No.3ベストアンサー
- 回答日時:
トータルで評価すれば名君です。
暴君としてのイメージは「生類哀れみの令」による過激な動物保護政策からきています(現在のグリーンピースに通じる先進的な政策だったのかもしれません・・・)。
また、愚公のイメージは柳沢吉保に牛耳られたとされる側用人政治と寺社仏閣の建立に奔走した浪費、それに貨幣改鋳によって物価高を招いた後半治世の失政が影響しているのでしょう。
実際は、治世の前半は大老堀田正俊との二人三脚による、綱紀粛正(統治能力のない大名・代官の罷免)、勘定吟味役の創設による冗費節減など、「天和の治」と呼ばれる幕政改革を行って成功しています。
後半の貨幣改鋳についても、爆発的に拡大する商品経済への貨幣供給の必要性から迫られ行ったものです。
政策担当の勘定奉行荻原重秀は、貨幣の信用は金の含有率の問題ではなく、政府(幕府)の信用力の問題であるという考え方の人だったので、現代の通貨制度に通じる先進的な政策だったわけです(物価高騰を招いて失政と言われていますが・・・)。
側用人の柳沢吉保も綱吉死後は、あっさり幕政から退き、文化的な活動に注力します。もともとは将軍親政という理想を共有する戦友だったのでしょう。川越城主としての治世は、名君として称揚されていいものです。
綱吉自身は、将軍親政を目指し、能力主義の登庸をこころがけ、学問好きらしい理論の裏付けのある政策が特徴的な将軍だったと言えますね。
いかんせん幕府吏僚の腐敗が著しく、政策の執行で上の意図が曲げられた点では同情に値すると思います。
この時代は経済が大きく動いていて経済政策はかなり難しかったのですね。それでも元禄の繁栄をもたらしたというのは高く評価していいのでは、と思いました。ご回答ありがとうございました。~綱吉様、ばんざーい。おいらは綱吉様の味方ですよー。ワン、ワン、(江戸の犬)~ところで、あの47士を切腹させたのは正しかったんでしょうか。ワン。
No.5
- 回答日時:
生類憐みの令は、
仏教の教えにのっとり、
「殺生をしない」
こう言う令です。
しかし、実際は、町民は食うものを選ぶ事など出来ない貧しい生活でしたので、
「平気で無視していました。」
町の生活も分からない愚か者の評判が付きました。
徳川綱吉の望んだ国作りとは、
殺生をしない、欲望を捨てると言う、仏教の教えを素直に守る、素晴らしい仏教国家の建設でした。
所が、老中以下、誰も胸中を察する事は無く大反対、全員が異を唱えるので、ストレスが溜まり、
家臣を寄せ付けないようになり、1人で全て事を済ませ、処理を任せず、
次々に生類憐みの令を、
鳥を殺すな。
犬も駄目だ。
と、次々追加を始め、数十件の連続令になった次第です。(頑固に強要した)^0^;
挙句、「私が死んでも令を解いてはならない。」
こう言って死んで行ったそうです。
これは殆ど子供の嫌がらせに近い行動です。^^;
暴君、愚公についても
「ああ、そうだよ。どうせ俺は暴君だよ。愚公だよ。誰も俺の事など理解するとは思っていないよ~だ。へっ!!!」
こう言った行動に近いですね。^^;
綱吉が最も信頼を置いた家臣は1人だけ。将軍になる前からのお付の家臣だけでした。
この家臣にだけは、「理想の国を作りたい」と夢を熱く語り続けたそうです。
徳川綱吉の死後、その家臣が生類憐みの令の全てを「廃令」して全て元通りになったそうです。
理想に走りすぎた点もあったということですね。今でも、文部省の役人が現場である教室の状況を見もせず
教育改革をしようとするのに似ているでしょうか。
しかしながら、綱吉公はトータルでは名君であったという説を私は信じたいと思います。
No.4
- 回答日時:
「四十七士の切腹」は, 規則上「寛大な措置」ということになろうかと思います.
そもそも世間では「仇討ち」とされていますが, これは幕府の法規則上は「仇討ち」ではなく単に「吉良上野介を多人数で襲って殺害した」ものでしかありません. なぜなら, 「主君たる浅野匠頭は幕府の処分として切腹を命じられたのであって吉良上野介が殺したものではない」という事実があり, (この事実から当然なのですが) しかも「仇討ちの許可を得ていない」からです.
ということで本来は打ち首になってもしかたない (なにしろただの殺人にほかならない) のですが, 周囲の声に押されて切腹ですませたということになるでしょう.
聞くところによると、47士を無罪にするという意見もあったようですね。吉良は地元では名君との評判なのですが、ドラマでは必ず悪役です。そんなところは綱吉と似てますね。
No.2
- 回答日時:
それまでの武断政治を改め、法治主義、文治主義に大きく舵を切ったことは評価するに足ります。
江戸中期の政治ムードを作ったのはやはり綱吉ではないでしょうか。就任当初は頭脳明敏なことで有名で、十数年にわたって争い続けたお家騒動に採決を下すなど、賢君の評判が高かったのも事実です。ただし自分の賢さにおぼれる型の人間であったのも事実で、それが後半生においてさまざまな弊害を生んでいます。生類憐れみの令は、相当にゆきすぎもありましたが、何しろ迷信のつよい時代だったこともあり一概に綱吉個人の資質にのみ帰しうる問題でもなかろうと思います。むしろ彼の失政は貨幣改鋳によってインフレをあおったことのほうが大きいのではないでしょうか。柳沢吉保による側近政治も批判されることが多いのですが、これはむしろ有能な人材を身分にとらわれず登用した例であると思います。
ただ、さまざまな成果をあげながらも、「けっきょく犬将軍じゃないか」という目で見られるのが綱吉の損なところでしょうか。同時代からも、後世からも、一般的に評価はあまり高くありません。誤解されている面も大きいと思います。
江戸時代、歴代将軍のなかで特に賢君と考えられていたのは、初代の家康と中興の祖吉宗、ややおちて三代目の家光の三人で、綱吉はあまり評判がよくありませんでした。そのことがいまだに尾を引いているようです。
色々な改革をしたからこそ、うらまれるということもあったようですね。いつの時代にも、不当に低く評価される人は、いるんですね。ご回答ありがとうございました。
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