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今年日本は太平洋戦争から60年がたちました。
僕ははだしのゲンの本や、特番の「ヒロシマ」など、いろいろ見てきましたが、一つあることが気にかかりました。
・8月6日はいまで言う夏休みなのになぜ学校に登校 するのでしょうか?

これが気にかかってます。よろしくおねがいします。

A 回答 (5件)

戦時中に夏休みは当然ながらあります。

無論、アメリカと戦争を開始した昭和16年以降も、夏休みに旅行に出ている子供(宮脇俊三ほか)もいます。
が、昭和20年に入ると都市部の空襲は苛烈を極め、ほとんどの学童は地方へ疎開して、授業自体が成立しなくなっていきます。
昭和20年4月、国民学校初等科以外の授業は打ち切りとなり、戦争で成人男性のほとんどは兵隊に出て行っていたため、工場などで働く人がいなくなったので、今でいう中学生以上の生徒などが勤労奉仕に駆り出されます。
要は正規のスケジュールで学校生活も日常生活も昭和20年春以降は出来なくなっていたという事です。広島では昭和20年の夏休みは8/10から8/20まで。広島は8/6まで目立った空襲はありませんでしたが、日常で正規の授業スケジュールが遂行できないので、出来る時に授業をしてしまおうという事で短縮夏休みです。ですので8/6の月曜日は登校日です。
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地域や学校によると思います。


日教組は反戦というのも、反政府運動の核にしていますので、日本社会に反核意識を持たせる為にそのようにしむけたのでしょう。
最近でも登校していますか?
最近は夏休み中の登校は、あまり聞きませんが。
長期の休みを取りたい教師の都合では無いでしょうか?
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こんばんは。



成人の男子が戦争に駆り出されて国内の労働力が不足した大戦末期は
もう子供たちの労力に頼るしかなかったのです。
その当時「学校工場」というのが各地にあって時には
風船爆弾を作ったり、あるいは運動場を畑にして
耕したりで何かと皆仕事していたようですね。

妹尾河童さんの「少年H」にもそのあたり書かれてます、
防空壕作るために穴掘る作業とか。

大変だったんですね、私も伝えるために知りたいこと多いです。

参考URL:http://www.yurindo.co.jp/yurin/back/393_3.html
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戦争末期に空襲が激しくなると、主要都市の国民学校の児童は田舎に避難する「学童疎開」が行われました。

しかし一部には家庭の支え、労働力として疎開を拒んだケースもあります。
また、政府は1944年7月より、国民学校高等科の生徒を軍需工場や作業に動員する「勤労動員」を始めます。広島でも「勤労動員」によって約800人の生徒が犠牲になっています。

参考:http://www.chugoku-np.co.jp/abom/04abom/04hirosh …
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忘れていませんか? 戦時中に休みなんて無いことを。



戦時中の学校というのは教育を行うという目的以上に集団教育を言う名目で、戦争に邪魔になる(足手まといになる)子供は一箇所に集めたほうが得策だったのではないでしょうか?

高校生が学徒動員までされているご時勢です。小学生でも何かの役にたっていたのでしょう
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