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伊達政宗(戦国時代)の当時は伊達を(だて)とは読まなかったそうです。いだて?いたつ?どっちかわかりませんがなんと呼んでいたのでしょう?
また、いつ頃からダテと呼ぶようになったのでしょう?その辺について詳しく載ってるHPなどあれば一緒に教えてください。

A 回答 (5件)

いだてと読んでいたそうですよ。


いつから変わったのかは書いてないかもしれませんが、参考にURLのせておきます。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E9%81%94% …
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余談になりますが、日本語では、語頭の「い」が脱落するのは意外によくある現象なのです。


「茨いばら」→「薔薇ばら」
「いづこ」→「づこ」→「どこ」
など、探せばいくつか出てきます。
話し言葉ですが、
「いやんなっちゃう」→「やんなっちゃう」
なんてのもあります。
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 中世以降のことはよくわからないのですが、少なくとも古代ではイタテ、あるいはイダテと読んでいたようです。

奥州に伊達、色麻の二つの郡があるのは、播磨国飾磨(シカマ)郡伊達郷に射楯兵主神社があり、その氏人が移り住んだためであると『地名辞書』は述べています。播磨国とは現在の兵庫県ことで、事実、陸奥国色麻郡に伊達神社、気仙郡に衣太手神社があります。もっとも衣太手神社は現在、イダテ、エダテ、キヌダテなどと呼ばれて一定していませんが。

参考文献:谷川健一『白鳥伝説』
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いだて、と読んでいたそうです。



それは、東北大学教授であり元仙台藩士でした人が証言していました。

とすれば、明治維新まででしょうか。

あくまで記憶ですが。
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ローマ法王?に使節を出したときのことを書かれた書物に


ローマ字でIDATEと書かれていたと思った
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