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新しいミレニアムでそれなりに盛りあがってますが、
もともと日本では西暦の意識はなかったはず。
いつからどのような形で西暦が使われるようになったか教えてください。

A 回答 (1件)

 戦国時代、キリスト教が伝われたときには、キリスタン仲間では「御出世以来千五百九十四年/日域文禄三年端月三日(高槻キリシタン文書)」とか「御出世以来一六ニ一年しやねいろ(ポルトガル語の1月)の二日(教皇パウロ五世宛京坂キリスタンの奉答書の日付)などに記載が見られますが、キリスト教の弾圧以来、の記述はなくなります。

その後、蘭学者や外国に明るい人物は、存在を知っていましたが、使用するという事は、キリスト教を認めることに直結されていましたので、明治になってからも、一般では使われませんでしたが留学生を中心にした知識人の間では便利さから明治2年には、津田真道が、キリスト紀元では抵抗があったためか、元号を廃して神武天皇紀元を採用するよう政府に建議し却下されましたが、明治5年の太政官布告で「(神武)紀元を日本紀元とする」と公式に決められ、第二次大戦終結まで使用されました。明治6年から
太陽暦を採用しましたときの木版の「明治六年太陽暦」には、には、大きく「神武天皇即位紀元当り二千五百卅三年」とあり、傍らに「西洋一千八百七十三年」とありま
す。すでに、キリスト教信者内では、支配者側に無用の混乱を避けるため、わざわざ中国語で「天主降生千八百六十八年歳次戊辰瞻礼記」なる表現もされて使用していました。暦の西暦表示は、この後、数年後西洋化に対する反動のためかなくなりました。教育では教えられましたし、大正、昭和と外国との交渉が多くなるにつれ、ハイカラな響きを持って、大衆社会には受け入れられました。でも、正式には「日本紀元」でした。
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この回答へのお礼

shoyosi様
早速の回答ありがとうございました。
大変参考になりました。
実は「日本人にとって」初めての新世紀では?
と思ったのですが、1901年当時でも
新世紀ということは意識されてたわけですね。
最初のミレニアムには違いありませんが・・・
これに関連して日本人の西暦3000年は来るでしょうか?
なんてことを考えてしまいます。
その頃はイスラム暦になってるかも知れません。
助かりました。取り急ぎお礼まで。

お礼日時:2000/12/12 17:47

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