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イザヤベンダサンこと山本七平の「日本人とユダヤ人」には、「処女信仰を絶対しない民族が世界に二ついる。日本人とユダヤ人である」と書かれています。
なぜ、日本人とユダヤ人が他の民族と違って処女信仰をしないのかという詳しい解説はありませんでした。
(少なくとも私は詳しい解説だと思いませんでした。)
理由をどなたか教えてください。

A 回答 (1件)

処女信仰≒マリア信仰というイメージでしょうか?



処女を神聖なものとする「習慣」は、「生贄」から来ていると思います。神に捧げる「生贄」は、美しく混じりけのない純粋なものを尊びました。これはユダヤでも日本でも同様だと思います。
また、初婚での処女性を尊ぶ倫理観は、ユダヤでも日本でもあると思います(実行されているかどうかは別として・・・)。

処女を神聖視することが「信仰」へ結びつくのは、キリスト教のマリアの処女生誕の伝説とヨーロッパの大地母神への信仰が混合したことから始まっています。

大地母神自体は、豊穣を祈願する対象であり、もともと生殖のイメージと結びついているので処女性とは無縁でした(偶像として女性器そのものや豊かな胸と臀部を強調したものが世界中で出土しています)。

キリスト教会は西ヨーロッパへの布教が広がるに連れ、マリア信仰の形で復活する大地母神信仰を排斥するのではなく、教義に取り込むことにして教圏を広げています。

そう言う意味で、ユダヤ人の間では、まずマリアを重要視することがありませんし、大地母神信仰自体は滅ぼすべき悪魔の信仰として排除してきた歴史があります。唯一神以外への信仰などあり得ないわけです。

日本の場合、神々は豊穣や除厄を約束する対象でした。主神の天照大神も子沢山ですし、処女性は巫女などには求められましたが、信仰対象にそれを求めることはありませんでした。

土俗の神々では、道祖神(道ばたにある老夫婦の仲良くならんだ像)のように、もともとリンガという世界的に共通した男性器を象った豊穣と交通安全の信仰対象をやたらめったら街道筋に建てたり、江戸の町家などでは子宝を得る信仰対象として金勢神という男性器そのものを象った神様を神棚に祀ったりしています。

こうした風俗を含めて、昔から性風俗に寛容な風土が日本にはあり(今でもこれだけ性に開放的な国はないですよ)、このことから「日本には処女信仰はない」と言う結論に達したのではないでしょうか?
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