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ヘレニズムにはディオゲネスという人がコスモポリタニズムを主張したと思うのですが、この考え方は、世界市民主義と同じ内容のものなのでしょうか。家や都市や国家を否定し、宇宙の至る所をすみかとするのがディオゲネスのコスモポリタニズムの考え方ですよね。それに対して世界市民主義はヘレニズムに住む人々すべてにたいして同胞意識を持つという内容ですよね。名前が似ているのですがどうなのでしょうか。よろしくお願いします。

A 回答 (1件)

 


  どうも回答に自信がないというか、問題が難しいように思えます。以下に考えを述べてみますが、これでよいのかどうか分かりません。
 
  まず、困惑するのは、コスモポリタニズム Cosmopolitanism とは、世界市民主義のことではないのかということです。英語での言葉をカタカナ読みすると、コスモポリタニズムになり、その訳が世界市民主義だと思うのです。また、コスモポリタニズムの提唱者、擁護者、主張者と、コスモポリタンは違うということもあります。古代ギリシアなら、コスモポリタンは自称できたかも知れませんが、現代では、コスモポリタンとは、「無国籍の人」のことかということにもなります。
 
  それはとまれ、シノペのディオゲネース乃至キュニコス派の主張したであろうコスモポリタニズムと、ヘレニズム時代を特徴付けるコスモポリタニズムについて、何が違うのかを考えることはできるのではないかと思います。(わたしは専門家でも知識人でもないので、勝手な印象ですが。何か参考になればと思い記します)。
 
  ディオゲネース及びキュニコス派は、中国の老荘思想とはだいぶ違っているとは思いますが、文明によって人間がむしろ不幸になるのであり、人為や作為で物質的豊かさを築いても、それは幸福には繋がらないという考えを持っていたはずです。人為的なものとしては、例えば、貧富の差とか、貴賤の差とか、更にどこのポリスの市民かというような差がそうだと考えたのでしょう。ディオゲネースは、物質的な財物を一切持たず、乞食のような暮らしをしたそうですが(それはキュニコス派の人たちも同様理想とした生き方です)、みずからの生活実戦で、貧富や貴賤や出身ポリスの区別などを超越したとも言えます。
 
  このようなディオゲネースの考え・生き方は、ポリスという人為の機構を否定するもので、無ポリス主義だとも言えそうですが、また、この世界(コスモス,Cosmos)を、我がポリス、我が属する国、我が故郷、我が家だとすることからすると、ディオゲネースは、「世界市民=コスモポリタン」であるという肯定的な意味にもなります。「お前はどこのポリスの者か?」という問いに、答えるとすると、「どこのポリスの者でもない、この世界(コスモス)が、わしの家だ」となり、こういう主張・思想は、コスモポリタニズムだとも言えます。
 
  他方、ヘレニズム時代は、或る意味、激動と激しい文化的シンクレティズムと混乱の時代でもあり、古典ギリシア文明の精華が花開いたアテナイ等は、ソ-クラテースの裁判の歴史的背景事情から知られるように、ポリス間の覇権争いになり、内部分裂を始めていたとも言えます。古典ギリシア文明は、プラトーンの頃には、頽廃を迎えていたとも言え、文化に縁のない辺境の半バルバロイだと見下げられていたマケドニアが、武力によって、結局、ギリシア・諸ポリスの内乱を鎮定し、ギリシアを統一してしまいます。このような古典ギリシアの豊かな文化と平和の崩壊は、ギリシアの知識人に大きな衝撃を与え、ポリスの政治家でもあった、知識人階層の人々は、自己の外部の世界との関わりにおける「無力感」を痛感します。ここから、個人の内面や、親しい友人たちのあいだでの平和や心の安寧を願う、ストア主義やエピクロス主義などのヘレニズム時代の代表的思想が萌芽したとも言えます。
 
  しかし、それは古典ギリシアの指導的知識人たちの、コスモスの統治に対する失意と自信喪失であって、アレクサンドロスは、ギリシア世界を統一した後、エジプト、シリアをも征服し、西アジアの大文化帝国アケメネス朝ペルシアをも征服して、更にインド近くまで攻め寄せます。アレクサンドロスの大帝国は、大王が征服事業に一段落付けるや、たちまち病死した為、一つの統一帝国としては存続しませんでしたが、アレクサンドロスの軍隊は、一種の多国籍軍であり、アレクサンドロスは、出身民族や文化の垣根を払い、まさに貧富、貴賤、所属民族の隔てを超えて、諸市民、諸民族のあだの平等と宥和を宣言したとも言えます。アレクサンドロスは、旧ペルシアの皇女とみずから婚儀を結び、麾下のギリシア将兵3000人か2000人にも、それぞれペルシア人の妻をめあわせ、「諸民族の融合・宥和」「世界市民の共存」の理想をペルシアの旧都にあって宣言します。
 
  ローマが世界帝国を築いて Pax Romana をアウグストゥスが宣言する三世紀前に、ローマよりも広い領域において、諸文明のあいだのシンクレティズムが宣言され、それは実際に有効になったのです。アレクサンドロスの征服した領域において、アレクサンドロス帝国、言い換えれば「ヘレニズム世界」の市民であるという自覚が人々のあいだに起こり、東西の文明の交流と、それらの混合された、新しい文明が立ち上がったといえるでしょう。古典ギリシア語は、コイネー(共通)ギリシア語となり、帝国の共通語ともなり、東西文明を結びつける「共通性・コイネー」ともなったのだと言えます。この共通の基盤の上に、エジプトのイシス信仰や、ミトラ信仰、ペルシアのゾロアスター教などの帝国領域への布教が可能になり、また、この基盤の上に、キリスト教が成立し、流布されたとも言え、更にそれは、ササン朝ペルシアを超えて、イスラムがユダヤ教を媒介として成立する前提になったとも言えるでしょう。
 
  この「アレクサンドロス帝国=ヘレニズム世界」の「共通世界」とは、大王みずから示した民族の垣根を超えての宥和、ペルシア人とギリシア人の区別無き、或る意味の同胞意識の生成とも言え、ヘレニズム世界市民意識の成立とも言えるでしょう。ヘレニズム世界に、未開も文明も含まれ、それは、ヘレニズムの世界共通理念の光のなかで、ヘレニズムという宇宙=コスモスに生きる市民こそが自分たちであるという自覚をもたらし、これをヘレニズムの「世界市民主義=コスモポリタニズム」とも言えるでしょう。ローマ市民権を持っていた原始キリスト教の宣明者パウロスの地中海世界での広汎な活躍は、彼の操る共通語、コイネー・ギリシア語によって可能だったとも言え、パウロスは、ユダヤ人の宗教・ユダヤ教と、その異端分派とも言えるナザレ派ユダヤ教を、小アジアに伝え、ローマに伝え、普遍民族の救済宗教である原始キリスト教へと揚棄したとも言えるのです。
 
  ローマ帝国が、その特権的市民権を属州人民全員に付与する前に、ヘレニズムの理念において、世界同胞の思想、世界国家の理想が成立していたし、現実に、文化交流や、通商などにおいて、実現していたとも言えるでしょう。これは、ヘレニズムの世界市民主義とも言える何かであり、ローマ帝国が継承し、西欧文明における、西欧は一つの文明世界であるという自覚の起源ともなっているものでしょう。
 
  しかし、そのようなヘレニズム時代のまさにただなかにあって、古典ギリシアの衰退は起こったのであり、最初に述べた、ある意味厭世的な、消極的な思想あるいは宗教とも言える、ストアやエピクーロス派の思想・哲学が、ヘレニズムの知識人や富裕階級を魅了したのです。「みずからの力の及ばない領域については、悩むことなく諦観を持って対し、みずからに何事かがなせる小世界内で、可能な幸福に満足することこそ智慧である。心のアタラクシアこそ、望むべき理想である」。ローマ帝国の支配者にして賢人たる、偉大なるマルクス・アウレーリウスは、悲惨なる世(コスモス)のありさまに心痛めつつ、ささやかな心の慰めに人生の意味を見いだしたというのは皮肉なのかも知れません。
 
  ディオゲネースのコスモポリアンは、遁世する隠者の世界市民であり、激動のヘレニズム文化がもたらしたコイネーのコスモポリタンは、次の時代を切り開くための新しい予期されるべき種子としての世界市民主義であったのでしょう。それは、ヘレニズム世界市民秩序として実現し、新プラトン主義や、ピロンの哲学を生み出し、また、それらの成果が、キリスト教であり、西欧共通世界であり、イスラム教であり、イスラム的世界市民主義なのかも知れません。
 
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この回答へのお礼

お返事どうもありがとうございます!!自分でゆっくり考えながら読まさせていただきました。自分の知らない内容や考え方などが見られたりして非常に興味深かったです。何度も読み返して自分でもっと考えてみたいと思います。どうもありがとうございました。

お礼日時:2001/11/16 03:24

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