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高校教科書の用語集には「アカイア人とはドーリア人以前に南下(第1波)してきたギリシア人の総称」とあります。するとアイオリス人とイオニア人の総称になりますね。しかし、別の書物には「アイオリス人の一派がアカイア人」と書かれてました。正確な情報を教えてください。

A 回答 (3件)

イオニア、アイオリス、ドーリスといった民族区分は主に言語学的な定義であり、地理的な集団区分ではありません(図説などでははっきり色分けされて記されていることがよくあるので混同しやすいですが)。


アカイアは東方方言系、ドーリスは西方方言系と考えられていることは高校教科書でも記述されているかと思います。
アカイア人とは旧石器時代から後期青銅器時代までペロポネソス半島、コリントス湾周辺などに居住した東方系の言語集団のことで、前14世紀頃にはミケーネ文明を起て、前8世紀にはイオニア植民を主導しました。イオニア人とはこの移住に関わったアッティカ周辺のアカイア人の別称と捉えてもほぼよく、特にイオニア植民から古典期にかけてのアカイア人のことを指します。アテナイなどはイオニア系ポリスです。
アイオリス人はこの大植民時代のイオニア移住の際、アカイア人と平行して小アジア沿岸の北部に移住した一団で、元は前二千年紀末にボイオティア・テッサリアなどを中心にギリシア本土に居住していた集団のことです。
彼らもまたドーリス系に先行する段階からギリシア本土に居住していた集団であるため、広義にアカイア人の一部として認識される場合もありますが、言語的には混交があまりみられなかったことから、青銅器時代以降(とりわけミケーネ時代と諸ポリス勃興の時代)はアカイア人という一元的な括りでなく、イオニア、アイオリスと区別して認識されたほうがよろしいかもしれません。イオニア系とアイオリス系、両者の間では前二千年紀から一千年紀を通じてローカルに小規模な混血もあったとされますが、血縁的な近縁関係ははっきりしていなかったと記憶しています。
教科書の古い記述に反映されてはいませんが、近年ではアイオリス人をアカイア人の中に含めず、最初期の東方方言系住人をアカイア人、古典期のアッティカやイオニアにポリスを立てたその末裔をイオニア人、青銅器時代の後期から末期にギリシア北部から南下してきた東方方言系移民をアイオリス人、青銅器時代最末期に大規模な移住を行った西方方言系集団をドーリス人とし、全く区別して扱う研究者も増えているようです。
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この回答へのお礼

すると、「アカイア人の中の一部としてイオニア人がいた」「アカイア人にはアイオリス・イオニア人ともに含まれる」「アカイア人はアイオリス・イオニア・ドーリア人とは別のギリシア人」など諸説があるのですね。大変参考になりました。ありがとうございます。

お礼日時:2006/01/30 23:37

一応補足しておきますと、アカイア系の一派がイオニア人であることは史料的にほぼ疑いないことです。


現状、「アカイア系の中の一部としてイオニア人がいた(アイオリス人は同じ東方言語系にある可能性があるが、後のイオニア人に繋がるような純粋なアカイア系集団であるかどうかは定かでない)」、「アカイア系にはアイオリス・イオニア人ともに含まれる」とみなす両方の立場があるのですが、アカイア人とイオニア人を別の民族と考えることはありません。
(本土のアカイア系住民をアカイア人、小アジアへのアカイア系植民者をイオニア人、というふうに意識的に区別して記述することはあるかもしれませんが)

>アカイア人という一元的な括りでなく、イオニア、アイオリスと区別して認識されたほうがよろしいかもしれません。
この辺の文章で誤解されてしまったかもしれませんが、アカイア人とイオニア人の関係を否定したわけではありません。アイオリス人がアカイア系であるか否かを問うよりは、アカイア系という括り方をひとまず置いて、イオニア・アイオリス・ドーリスという大植民時代以降の言語区分で捉えたほうが理解しやすいのでは、といった意味での書き込みでした。
勘違いされていたらお詫びいたします。
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この回答へのお礼

よくわかりました。ありがとうございます。

お礼日時:2006/02/01 09:31

ギリシア人の中に、アイオリス人・イオニア人・ドーリア人がいたはずですが…。


ギリシア人を居住地域・方言で区別した分類ですよ。
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