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 父性とは? 母性って何? 父性と母性の違いは何ですか?

 『できればムカつかずに生きたい』(田口ランディ著)の本を読んでいて疑問に思い、自分では答えを出すことが出来なかったのでここに書きます。

 本を読んだ、読んでないに関わらず、回答下されば・・・と嬉しく思います。

 
 ここから先は、疑問に思った内容を少し詳しく書いていきます。

 この本によると、「ドラえもんはのびた君は母性である」何でも「しょーがないなーもう・・・」と受け入れてくれるところが母性なんだかとか。
 ドラえもんは私が昔から好きなれない漫画の一つだったのでそーなの?ってか感じなんだけど。ドラえもんを私が好きになれないのは、何でもカンでものびた君がドラえもんに頼りすぎていて、自分自身の力で物事を解決しようとしないし、ドラえもんがそのことに対して、手を出してしまうことである。これが自分の子と置き換えて考えると、物事を自分一人では何も解決できない、大人になりきれないどうしようもない大人に育ってしまい、周囲に迷惑を散々かけることになりかねないと思うからである。
 今の子供達は、アニメを見ないで育つ子はほとんどいないのでは?と思うほどアニメを見て育った世代である事と思う。どうせ見るのなら、困難と遭遇したら、自分自身の力で、解決していくようなアニメとか、勧善懲悪アニメとか見たほうが情操教育にも良いと思うのです。
 話が脱線してしまいましたが、ドラえもんのような過保護な愛情こそが「母性」と本には書いてあったのですが、過保護に育った子が将来、まともな人間性を備え、困難に立ち向かえるとは思えません。又、『過保護=母性』というのも、おかしいと思います。では、母性って何なの?と聞かれても、私自身、答えが導き出せません。
 
 母性とは?父性とは?何か。お答え頂ければと思います。

A 回答 (3件)

私はその本を読んでいませんが、「ドラえもん」が「母性」であると言われれば、そうかもしれないなあと思いました。


確かになんでもかんでも横から手を出して解決してやるのはどうかと思いますが、その子の長所も短所もすべてひっくるめたあるがままの姿を、まるごと受け入れてくれるのが「母性」かなと思うからです。
そういう点では、やはりドラえもんは母性ですね。

たとえば、のび太はいつもジャイアンやスネ夫にいじめられ傷ついて帰ってきます。
それをドラえもんは「もう、のび太君は…」と言いながらも、のび太の悔しい気持ちや悲しい気持ちに共感してやります。
そしてのび太に手を貸してやるわけですが……
私はドラえもんが手を貸して助けてやることより、こののび太の辛い気持ちにドラえもんが共感してやるところが「母性」につながっていると思います。
これが、のび太を「情けない奴だ!」と逆に叱り飛ばして「やられたら自分でやり返して来い!」と家を追い出す(突き放す)ようなドラえもんなら、それは「父性」を持ったドラえもんなのでしょう。

そういえば、のび太の家は父親の出番が著しく少なく…、代わりに出番が極端に多い母親は、いつものび太を叱ってばかり(対立してばかり)で、のび太の側に立つことは少ないですね。
もしかしたら、あのマンガでは母親が「父性」を象徴しているのかもしれませんね。

話が脱線しましたが、私が思うには……
先に言いましたが「子供をまるごと受け入れてやる」「子供に共感してやる」ことで「子供を癒してやる」のが母性で、「子供に世の中の厳しさを教える」「(あるときは)子供と対立する」そして「子供を導く」のが父性かなという感じです。

母親の過保護も、過保護なことだけが問題なのではなくて、そこに父親の厳しさがないからだと思います。
父性と母性は、どちらかだけではだめで、やはり両方必要で、そのバランスが重要なのだと思います。
父性より母性が極端に勝った育てられ方をすると、質問者さんのおっしゃるように

>過保護に育った子が将来、まともな人間性を備え、困難に立ち向かえるとは思えません

このような人間をつくるのかもしれません。

(ちなみに父性=父親ではなく、母性=母親でもないと思いますし、1人で父性と母性を持ち合わせている人もいらっしゃると思います)
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

ドラえもん=母性、ノビタの母親=父性 ←なるほど!!

私は、母性=母親、父性=父親 という考えに囚われ過ぎていたように思います。

お礼日時:2005/08/16 13:50

その本は読んでませんが、素人の私見を少し。



子供は無垢のままで生まれてきます。
気質は遺伝として一部を受け継ぐかもしれませんが、
性格・人格は環境の影響を受けて獲得していくものでしょう。

子供にとって一番大事なのは、この世に生まれて来たことを歓迎されている、
という無意識の認識だと思います。
この土台があれば、どんな環境も耐え、克服していく自助能力が発揮できるのではないでしょうか。
(紆余曲折はあったとしても)

そして、この認識を最も適切に与え得るのが親だと思います。
特に自我を確立し始める前、3,4歳までの対応は非常に重要ではないかと感じます。
理屈ではなく自分を認めてくれる人間がいる、と悟ることが、
後に強い自信となって顕現してくるような気がするのです。

これには母性も父性もないでしょう。
我儘を放任するという意味ではありません。
むき出しの欲求が兆すのは当然なのですから、それは子供の責任ではないのです。
そのことを論理的に理解して、行為を叱ることはあっても、
行為をした子供自体の人間性に問題があるかのように、
心配したり怒ったりしてはならない、ということです。

「親の気に入らなければ否定されるのだ」と学習してしまうでしょう。
「親が私を愛するのは、親にとって私が気に入る存在だからであって、
私がそこに在るからではないのだ。」と認識しても不思議ではないと思うのです。

しかし、実際は違います。
ひとりの人間が、そこに「在る」というだけで価値のあることでしょう。
それを認めてくれる他者(両親を含め)がいるという事は、
何にもまして自信につながる最大の根拠になると思います。

でも、子供は親の価値観を押し付けられ、所有物として育つ場合が多いのが現実ではないでしょうか。

そして生きていくために欠かせない、この「失われた無条件の愛」
といったものを具現化したのがドラエモンなのかな・・・、と考えました。
ですから、母性でも父性でもなく、
ドラエモンを「幼少時における親性」の象徴と解釈したいですね。

「しょうがないなあーもう・・・」と受け入れながら、
殆ど最後はうまくいかないようになっていますよね。
この作品の構成自体が、
自我を築くために乗り越えなければならない壁を象徴しているように思います。

現実で与えられるべくして与えられなかった無条件の愛を供給しながら、
自らの力で獲得しなければ自我の確立はできない、という含蓄にも富んだ
なかなか面白いアニメだったのかも、と考えさせられたご質問でした。

子供の性別にもよるのでしょうが、
基本的には父性は乗り越えて自我を確立するための壁としての役割を、
母性は無条件の愛が偽物でなかったことを時々確認できる存在としての役割を、
含んでいるように思います。

あくまで、私見です。色々思考される際の、材料の一部として頂ければ幸いに存じます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

>>父性は乗り越えて自我を確立するための壁としての役割

↑というのは、別の本で読み、賛同しておりました。
しかし、現在の家庭においては、父性⇒不在(父親が不在ということではなくて、父性の役割を果たしている存在の不在)で、母性のみの家庭が多くなっているように思います。


>>自らの力で獲得しなければ自我の確立はできない

↑そのような見かたをしたことがなかったので、目から鱗です。

お礼日時:2005/08/17 10:43

母性は


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AF%8D%E6%80%A7

父性は
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%88%B6%E6%80%A7

ついでながら本能は
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E8%83%BD

さらにおまけとして母性本能は
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AF%8D%E6%80%A7% …

母性本能は心理学上存在が否定されていると聞いています。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

「母性本能=本能行動」というのは、納得です。

お礼日時:2005/08/17 10:35

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