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どのカテゴリーで聞いてよいのか良く分かりませんでしたが、
とりあえずここで聞かせていただきます・・^_^;

私は外国語学部に在籍しているのですが、いつも疑問に思っていたのは
なぜこんなに女性が多いのかな、ということでした。

理系(といっても幅広いでしょうけど)の、特に工学部とかいった辺りには
男性が多いのに大して、文系の学部には女性が多いような気がします。

これはいったい何故なんでしょうか?
男女では、脳ミソのつくりが違うのでしょうか?
以前「・・(何とか)、地図が読めない女」という
本があったような気がします。
何か関係はありますか?

A 回答 (5件)

No2の回答について:男女差を遺伝的差に求めようという説は、事象を簡単に説明できるため、巷では多用されておりますが、そもそも人間脳についてはほとんど解明されてないといっても過言ではなく、No2さんのような主張をする科学者も確かに存在しますが仮説にしか過ぎず、定説になってはいない、というのが私の真意です。



ホルモンの違いが身体の生成に影響を及ぼすのは事実ですが、それが脳神経にどのように働くのかは、未解明です。さらに脳神経がどう集まって高次機能(読解、図形操作など)を生み出すのか、今漸く手をつけら始めた課題です。現段階で何か言うには早すぎるでしょう。

明確に差がある、というのは男女で必ず違う何かが存在する(XY染色体のような)、ということで現段階ではそのような神経網や機能の違いは発見されてないと思いますが、もしあるのならばどなたかご教授いただければ幸いです。

似たようなケースとして、黒人と白人の知能テストの結果の違いを説明するために、脳構造そのものに違いを求めようとする研究が行われましたが、結果は否定的見解に終わった、と記憶しています。いずれにせよ、すべての現象の説明を遺伝子に求めるには、まだ我々の科学は力不足である、というのが私の認識です。
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この回答へのお礼

ソシュールもこれに近いですよね。
人間には言語を習得する先天的装置が備わっているから、
子供はいとも簡単に言語を習得するのだ、と・・。
そうかもしれないなと納得してしまいがちですが、
冷静に考えれば仮説でしかないのですね。

いろいろな側面から考えてみたいと思います。

お礼日時:2001/12/03 19:55

 


  回答者同士の議論は禁じられていますので、質問者に補足を述べます。
 
  わたしの回答の要点は、理科系と文化系の男女の偏りについて、第一に、男女の心身基盤という一次要因を述べ、次に、成長過程における、広義の経験によるオリエンテーションという二次的要因を述べ、最後に、大学の学科を選ぶにおいて参照される、その時点の社会の期待、社会の制度のありようを、三次要因として述べ、立体的に理由を説明しようとしたものです。「時代の反映」という説明も、実は、この三次要因である現社会の期待や制度のありように起因するのです。
 
  また、ジェンダーの多様性や、sexual diversity という事実があるのであり、これを認めないのは、男は男として育てられるので男になり、女は女として育てられるので女になるという、シモーヌ・ド・ボーヴォワールの本の冒頭に書かれている言葉(これは敷衍表現です。しかしシモーヌの著書はこのようなテーゼに基づいています)のままで、現在、ボーヴォワールのこのような見解は不十分であったことが知られています。男と女がいるのではなく、男女のあいだで連続したスペクトルがあり、「発生的発達的に、男女は実は連続している」のです。
 
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gelgelさんの説明、またsiam22さんの推測のような側面も否定出来ませんが、私は一言でいえば時代の反映だとみています。



30年ぐらい前までは女子の進学は圧倒的に短大までで、4年制大学への進学は一部のお嬢様大学(学部)は別として、しっかりした目的意識をもった女性だけが進学していたように思います。当時、外国語学部に学ぶ女子はほとんどが英語とフランス語学科で、スペイン語、ドイツ語、イタリア語、ロシア語、中国語、インドネシア語、韓国語等は女子学生はゼロが貴重な存在でした。(私は40年前に在籍)

その後、日本の高度成長、国際化、女性の社会進出などが重なり、4年生大学への女子学生の進学が急増しました。それぞれの国(地域)の変化があり、外国語学部における各外国語の位置付け(人気度)も時代を反映して変わってきています。社会(日本)のニーズも変ってきました。このような変化の中で同じく変化を続けてきた女性が、他の職場に進出したのと同じように外国語学部にも進出してきたのです。女子学生を分析すれば、社会の変化の中での自然増(ニーズに応える)の部分と4年生大卒が当然と考える女性の増加に起因する部分(即ち、外国語がおもしろそう、かっこいい、外国への憧れなど、はっきりした目的がない学生)があると思います。このままの傾向が続けば、学園祭の語学劇で男役が不足する(昔は女子不足だった)時代がくるかもしれませんね。
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この回答へのお礼

確かにそういう話は聞いたことがあります。
昔は外国語学部でも、半数以上が男性で、
女性はごく少数だったのですね。

外国への憧れ、とか、はっきりした目的が無いのは
ごもっともでしょう。
でも実際は経済学部の学生なんかを覗いてみると・・・。
もっと目的をもっている人の比率は下がるでしょうね。

お礼日時:2001/12/03 19:50

 


  まず、男女の脳に差がないというのは、根拠のない主張です。明確に差があります。それは、男女で身体の作りが異なっているのと同じことです。また、この故に、男女では、思考や感情の働きにも差異が出てきます。
 
  男女を差別するために、こういうことを述べているのではなく、事実であるからです。男女の脳でどちらが優れているかというのは、あまり意味がなく、どういう風な特徴があるかで意味があり、また、それが男女の文化系と理科系の分化の一つの理由となっています。男女の脳の差異は、嬰児-胎児段階でのホルモンの作用による発生的分化で、母親の性ホルモンの影響と、後期には胎児自身の作り出す性ホルモンの影響で分化が起こります。この過程はかなり詳しく分かっており、分化のタイミング(性ホルモン・シャワーの発生)が概ね分かっています。細かく言えば、男の脳と女の脳というより、どの段階で、どういう発生分化をしたかが問題になります。
  
  脳の差異だけでなく、身体的にも男女では構造が異なり、男性よりも女性の方が苦痛に対し耐性があるとか、身体が丈夫であるとか、女性の方がバイオリズムの直接的影響を受けやすく、そのことと同じことなのですが、生物的に、自然であるということもあります(男性は、生物的には不自然なところがあるということです。動物一般は、身体の状態についての信号に従って行動しますが、男性の場合、抽象能力が高い代わりに、身体の状態についての信号を無視するようになっています)。
  
  発生的な分化は、胎児段階だけではなく、誕生後の成長でも関係し、男女共に、性ホルモンによって、心身が影響を受けますが、女性の方が、その影響が大きいとも言えます。
  
  生育環境や、社会での期待や、成長における経験などの影響で、男女の得意な行動・心理機能などのセパレーションが起こるとも考えられます。
  
  女性は、生育環境や経験などで、人間的インタレスト(対人的配慮)などに関心が向かい、他人の感情に感情移入することが得意となるということもありますが、心身の機構から、対人的・社会的関心が優越し、男性は、対物質的・抽象的・理論的関心が優越するという「基礎」があります。
  
  この「基礎」の上に、もう一つ、男生徒と女生徒で、前者は活動的であることが期待され、後者は維持的・控えめであることが期待されるため、理科・数学などは、男生徒が得意となり、社会・国語・外国語などは、女生徒の方が得意となるという分化が起こります。(少女を少年のように育てたり、その逆の場合、こういう結果と反対の傾向が出てきますが、観察の母集団を大きくすると、社会の期待や、環境・生育途上の経験や自己意識だけで、このような差異が生じるとは言えないことが分かって来ます。少女を男のように育てた場合でも、第二次性徴の発現する段階で、心身的な均衡の取り方が、男性と異なって来ます)。
 
  大学における文化系と理科系の男女の分化の不均衡は、卒業した後の社会の期待という要因でかなり決まって来ますが、それまでの生育過程において、すでに分化の原因の半分以上は成立してしまっています。
  
  男女が平等であるというのは、人格として、人間として対等ということで、男女には違いがないという訳ではありません。また、語学などは一般に女性の方が得意ですが、語学が不得意という女性は一杯おり、逆に語学がもの凄く得意だという男性も一杯います。その反対も言えます。数学・理科が得意な女性というものもいますし、数学がまったくできないという男性もいます。全体的に見てみると、単に社会の期待とか、生育過程の経験だけではなく、男女の「心身差」が、文化系と理科系の分化に一次的に影響し、二次的に、生育過程でのシャッフリングが影響し、三次的に、卒業後などの進路問題、社会の期待や、社会の既存制度による、シャッフリングが行われるというのが妥当でしょう。
 
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この回答へのお礼

生き物としてみたら、男女間で差があるのも確かに当然ですよね。
それプラス社会がそうさせる部分というのがあって
今の現状が生まれているということでしょうか。

ちょっと他の国についてのことも
知りたくなってきました。
もし男女が全く同じように育てられるような環境があれば、
脳のしくみの違いの部分だけがはっきりして
一目瞭然でしょうか・・・。

また自分なりに考えてみたいと思います。

お礼日時:2001/12/03 19:47

男女の脳のつくりに差がある、という説は、少なくとも私の知る限りでは学会では定説ではありません。

しかし、心理学者の調査では、確かに女性はコミュニケーションなどの文系的能力にたけ、男性は図形操作能力に優れている結果が出ています。

遺伝差でないのに差が存在する、ということは環境によるもの、と考えるのが妥当でしょう。一般に女性は幼い時から仲間と調和をとることを要請されます。女の子らしく、という言葉の意味は、相手の心理を推し量り、波風立たないように行動せよ、という意味を含んでいます。そのように育てられた子供は、言語能力が高くなるでしょう。

一方、男の子は幼い頃から積み木やミニカーなど、図形的な玩具を与えられがちです。男の子に人形やママゴトの道具を余りあげたりはしませんよね。その結果、地図を読むのがウマくなるのだと考えられます。

後、考えられるのは、職業からの要請です。一般に理系の方が就職に有利なので、一家の働き手としての役割を背負わされている男性は理系を意識的・無意識的に選択しがちです。(ビートたけしのお兄さんが、英語教師を目指しながらも母親の要請によって化学畑に転進した、というエピソードがあります)女性はそのようなコア的業務より、雑事的・事務的業務を任せられることが多いので、文系に進むケースが多いのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

回答どうもありがとうございます。
gelgelさんの意見はつまりジェンダー的な要素が
加わっているということでしょうか。

職業からそういう要請があるから
男女の差が生まれる・・・?
のでしょうか。
ちょっと面白い考えですね。参考になります。

お礼日時:2001/12/03 19:43

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