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なぜ反対する人がいたんですか??詳しく分かりやすく教えてください。。。よろしくお願いします。

A 回答 (2件)

ソ連などの共産圏を含めた全面講和を主張する社会党などのグループと、アメリカやイギリスなど自由主義圏の主要な国々と講和できればいいとする吉田首相ら自由党などのグループとがあり、サンフランシスコの講和条約は単独講和でした。


 
当時は東西冷戦で、朝鮮戦争が身近だった時代、米ソの核実験競争も始まったばかりの頃なので、ソ連はアメリカ占領下にあって西側陣営の一員だった日本の国際社会復帰をなんとしても阻止しようという立場で、揺さぶりをかけてきました。
 
昭和26年9月の朝日新聞世論調査。
講和条約について日本に協力的だったアメリカを評価する日本国民69%
日本の国際社会復帰に強く異を唱えていたソ連を不快に思う日本国民56%
単独講和論の吉田首相支持率58%
全面講和論の社会・共産支持率11%(=吉田首相不支持率10%にほぼ同じ)
当時の国民世論は、6~7割が単独講和支持、1割が全面講和支持といった色分けとみるのが妥当と思います。その他の世論調査でも、ほぼ似たような数値です。
 
逆に東西冷戦激化による朝鮮戦争や国共内戦での国民党敗北などで日本の地理的な価値が高まらなければ、単独講和ももっと後になっていたと思います。アメリカなどが日本をいちはやく西側陣営に取り込みたいという思惑も、この時期の日本の国際社会復帰につながったと思います。
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一部の国々とだけの講和だったからです(「片面講和」・「単独講和」と言われた)。


すべての関係国と講和すべき(全面講和)という主張があったわけです。
実際、ソ連と講和しなかったことが北方領土問題の遠因になっているし、この後、講和しなかったアジア各国との間で賠償問題が長引いたし……。
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