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タイトルの意味が分かりにくくてすみません。今高校生ですが、高校生になってから視野が広くなり、色々な場面でいわゆる「生きてる世界」が違う人とも接触する機会が多くなりました。

例えば私は小学校から私立で周りはそれなりに頭がよく育ちが良い人が多かったのですが、普通の都立の人たちと話すとやっぱり全体的に「ノリが違う」「お互いの冗談が通じ合ってない」「何か会話の反応が遅い」などと感じます。(都立が悪いと言っているわけではありません)そこでついつい作り笑いで向こうのノリに合わせようとしてしまうのですが、全然楽しくありません。もちろん、もっと仲良くというか、意志の疎通ができるようになりたいという気持ちは強いんですけど。。

皆さんは自分とは生きてきた価値観が違う人と話すとき、違和感を覚えることはありますか?そんなときどうやって親しくなっていますか?

A 回答 (8件)

自分は、海外に住んだときに強烈に感じました。


豪邸に呼ばれても、自分のぼろアパートには呼び返せません。遊ぼうよといわれても、遊び方がぜんぜん違う、、、気がひけました。
でも、料理だけは おいしいおいしい!といってもらえたので、遊びに行くとき作って持っていって埋め合わせしたりしました。
数年かかってやっと、普通に暮らせるかと思ったら、帰国して、また、ギャップを感じました。

のりが違う、それは世代間でも、国内でも育った地域でも、親の考え方でも違うと思います、あわせなくちゃとか、なんか居心地悪いと思うよりは、自分の得意なことで何か貢献できたらいいかなとは思います。

突き詰めて考えれば、個々人それぞれ異文化を持っているはず。その異文化を楽しんだり、参考になるところは取り入れていくといいと自分は思います。
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こんにちは☆


すごく共感します!!
小学校の時は公立だったんですけど、中学高校は私立で。でも小学校のころってそんなこと感じないじゃないですか。
中学高校と私立でもすごく厳しいところだったので、本当質問者さんのいうとおり、それなりに頭がよく育ちが良い人たちとしか接触してなかった感じです。
大学に入って、いろんな人と触れ合って・・・いろいろ感じます。うんざりすることも、でも目からウロコなことも!
今大学2年なんですけど、大学1年の時は気付いてなくて、ちょうど1年前くらいに中高一緒の親友と話していて気付きました!
私も後天的な性格は、親や家の環境、親戚、学校、友達、で全く変わると思います。
公立の中学高校の妹がいますが、本当に価値観が違います。やっぱり、身近な環境で考え方は変わりますしね。

理想としては・・・いろんな人がいるんですから、いろいろ対応したいですよね。でも、なかなか難しいと思います。
私は、質問者さんの感じるような「ノリが違う」「お互いの冗談が通じ合ってない」「何か会話の反応が遅い」という人の話をしっかり聞いて、冗談がわからないときは「え!?今のはどこがおもしろいの?」と普通に聞きます(笑)
そんなこんなで、マイペースの天然キャラに思われちゃうんですけどね。
仲良く、意志の疎通ができるようにはなりますよ☆

ただ、私はそういう人と親友になれないかも・・・と思う今日この頃です。
でも、これは私の生まれ持った性格と、後天的な性格の合わさった結果なので、質問者さんは親友とかできるといいですね!!
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こんにちは。



社会人になればもっと生きている世界が違うなって思うことがたくさんあります。この先大人になっていくに連れて色々な場面で「あぁ、違うな」って思い、頭を悩まされます。
友達の間での違いは生きている世界と言うよりは性格や相性等の違いが関係しているのでは??育ちがいいから悪いから・私立だから都立だからというだけで互いの歯車が合わないんではなく、合わない理由をそういう風に思い込んでいるからよけい思ってしまうんじゃないでしょうか?
会社へ来るとそれはそれは価値観の違う人の集まりですよ。世代も違うし生きてきた道が違う人ばかりですからね。
私は会社で最年少なのでそんな人とも毎日作り笑顔で切り抜けています。逆らったらエライ目にあいますからね・・・。
生きている世界の違いをわかりやすく大きな例で言うと社長と社員。経営者の考えることは私たち雇われ側には全くといって理解不能です。でもこの大きな壁は友達じゃないからなんとか我慢できるんですが・・・。
年齢が近かければ近いほど互いの間の隙間はしんどいと感じます。
でもまだ高校生なんだし、そんな深く考えずによほど嫌な相手じゃないなら適当に付き合おう!ぐらいの気持ちでやっていったほうがいいと思いますよ。本当に心から笑い合える友達はすぐに見つかるものでもないと思いますし、気がつけばこの子が・・。みたいな感じで気づく事だってありますからね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>育ちがいいから悪いから・私立だから都立だからというだけで互いの歯車が合わない

とは思っていません。でも、何度も色々な場面で接してきた結果、個人個人がもって生まれた性格は環境とは関係ないものであっても、やっぱりそういう環境の中で後天的な「性格」は作られていくものなんじゃないかなぁと感じている程度です。でもその後天的な性格というのがクセモノで、いくらその人の本質とは関係なくても、やっぱり人間関係にはおおきな影響がある気がします。。

ごめんなさい、理屈こねてみました^^;とりあえずは、
>そんな深く考えずによほど嫌な相手じゃないなら適当に付き合おう!ぐらいの気持ち
でいってみようと思います!

お礼日時:2005/12/20 15:17

小学生の間は確かに私立だと話しにくいですよね。


高校になるとそこまでは・・・。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。そうなんですか?私は逆に小学校の頃の方が、どんな子とでもあまりギャップを感じなかったような気がします。。人それぞれですね。

お礼日時:2005/12/20 15:11

 こんにちは。



 私の場合は、

1.相手のことばや態度を虚心に見る(先入観をなくす)。
2.無理に仲良くなろうと思わない。
3.無理に親しくなろうとも思わない。
4.細かいことにこだわらない。

 違和感はあります。でもそれが、こちらや相手が構えすぎてることからくる違和感なのか、本当にどうしようもない違和感なのか、ちょっと付き合っただけじゃわかりませんよね。
 で、上記1~4の気分で「構え」をなくします。「人付き合いは鏡」といいます。こっちが構えていれば向こうも構えるんですね。
 で、「構え」なしでコミュニケートしてみて、だんだん親しくなってゆく感じです。
 どうしようもない違和感が、こちらに残るようなら、向こうも感じてることが多いものです。そういう場合は、もう距離を置くしかないですね。

 ご参考になれば。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。構えているとしたら、私の方かもしれません。気をつけてみます。

お礼日時:2005/12/20 15:11

こんにちは。

高校生の時は私も「生きている世界」が違う人と接する機会が大変多い時期でした。その時期に出会った友人とは、生きている世界は全然違いますが、今でもいい友人です。

私の場合は、ある意味質問者様と逆の環境でした。海外に留学し、同じ学校には外国のロイヤルファミリーの方も・・・。最初は戸惑いました。でも話してみると意外な共通点もあったり。生きている世界は全然違うけれど、その違いを知るのが楽しかったです^^彼女達にとっても私の生活や、色々な事がとても新鮮だったようです。

興味を持って違いを楽しむことですかね・・・。生きている世界や価値観は一人一人違いますが、それでもいい友達になれると思いますよ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。そうですよね…でも逆に、そこまで状況が違うとお互いに発見が多くて親しくなりやすいんですけど、もっと微々たる(でも確実な)感覚の違い、みたいな人との関わり合いが難しいんですよね(> <)

お礼日時:2005/12/20 15:10

基本的に、最初かみ合わなくてもとにかくしゃべり合うのがよいと思います。

フィーリングだけじゃなくて、その人の能力やネットワークをお互いに高め合うという協力の仕方もあります。

高校生では、社会人と違って別のもの(仲間意識?)を重視しますから、コミュニケーションを取るのはけっこう難しいですね。

ビジネスなら、何か不安や障害があったら先に解決・確認します。これからもっと視野が広がり、子供から年寄りまで、日本人から外国人まで相手にすると、もっと価値観が違う人が居ると分かります。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>基本的に、最初かみ合わなくてもとにかくしゃべり合うのがよいと思います。フィーリングだけじゃなくて、その人の能力やネットワークをお互いに高め合うという協力の仕方もあります。

そうしてみようと思います。たくさんしゃべり合うことで、だんだんその人と話すノリもつかめてきそうですね。

お礼日時:2005/12/20 13:09

質問者さんの言っている「世界が違う」は、私から見たらかなり似たような世界の住人に見えますよ。


だって同じ高校生ですからね。

でも、そもそも、人間一人一人価値観なんて違っていて、今質問者さんが同じ世界の人たちと考えているクラスメートだって、自分とは違う人間なのです。
あなたのおっしゃる、クラスメートと都立の人たちだって五十歩百歩の違いにすぎないと思いますよ。

それを当たり前と思えば、違和感は感じないし、その違いを楽しめるようになると思いますよ。
自分の知らないことを知っている人と話すことは、新鮮であり、限られた人生の中で、できるだけ多くの経験やそれに順ずる話を聞ける貴重なチャンスだと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。確かに違いがあることは当たり前だし、それを「へぇ~新鮮!」って思えることもありますよね。違うっていう気持ちをなるべくポジティブなものにしていきたいと思います。

お礼日時:2005/12/20 13:07

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