プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

について調べています。

秦の始皇帝亡き後、宦官・趙高が家臣の粛清として「鹿を用意した」という説と「鹿の絵を用意した」という説とがあるようですが、これはどちらを信じたらよいのか困っています。

どなたかご存知の方おいででしたら、どうか教えて下さいませ。m(_ _)m 

A 回答 (4件)

私は仏教関連の言葉だと思っていましたが、ここに両方紹介されています。

。。

http://sunak2.cs.shinshu-u.ac.jp/~nakano/misc/la …

下のURLは、仏教関連説です。
http://www.osk.3web.ne.jp/~joganji/kotoba.htm

参考URL:http://www.osk.3web.ne.jp/~joganji/kotoba.htm
    • good
    • 0

莫迦、というのが梵語の表記のはずで、日本でも、莫迦という風に書く作家がかつてはいたものです。


しかしながら、今では「馬鹿」という字が宛てられています。
これを、中国の故事と結び付ける人もいるようですが、どうやら「愚か」の意味を持つものではないようなのです。
要するに、当て字である、と聞いたことがあります。
    • good
    • 0

 いろいろと説があり、正確な語源ははっきりしないと手元にある「中国故事物語」(河出書房出版)にあります。



 それによると、趙高は本物の鹿を2代目皇帝胡亥を奉ったとあります。始皇帝は、生前太子の扶蘇を位につけるよう言を遺しましたが、側近により凡庸な胡亥がかつぎだされます。胡亥は相当な馬鹿殿(再帰的表現ですみません)だったらしく趙高は難なく実権を握っていきます。

 ある日、馬だと言って鹿を見せられた皇帝以下臣下一同は目をまるくします。ただただ戸惑う者あり、「いや鹿でございます」と直言する者ありで、混乱するその場で鹿だと言った者を趙高は記憶に留めておき、その後その者たちを誅したという話です。

 この出来事を通じて、反対者を排除することに成功した趙高は益々権力を掌握しました。しかし結局胡亥は趙高によって殺され、趙高自身もその後、自分が秦王に立てた子嬰に殺されてしまいます。

 このようなエピソードを通じて「鹿をさして馬と為す」ということばは、無理を押し通し人を馬鹿にする意味で使われたといいます。

 同書からもう一つ紹介しますと、梵語では「無知」のことを"Moha"あるいは"Mahallaka"と言ったそうですが、この言葉に「慕何」という漢字が当てられ、それが「馬鹿」に変化したという説があるそうです。
 
    • good
    • 0

「ばか」は、雅語形容詞「はかなし(果敢無し)」の語根の強調形、という説もあります。



また、過去にこのサイトで「ばか」という言葉に関するQ&Aがあり、その中で「馬鹿」の語原について大変興味深い(あまり聞いたことのない)解釈をしておられる方がいました。
下記参考URLの、No.5の方の回答です。
よろしかったらご覧になってみて下さい。

参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=91501
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!