三笠には、子供の頃からたびたび行っています。
先日、久しぶりに行ってみると、日本海海戦100周年記念もあったためか展示もだいぶリニューアルされていました。
御興味のある方は行ってみられると良いかと思います。

 

お礼日時:2005/07/25 08:49

バルチック艦隊側は火薬の性能の関係で日本艦隊よりも砲弾の発射速度が遅かったとはいえ、充分猛烈な射撃をしていたはず。

日本艦隊側にも命中、至近弾合わせて相当な着弾があったはずですので、「閑だなあ」等と言っている余裕は無かったはずです。貴方が関東近辺に在住しておられるのなら、一度横須賀の三笠公園に行って御覧なさい。甲板上の構造物に凄まじい命中跡がいくつもありますよ。

更に言えば、戦闘中射撃する目標が無い場合の砲手達は、不意に現れる敵に備えて水上の見張りを怠らないものです。水雷艇等の高速艦艇による襲撃が無いとは言えませんので。
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>では、その際に左舷側の砲手たちはどうしていたのでしょう?



当然左舷に敵が現れたらいつでも射撃できるように、射撃準備をしていたはずです。

後知恵で左舷には敵がいないと分かっていますから、左舷は暇と思いますが、その海戦に参加している砲手は敵がいつ現れるかと必死だったはずです。海戦が終了するまでは緊張してずっと索敵と発射準備をしていたと思います。
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>では、その際に左舷側の砲手たちはどうしていたのでしょう?



当然左舷に敵が現れたらいつでも射撃できるように、射撃準備をしていたはずです。

後知恵で左舷には敵がいないと分かっていますから、左舷は暇と思いますが、その海戦に参加している砲手は敵がいつ現れるかと必死だったはずです。海戦が終了するまでは緊張してずっと索敵と発射準備をしていたと思います。
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>では、その際に左舷側の砲手たちはどうしていたのでしょう?



当然左舷に敵が現れたらいつでも射撃できるように、射撃準備をしていたはずです。

後知恵で左舷には敵がいないと分かっていますから、左舷は暇と思いますが、その海戦に参加している砲手は敵がいつ現れるかと必死だったはずです。海戦が終了するまでは緊張してずっと索敵と発射準備をしていたと思います。
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