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以前、世界史の授業で、アウストラロピテクスやクロマニョン人などの化石や発見された場所、発見者などについて学びました。

そして、類人猿→原人→新人→現代人と言う風に進化していったと教わりましたが、アウストラロピテクスはただのチンパンジー(もしくはその祖先か絶滅種)でその真下から人間の(祖先の)骨が見つかった。という話を、テレビか本か忘れましたが、聞いた事があります。

同じように、ジャワ原人や北京原人もただのサルだと言う事でした。って事は、それらの時代には既に、サルと人間は共通の祖先から分化しており、共存していたと言う事ですよね?

何故授業で嘘を教えるのか?それはともかく、ではヒトの進化の過程はどこまで解明されているのでしょうか?

サルと人間が分かれる寸前の化石とか、分かれた直後の化石とかはないのでしょうか?または、サルが今の形以前はどんな形をしていたのか。私が知らないだけかもしれませんが。古すぎて、下の方の地層にあるため、発掘が困難なのでしょうか?DNAレベルでは解明されていますか?

ダーウィンの進化論は20年以上も前に学会で(正式に?)否定され、それにかわる新たな進化論も疑問だらけという話を聞いた事があります。

私は高校生で、別にキリスト教信者ではないのですが、このようなミッシングリンクがあり、それを説明できない以上、仮に信者ではない、良識ある一般の人でも創造説を信じる気持ちも分かります。私自身はどっちを信じようか、それとも有神論的進化論とか、その他にもいろいろ説はあると思いますので、迷っています。

全くの無知なもので、見当違いのことを言っているかもしれませんが、何でもいいのでご解答・アドバイス下さい。

A 回答 (10件)

わたしも高校生のころに進化論を教わって、面白さにわくわくしながら生物の授業を受けたことを思い出します。


その後わたしは農芸化学の道に進んで、分子生物学や化学進化などの勉強もして研究者になりました。
しかし、残念ながら進化論に対する信頼は徐々に消えていきました。今は創造説を支持します。
進化論は検証も証明もされていないので進化説と呼ぶ方がいいんじゃないかとわたしは思います。

高校生ならば酵素やDNAなどについても教科書に書いてあると思います。
酵素はアミノ酸でできていますが、すべてがL-アミノ酸です。L-アミノ酸を作るには酵素が必要です。
まるで卵とにわとりのような関係ですが、化学合成でL-アミノ酸だけをつくることは不可能です。
古代大気を想定した実験装置の中でアミノ酸が作られたという実験もありますが、その環境だと合成されたアミノ酸はすぐに分解されてしまうはずです。
実験装置では合成されたアミノ酸を取り出す工夫がしてあったので、分解されなかったんだと思います。
ですから、自然の中で酵素を作るのに必要なアミノ酸がすべて合成されたとは思えませんし、合成されたアミノ酸の中からL-アミノ酸だけが自動的に順序よくつながって酵素ができるということは不可能です。酵素がなければDNAの複製もできませんし、そのDNAも4種類の塩基が規則正しく並ばないと遺伝子として働きません。
酵素や遺伝子が働くには、どれほどたくさんのアミノ酸やDNAの塩基が必要になるのでしょうか。1モル(6x10^23個)では全然足りないでしょう。

ここで、腕時計を想像してみましょう。精密機械ですがDNAや酵素に比べればとても単純です。腕時計の部品を箱に入れてかき混ぜていると腕時計ができあがる確率はどれくらいでしょうか?1億年くらいかき混ぜていれば完成するのでしょうか?では1モル分の腕時計の部品(すべて6x10^23個)を箱に入れて数億年かき混ぜていたら、何個くらい腕時計ができあがるでしょうね。エントロピーは減少しちゃいますけどね。

脳や心臓がどのようにしてできて来たかを考えても妙です。進化途中の出来損ないの脳や心臓を持って生き抜いていたのに、弱くて淘汰された祖先がいたということです。TCAサイクル(カルビン回路)みたいな代謝経路はどのように進化したら完成するのでしょうか。
はたまた、進化説によって、近所にいろんな種類の猫がいることを説明できるでしょうか。

今は進化説と創造説の二者択一のような状態ですから、創造説を選びたくないならば進化説を選ぶしかありません。ですから進化説の人たちは必死になって創造説を否定します。進化説を疑っても議論しても非科学的とされてしまうくらいです。

科学的に正しいならば、いろいろな反論にきちんと議論して応えることができます。
ところが進化説を唱える人たちは「~だという考えが有力です」とか「~だと思われてます」などと、きちんと証明されていない説を正しい事実であるかのように言います。疑問や反論に対しては「それは科学的でない」とねじ伏せますが、なぜ科学的でないのかは説明してくれません。これでは議論になりませんし、科学というよりは宗教に近いと思ってしまいます。科学の手法を取り入れた宗教ってとこですかね。残念ながら創造説の方が科学的なような気がします。
だからといって、進化説を学校で教えるなとは言いません。学校では両方を平等に教えるべきだと思います。
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確かに人類がどこからきたのか?は生物学の永遠のテーマのような気がします。



質問に対するアドバイスを言いますと,「自分が納得する方を信じなさい」ということです。

 客観的な見地からすれば両者は比較できる対象ではありません。聖書の創世記には確かに神がすべてを創造したと書いてあります。そして,生物は「種類にしたがって」創造されたとあります。しかし,現在の生物学的な分類はご存じのように種・属・科…と色々あり,「種類にしたがって」の種類が生物学的にどのレベルを指しているのかわからないのです。よって種分化は起こりうるかもしれない。ただ,生物学の「種」の定義が明確ではない(他種と思われる生物間の子孫が生殖能を有しているとか,例外がある)ことを注意しなければなりません。
 また,生物の細胞一つとってみても,両者の立場は食い違います。生物の細胞はどれも似たような構造をもっていますが(もちろん真核と原核では違うが),これは「ただ一つの創造者によって創られたからだ」,と言う見方もあれば,「ただ一つの物質の複合体から生じた結果だ」という見方もある。

 科学はよく「神は自然現象に関与していない(存在しない)ことを前提に考えている」と誤解している人がいますが,その人は科学的ではありません。というのは,ある現象においてある要因が関与「していない」ということを証明することはきわめて難しいわけです。どちらかというと関与「している」事実,原因を見つけ,そこから何々はこの現象に「関与していないだろう」と考察するほうが簡単なのです。しかし,私たちに神の御手は見えますか?見えません。どのように知ることができるでしょうか?現在の科学では見当が付きません。しかし,現実に創造者を信じている人がいるし,イエスキリストはよみがえったと言う。風は目に見えないけど存在はわかるように「神は御存在されるかもしれない!」という仮説は科学の根底にあって然りであると思います。

 駄文が連なってしまいましたが,創造を信じることは科学的なことであると考えます。ただ,聖書を一読するとわかりますが,罪人(人類)は神から離れたがるわけです。ですから,科学においても神さまを否定したがっているのかもしれませんね。
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なぜアウストラロピテクスは現代人の祖先種では無い、と思いますか?


どうしてダーウィンは間違っていると思いますか?
色々な学説を聞き、色々な物証を知り、それらの中から“自分はどう考えるか”という事の方が重要です。

進化の過程を肉眼で確認できない以上、全ての学説は推測の域を出ません。その中で、最も確からしいと思われる説が、通説として広く認知されるだけの事です。教科書が間違っていると思うのと同等か、それ以下の根拠をもって、テレビや本の内容が間違っていると言えるのではないでしょうか。

教科書に載っているストーリーは、いちばん信頼性が高いと判断されて採用されているだけです。実際には、進化の過程が1つのマニュアルのように説明できるとは思えません。複雑な要素の中で、色々な出来事や偶然が折り重なっているはずです。ここに、さもひとつの公式のように書かなければならない教科書とのギャップが生じます。同様に、様々な学説についても、いち側面を切り取っているだけに過ぎない事を忘れないで下さい。

「生命の進化」という考え方には様々な物証や学説があるので反論する事が簡単です。一方、「神による創造」という考え方には何の証拠も根拠も無いので、反論したくても反論の材料が見つかりません。信じてしまった者勝ちです。どっちが正しいか?と単純に二元化できるものでも無いと思います。
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創造論を信じるためには、創造者を比定する必要があります。

ま、一般には神と呼ばれますが(グノーシス主義などでは創造主は真の英知を写し取っただけの不完全な存在とされますが)。

では、神は創造されたのでしょうか、はじめから完全な存在なのでしょうか。はじめから完全な存在ならなぜ不完全な世界を創造したのでしょうか(近所のネコの種類は間違いなく聖書やコーランの書かれた時代の後に生まれていますし)。それとも神は「進化」の途上にあるのでしょうか? いや、未来に至るすべてはあらかじめ創造されていて、運命は決まっている(したがって終末に下る最後の審判で神の国に導かれる人もあらかじめ決まっていて、人間の努力はすべてむなしい)、という神学上の議論もあります。だとするとこの考えは進化論を否定しないわけです。神は進化するように生物を創造した、ということでOKですから。

創造論を信じるということは、説明できないことを棚上げしているだけで、創造論が証明が不可能なことは進化説(進化説、が正しいですね。創造論はメタ理論=とにかく正しいという信念に基づく、証明の必要のないと信じられる論、なので創造説はおかしいと思いますが)の比ではありません。

ちなみに、なにものかが科学で説明できないから存在しない、という考え方は、科学万能主義と紙一重の考え方です。ニュートンもダーウィンも神への信仰を持っていて、この世の出来事が精緻に仕組まれていることに神の英知を感じていたといいます。つまり、世の中のことが説明できるということ自体が驚きだったのです。
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★いつもはどちらかといえばキリスト教的な意見を書き込むんですが、


生物カテですので、科学の名においてお答えしますね。

ダーウィンの進化論が学会で正式に否定された。というのは宗教家が進化論を否定する際に用いる論法のひとつです。
 ですが、これらはダーウィンの主張のつじつまの合わない箇所を否定する新説をぶつけることによって、種の進化を補完するものです。
 科学は、たえずその時代の科学者によって本当に正しいのかという事を検証され、補完し合い、それにより真実を追い求めているものなのです。
宗教も科学も、真実を求めているのは一緒ですが、模索する道程が異なるのですよね。それを忘れてはなりません。

人類の進化については、このウエブがわかりやすく参考になりますよ。
http://www1.fctv.ne.jp/~ken-yao/Zinrui.htm

また、進化論と創造論について論じた日本語のウエブは少数なのですが、
有名どころを参考URLに提示しておきますね。

参考URL:http://members.at.infoseek.co.jp/kuha_72/
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直接の答えにはなりませんが、私はこう考えます。

人間は生まれたときも人間であるといいますが、実際には大人の人とは全く違います。だんだん大人のようになってきますが、どこから一人前の人になったというのかわからないことがあります。現在どんなに偉いといわれている人でも生まれたときには普通の赤ん坊だったわけで創造説的に偉い人がいるというのはあまりピンときません。
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当方も学生の頃、似たような疑問を持ち教師に疑問をぶつけた事があります。


よって、その時に得た事を少々。

1)進化論(説)、創造論(説)は共に論説であって証明されていない。
2)放射性物質を利用した年代測定には「前提」となる条件があり、それが
  生じていない事を前提に算出されている。
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>アウストラロピテクスはただのチンパンジー(もしくはその祖先か絶滅種)でその真下から人間の(祖先の)骨が見つかった。

という話
>ジャワ原人や北京原人もただのサルだと言う事でした

そういう説は一般的には認められていません。そもそもアウストラロピテクス群、といういいかたをご存知でしょうか?「もっともサル(というかサルと人の共通祖先)に近い生き物」の化石は一体ではありません。系統樹上、やはり既にヒトになっているのではないか、という説の方が有力です。

原人についてはむしろ彼らがサルだという説は奇説に属すると思います。まあ、現代人以外をヒトだと考えたくないのであればみんなサルになっちゃうのかもしれませんが、はっきりいえるのは彼らは現生サルのご先祖ではない、一方われわれのご先祖だということを特に否定する理由もない、ということです。
そういう意味でその「テレビかなにか」こそ、まともな説とは言えません。
ですから授業が嘘を教えた、というより、この場合一般に通用している説を教えただけです。歴史の授業はそういうものですよね。明らかな嘘、というのはむしろサルだというきめつけのほうです。少なくとも「原人」については百歩譲っても奇説です。

>ダーウィンの進化論は20年以上も前に学会で(正式に?)否定され、それにかわる新たな進化論も疑問だらけという話を聞いた事があります。

これもよく誤解されるのですが、ダーウィン説=進化論ではありません。進化があるのはむしろ歴然としているのです。ダーウィンはこの進化のメカニズムとして「生存競争による、適者生存」「自然淘汰」をあげているわけで、正しくは「自然淘汰による進化説」です。

学会で、というのは特に意味がありません。学会をなのる集団なんぞ実はあなた一人でも作れます。(実際ある種の商品を売ることだけを目的にした、「学会」さえあります)
ですから、どの学会が、ダーウィン説のどの論拠を否定したのか、ということを考えない限り、惑わされるだけです。

少なくとも放射性物質を使った年代測定によれば、億年単位の過去にヒトの化石は全く見つかっていませんが、他の生物の化石は山ほどあります。
これらの化石の年代を考えるとき、進化を否定するのはできそうもないことです(大まかですが系統樹のようなものもかんがえられています)。
それと、進化のメカニズムがわかっていないこととは別問題です。
たとえば重力の存在を否定するのは困難ですよね?しかし重力がどうしてはたらくのか、についての根本的な(相対論じゃなくて統一理論ですが)メカニズムはわかっていません。このことをもって重力を否定するのは馬鹿げています。

それから科学が何でも説明できるということはありえません。何でも説明できる学問/宗教というのは危険です。たいていの場合それは独断にはまっているからです。
いろいろ説がある=どれが正しいのか、というのもちょっと。どれも間違い、あるいはどれも少しずつ正しい、あるいは部分的に正しい、など正しさにもいろいろあります。
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少し古い本ですが、長谷川政美「DNAからみた人類の起源と進化」(海鳴社)に、現生ヒトと類人猿の遺伝的距離を求めています。

正確には覚えていませんが、ヒトがチンパンジーと分かれたのは2百万年前で、考古学者の説よりずいぶん新しいので受け入れられていなかったと思います。
その中で、化石のラマピテクスはヒトの祖先ではなくオランウータンの系統ではないか、やはり化石のアフリカヌス・ロブストゥスはヒトの祖先と共存していた時代があるのでヒトの祖先ではあり得ないとしています。
このように、新たな議論が出てくれば従来の学説が改められることがあるわけで、それが学問の進歩です。
ダーウィンの進化論にいろいろな批判があるようですが、正式に学会で否定されたことはないと思います。
いずれにせよ、ダーウィンの進化論に疑問点があるからといって直ちに創造科学に走るのはどうでしょうか。極端なたとえですが、「ロンドン爆破事件で無実のブラジル青年が誤殺されたから、爆破事件は全てイギリス警察の陰謀だ」という主張に近く聞こえます。
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進化論の真偽は不明ですが、主張にはそれなりの根拠があるように思えます。


他方で、創造説は、多くの人々の素朴な世界観に合致するかもしれませんね。
ただ、「科学」とは反証可能でなければなりません。
神が人を創ったという主張は反証が可能な主張ということはできません。
こういう観点からいえば、進化論の方が科学的な主張と私は考えます。
教育の場では、科学的なものが優先して教えられて行くべきではないでしょうか?
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