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徳川家光の弟の忠長は何故 実父の秀忠や兄の家光から疎まれていたのでしょうか?
御三家の叔父や親藩の松平とも明らかに扱いが違っていたように思います

まぁ 家光に恨まれるのは百歩譲って理解できたとしても秀忠に疎まれていた理由はわかりません
あれだけ素行不良だった弟の忠輝の事はあれだけかばっていたのに 忠長に対する扱いはひどい気がしました

A 回答 (1件)

忠長って駿河大納言のことですよね。


幼少の時は兄、家光よりも両親に可愛がられていて、
兄に変わって将軍にとまでいわれていたわけで、
秀忠から疎まれていたわけではありませんね。

その証拠に駿河遠州甲州と当時の要害の地を有する
大大名になっているわけですから。

大人になってからは幕府内の権力争いに敗れた。
ということではないでしょうか。
実際改易云々は父秀忠の死後ですしね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%B7%9D% …
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この回答へのお礼

秀忠が忠長を気にかけたのは幼少と晩年ぐらいであとは事あるごとに怒っていた気がします
駿河や甲州の領地も最初は渋っていて 秀忠妻のお江がしつこく言ってようやく与えた感じです
明らかに彼だけ他の親藩と扱いが違っていたので気になったのです

お礼日時:2012/11/01 09:36

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