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もとより芸術とは方向性の問題であって、優劣のあるものではないですが、そのうえで写実画という事に関して
東洋と西洋を比較すると西洋のほうがその方面への志向性が強いように思います。
もちろん東洋にも写実画はありますが、精密さにおいてかなり差があるように感じられます。
人物の肖像など見ると数百年も前の西洋の絵画はすでに写真のようにリアルですが、同時代のたとえば日本の人物画は
そこまでリアルには書かれていません。
(繰り返しますがだからといって西洋のほうが優れた芸術だと言いたいのではありません)

織田信長の肖像の例
西洋http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/5/ …
日本
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/ …

また西洋の場合単にそういう作品が多いというだけでなく、画材の発明にせよ透視図法のような技法の開発にせよ、
事物をいかにリアルに表現するかの手段を追求してきた歴史があります。
一方東洋の場合個人の感性において写実に優れた画家はいるにせよ、こういう理論化や体系的な研究という方向にはいってないように思います。
ただ絵画に比べて彫刻の分野だと西洋と東洋で写実性に顕著な差はないとも感じるのですが。
絵画における写実という方向への西洋と東洋のスタンスの違いは何に由来するのでしょうか?

A 回答 (4件)

東洋絵画については、殆ど無知に近いので、他の回答者様にお任せするとして、参考に西洋絵画の特質についてお話ししたいと思います。

(と言っても、こっちも素人に毛が生えた程度ですが・汗)

近現代に直接繋がる西洋の絵画が発達するのは、主にルネサンス期においてです。
それ以前にももちろん絵画が描かれていましたが、主にキリスト教を布教するための偶像としてでした。
それも、後にみるような写実的ではなく平面的でした。(余談ですが、キリスト教社会以前の古代ギリシア・ローマの美術は写実的でした。キリスト教の発展と共に、それらの華やかさは失われ、中世絵画になっていきます。)
(参考は初期ルネサンスのドゥッチョの<最後の晩餐>です、まだ中世が色濃く残ってますね)
http://art.pro.tok2.com/D/Duccio/du06.jpg

西ローマ帝国崩壊から続く暗黒期(蛮族の侵入でイタリアは荒廃していた)時期も終わり、徐々に幾つかの有力な僭主に統治される国や都市国家へと再編されていきます。
これにより、少しだけ社会が安定した(といっても戦争は絶えませんでしたが)からか、古代ギリシア・ローマ時代への復興とイスラム文化の輸入にいそしむようになります。(これがルネサンスです)
特に、シチリア島は一時期イスラム教国に占拠された時期などもあり、またその国の王フェデリーコ2世(ドイツ読みフリードリヒ2世、神聖ローマ帝国の皇帝でもあった)が積極的にイスラム文化を取り入れたために、イタリアがルネサンス運動の中心となっていきます。
その後、花の都と称されるフィレンツェで見事に大輪の花を咲かせます。

このルネサンス運動の試みは、中世に成熟したカトリック・キリスト教の教義と、古代ギリシア・ローマの知識・芸術・文化とアラブ・イスラム圏(初期にはビザンティウム帝国も)のそれを合わせた諸々の事柄を融合(合理的に説明)しようとする活動でした。
その中で、中世的な世界観からの脱却が計られていきます。
言い換えれば、中世では失われていた「理性」を取り戻し、世界を「正しく認識」しようとする運動と言っても良いかもしれません。
そして、絵画というのは宗教的な意味合いで書かれることが多かったので、この流れを汲んで、画家達は色々な技法や絵の具の開発をして「神の意志と世界と人間性を正確に模写しよう」としていったのです。
そして、そこに描かれる人物や風景、動物にいたるまで宗教的・哲学的(神学的)意味が込められていました。
例えば、レオナルド・ダ・ヴィンチの<モナリザ>の背景に描かれている川なんですけど、これは時間の推移を現わしていると言われています。
上流は地球の始まり、中流に陸地と水の減少と文明を象徴する橋、下流は水=生命の消滅=キリスト教でいう終末etc,,,といった感じです。(もちろん、解釈は研究者によって諸説あります)
http://art.pro.tok2.com/D/daVinci/leon05.JPG

こんな感じで、イタリア・ルネサンスの絵画はカトリック・キリスト教とルネサンス期の思想とに密接に結びついています。

一方の北方ではまた違った発展をしていきます。
特に油絵の具の開発と、それによる光とグラデーションによる表現が特徴です。(イタリアは遠近法と重ね塗り技法による空間の合理的表現)
また、宗教改革の時代には、プロテスタントと密接に結びついていきます。
プロテスタントというのは、個人と神の繋がりを重視しますので(カトリックは間に教会が入る)、日常の一場面に神を感じ取ろうとする動きが盛んとなります。
その背景を受けて、北方画家の絵画は日常風景を主題にしたモノが多くなっていきます。
例えば、ヤン・ファン・フェイクの<アルノルフィーニ夫妻>は日常の結婚を祝う肖像画なのですが、シャンデリアの一本の蝋燭はキリストの象徴であったりとか、足下の子犬が忠実な象徴であったりとかetc,,,
http://art.pro.tok2.com/V/vanEyck/ey01.jpg

また、宗教改革期に描かれたハンス・ホルバインの<大使たち>も、その背景に描かれている棚には上段に天を意味する天文学の道具、下段に地上の快楽(音楽)を現わす楽器、足下には少し分かりにくく(斜め下から観ると見える)ガイコツ(もちろん死とはかなさの象徴です)が描かれています。
http://art.pro.tok2.com/H/Holbein/ho03.jpg

全てに宗教的・象徴的意味があります。

つまり、西洋では(イタリアと北方で視点・技法の差はあるものの)神学的・哲学的活動の一環として絵画があったと言えます。
つまり、神が創造した世界を忠実に再現したいという欲求や探究心が底流に流れているのではないでしょうか。
故に、体系的に論理的・合理的な説明ができるんだと思います。

東洋については、冒頭にも申しましたように無知なので言及できませんが、参考になれば幸いです。
参考サイト画像以下からの引用です。
「アート at ドリアン」
http://art.pro.tok2.com/Welcome.htm
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近代ヨーロッパ絵画の始まりは、ルネサンスで異論はないと思われます。



しかし前提として、なぜ古代ギリシア・ローマがなぜ写実的か考えなければなりません。この時代の宗教は多神教でその神々は人々の理想を具現化したものでなければなりませんでした(同時に潜む人間臭さも)。それゆえ、究極の肉体美を持つものとして描かれます(造られます)。実際は人間を超越した筋肉ですが・・・とにかく人間をとことん観察しなければなりませんでした。

一方で、中世に入るとキリスト教が入ります。本来キリスト教はユダヤ教・イスラム教徒同様に偶像崇拝禁止です。実際ビザンツ皇帝レオ3世は偶像禁止令をだし、ローマ・カトリックを批判しています。しかし、キリスト教普及のためには、ローマ教会は彫像・絵画を作成するのが有効な手段だ(言葉の通じないゲルマン民族には具現化したほうが布教しやすい)として偶像禁止をなし崩しでやめました。しかし、彼らにとって神(若しくはイエスやマリア)がどのような容姿であったかが重要ではなく、彼がどんなことを言ったかなので絵の巧拙はあまり重要視されませんでした。

ルネサンス期になると、フィレンツェでメディチ家が栄えるようになります。彼らは始め毛織物業ついで金融業で財を成し、ついにはローマ教皇も輩出しました。さてこのメディチ家の全盛期初代コジモはフェラーラ公会議を開きオスマン帝国の脅威に晒されているビザンツ帝国を救おうとしました。結局ビザンツ帝国は滅ぼされてしまいますが、ビザンツではプラトン哲学をはじめ古代ギリシア・ローマを研究していた伝統があり、ビザンツの学者はコジモを頼って挙ってフィレンツェに行きます。当時欧州は世界でも最貧の地域で、当方に対する強い憧れがありました。逆を言えば当方のものを持つことがステータスになります。メディチ家は古代の美術品を集めます。また最盛期ロレンツォ・デ・イルマニフィコは当時養っていた芸術家に古代の美術を再現し越えさせようとします。これがルネサンスです。ルネサンスが写実性に溢れるのはこの古代の伝統を再現したからといえます。

さて当時のイタリア貴族は、次々芸術を奨励します。このとき現れたのがダ・ヴィンチです。彼は物事をとことん追及し、科学的に分析しようとした人でした。それは教会腐敗や教義に対する疑念(ペスト流行の際に多くの人が死んだり・聖書にかかれてはいないサハラ以南が発見されたり)から来たものだといわれます。科学は忠実に観察し描写するところから始まります。そのための遠近法であったり、スフマートのような技法を編み出します。また、人体解剖も筋肉動きなどを再現するには不可欠でした。このダ・ヴィンチに影響を受けた芸術家が後の欧州絵画を築いていきます。
またギリシア哲学の影響で人とは何か?世界とは何か?を再考する表現の一つとして、絵画が用いられたと言う指摘や信仰の対象が個人に向けらるようになった、つまり教会=神中心主義から人間中心主義に写った。

簡単にまとめると、
・ルネサンスにより古代の写実主義の傾向が再認識された
・科学的精神が芽生えた
・哲学の表現の一つとして現れた
・人間中心主義になった
ということになるかもしれません。

東洋絵画は人は自然に生かされているという思想が強いので、自然は人を包み込むものとして描かれるようです。また人間中心の文化でもないため肖像画も写実的に描く技術が発達しなかったというのが私の考えです。結局は自然観・宗教観の違いなんでしょうね。
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キリスト教を抜きにしては語れないでしょう。


古代のギリシャ芸術は、よりリアリズムに溢れる作品が良しとされていたのですが、その後にはびこったキリスト教的価値観では、リアルに写し出すことはタブーでした。
そのため「非現実的な人体表現や、空間表現が使われた」これが中世の時代。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~michikun/michi08.html

でそれへの反発として華が開いたのがルネサンスの時代です。
明確な敵というかアンチテーゼがあることで、より先鋭的に突き進んでいったということだと思います。
例えて言うならば、高校まで厳格な親ものと実家で厳しく育てられたが内心は反発していた子が、東京で一人暮らしすることになり、今までの不満を解消すべしとばかりに遊びほうけるようになったというのがヨーロッパ芸術の歩んだ道で、東洋の方は実家生活でも適当に放置されていたので特にそっち方面では不満を覚えることもなく、東京で一人暮らしを始めても今まで通りというのが東洋芸術という感じです。
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>西洋と東洋のスタンスの違いは何に由来するのでしょうか?


・・・わかりません。ただ、私も絵画ではなしに、音楽とか楽器の関係で質問者さんと似たような疑問を持ったことがあります。

 我が家には、バイオリンと三味線がありますが、比べてみますと、バイオリンの方が楽器としての能力が高い(機械的な能力という意味で)と思います。
 バイオリンの方がより高い音が出ますし、ハッキリとした大きい音が出ます。バイオリンは三味線にくらべ「機械」という感じが強いですね。一方、三味線の方は、あいまいな感じで、理詰めではない音が出るように思います。
 料理の道具でも、中華は大きな包丁一つで全てをこなしますが、西洋には沢山の種類の包丁があるようです。食べる道具でも、箸一種類の東洋に比べ、西洋はナイフとフォークなどのように、目的別に分かれており「理詰めな感じ」がします。
 「理詰めな感じ」というのは「科学的」ということだろうと思います。
 また、西洋の方が物事に関して「しつこさ」を持っているように思います。『西洋の方が理詰めでしつこく追求する』という印象があります。質問者さん仰せの西洋の写実的な絵画は、まさに「理詰めでしつこく追求した結果」だろうと思います。
 さて、どうして西洋の方が東洋にくらべ、「理詰めでしつこい」のでしょうか。
 私にはわかりません。ただ精神と物体が混然となっている東洋と違って、西洋の考え方は両者がハッキリ分かれているようにも思います。インドやアラビアをも含めた西洋は、中国を中心とする東洋よりも科学(数学や化学を含む)の歴史が長いように思います。こんなところが、絵画における写実性の差に出ているのかなあと思いました(以上は幼稚な感想文で回答ではありません)。
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