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昨年5月に再婚同士で一緒になりました。
彼女には6歳になる女の子がいます。今回、ご相談の趣旨は、この子に仕付けと称し、私が手を上げたことに始まります。
初めは、『嘘をついてはだめ!』に対し約束を破ったので平手打ちをしました。二度目は言うことをきかないのでお尻を何度も打ったのです。今、思えばそこまでする必要は全く有りませんでした。
そのときに付いた痣を妻の母親が見つけ、妻にも黙って児童相談所に預けてしまったのです。
最初はお母さんの自分の意志を無視した行為に腹を立てていた妻も、だんだんと子供が手元に戻らないことに苛立ちはじめ、今月の4日に実家の母親と今回のことで喧嘩をしたので、関係修復のために話してくると言い残し翌日、母親とともに離婚届けを持ってきました。
その時、妻が私に残した言葉は4っつ。『私しが逃げないと思ってた?』『あなたは貴方だけの幸せを考えて下さい。』『もう気持ちは残っていません』『貴方の為には、これが一番良いんです。』
最後の言葉には、今回の事で私に傷害罪がつくのではないかとの妻の心配、思いやりの気持ちがあったのかも知れません。
私としては『どうして?』という思いが強く、いまなを動揺しています。
当日は、マトモナ会話も無いなか母親が警察を呼ぶ始末『この男に娘が拉致されている』。それ以来、どうしてよいか分からず妻との会話を試みたい一心で弁護士にすべてを託しました。すると先方も即、弁護士を立てたのです。妻の心理は如何なものでしょうか?途中『子供は私が育てる!』という母親の言葉に危機感を妻が抱いていたのも事実であります。

A 回答 (4件)

#4です。

ご丁寧なご返事をいただきありがとうございました。
引き続き、率直な考えを述べさせていただきます。

「身を引くことが本当の意味での謝罪になる」と述べましたが、正確に言うと「これ以上関わることによって事態が好転することは無いだろう」という意味です。
文面からは、奥さんのお母さんが主導権を握っているかのような認識をお持ちのようにも感じましたが、奥さんの残した4つの言葉はかなり冷静な決意を示しているように思われます。
ご一緒になられてまだ1年も経っていないようですが、その間にすでに2度もお子さんに手を挙げておられますね。
「>支配欲が根底にある」というご見解は、おっしゃるとおりのように思います。
しかし、矛盾するようですが同時に愛情もあったはずです。
いや、これは正しい表現ではないかもしれません。
あなたは、支配することこそが愛だという認識を無意識の内にお持ちではないかと私は思います。
それが、「>どうして、このような事態を引き起こしてしまったのか?」
という疑問につながっているのではないでしょうか。

ご自身は、ご両親から「>この上なく可愛がられて育てられました」とのことですが、まさにその愛こそが重圧であり、蜘蛛の糸のように自分を絡め取る、表面上は拒否する根拠が見当たらないだけに気付きにくい、支配そのものの象徴になっていることは良くあります。
「>大人になりきれていない人間であることを自ら知ることになりました」
とおっしゃっていますが、大人になることを阻害してきたものに気付かなければ本来の意味での自立は難しいということも事実でしょう。
推測交じりで述べてきましたので、失礼がありましたらお詫びします。

今は、相手の立場・考え方を斟酌して、無条件で「実母に任せる」という度量を発揮すべき時のように思います。
弁護士を立てなければならないような状態で、どのような結末が期待できるというのか、仮にあなたの望みどおりの結果になったとして、それを何日間継続できるというのか、仮に継続できたとしてそれが果たして(特にお子さんにとって)本当に幸せな家族と言えるのか。
無論、どうするかはあなたのご自由ですが、この自明なことに、あなたほどの方が気付かないということが私には解せません。
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この回答へのお礼

おはようございます。
重ねての返信、ほんとうにありがとうございます。
おっしゃることの全ては現実を的確にとらえれていると下名も思います。
でも、今の私の希望(間違っていることはお教えいただいて承知してはおります)とは真っ向から逆のコメントをいただいてはおります。
私は本相談の場に甘えの機会、言葉を欲しているだけのようであります。
これ以上、貴殿(貴女)にご迷惑をお掛けするわけには行きません。
本当にありがとうございました。
頂きました多くのアドバイスは神妙に頂戴いたします。
これから、お教えの方向に自らを持って行けるのか否か、現時点では全く自信がありません。
重ねて恥ずかしいところを路傍したことをお詫びいたします。敬具

お礼日時:2006/02/23 08:09

ご質問文や回答者の方々へのご返事などの文面を拝見していると、あなたは非常に論理的、且つ理性的に物事を考えることのできる能力をお持ちの方だろうと拝察いたします。


その前提が間違いでなければ、人間は論理だけではなく感情の占める部分も非常に大きいものがあるという事実は容易にご理解いただけると思います。
まず、このことに良く留意しながら私見をご覧頂ければ有り難いと存じます。

お子さんをしつけようとしてお尻を叩くような行為は昔はごく普通だったように思いますし、程度問題ですが一概に虐待と捉えるのはどうかというのが私の考え方です。
また、虐待であるかどうかを文面だけで判断するのは不可能でしょうから、その判断については触れません。

最も重要なのは、奥さんとそのお母さんの信用をあなたが完全に失っているという事実です。
あなたは、奥さんの残したという、『私が逃げないと思ってた?』という言葉を非常に重いものとして受け止める必要があると私は感じます。
あなたが悪いかどうかは別問題です。
奥さんは、「自分が逃げて当然のことをあなたがやった」と思い込んでいるということですよね。
今は非常に後悔されているとのことで、あなた自身もそれをお認めになっているのだろうと思います。
私は、あなたの誠実さを感じます。
また、そんなつもりではなかったというあなたのお気持ちも真実だろうと思います。
お子さんも含めて、謝罪をした上で気持ちをわかってもらい再度出直したいというあなたの心情も良く理解できます。
そのお気持ちに一点の曇りもないことでしょうし、深く反省しているあなたのお立場からすれば、全く異論の立てようが無い論理ではないかと思います。

しかし、あえて申し上げますが、お子さんの立場になって少し考えていただければと思います。
子供は親に何を求めるでしょうか。
ありきたりな言葉ですが、やはり愛を求めるのではないでしょうか。
まだ6歳ということであれば、人生にはこれから様々なことが待ち受けているでしょう。
親の接し方ひとつで大きく性格も変わっていくだろうことは容易に想像できます。
殴ってでも止めさせなければならないようなことをしてしまう可能性だってあるでしょう。
その時にあなたは手を挙げることができるでしょうか。
仮に出来たとして、お子さんはそれを愛の証と感じることができるでしょうか。
あなたなら、おわかりになるはずです。

つまり、手を挙げるか挙げないかという問題ではもはや無いということだろうと思います。
あなたは自分の力で奥さんとお子さんを幸せにしたいと思っている。
しかし、お二人はあなたの力を借りて幸せになることを拒否しているということです。

あなたは、お子さんをしつけて教育していくことはできるかもしれません。
しかし、理屈ではない、最も重要な要素である愛を与える事はもはや不可能だろうと思います。
あなたが現在愛と思っているものは、実は気遣いであり、心配りにすぎないのではないでしょうか。
否定されてもかまいませんが、愛は受け取る側が愛と思えなければ、これほどわずらわしいものはないでしょう。

必要なものは『信頼』でした。
そして何が信頼になるかは人それぞれ違います。
今回の場合、ご自身の信頼を表明する方法が通用しなかったということでしょう。
論理でねじ伏せようとすることは諦めて潔く身を引くことが、本当の意味での謝罪になるでしょうし、お互いのためになることではないかと感じます。
感情に逆らって理屈で是非を問おうとするのは、「愛」の絡む事柄の解決方法としては明らかに不適切であろうと思う次第です。

この回答への補足

精神込もる返信いただき感謝の申し上げようもありません。
また貴殿からの指摘に対し異論を述べる余地がないことも承知しております。
たいへん申し訳ありませんが、もう少しだけお付き合いいただけないでしょうか。
今回、自分がどうして子供に手を上げたのか?日々、自問自答して参りました。新聞、雑誌、インターネットほか、あるとあらゆるメデイア、会社の上司、先輩ほか。
そこから得た答えは、人の支配欲(他人を従属させることで満足を得たい)が根底にあるということでした。身近な例では子供の兄弟で、兄が弟に、姉妹であれば姉が妹に・・・。それが今回は妻の連れ子に向いたのです。
許されることではありません。
その子は私から理不尽な叱られ方をしてもまだ、私に憎悪を抱くこともなく、むしろ愛されたいという気持ちをありありと表情に出ておりました。
申し訳ない、謝りたい、そして出来ることであれば心から抱きしめさせて欲しい。『パパの病気は治ったから、もう心配要らないからと。』
私から虐待を受けた子供の心は、私から離れ時間の経過とともに傷はいえるのかもしれません。でも、時に思い出したときに、あの時は何故?と必ず思い起こすことがあると思います。
いや、これは自分の思いを通したいための言い回しであることも分かってはおります。
それでもなお、貴殿の言われる『本当の意味での謝罪にむけて』動く勇気がありません。情けない人間であります。
私自身、親には、このうえなく可愛がられて育てられました。家の前で、おばさんが草取りをしていると『かわいそう、草も生きてるから抜かないで!』と言いながら土を両手で押さえなおすような行動をとる子供でした。
どうして、このような事態を引き起こしてしまったのか?
他人の子供を育てることの本当の意味、自分だけが可愛い、等々、考え違いがはなはだ激しく、大人になりきれていない人間であることを自ら知ることになりました。お恥ずかしい次第です。

補足日時:2006/02/22 18:40
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あなたは軽く「痣」としか触れていませんが、親権者(あなた及び配偶者)以外の人間(義母)が児童相談所に措置依頼をして、親権者(あなた及び配偶者)の求めに応じることなく、児童相談所が児童をあなた方夫婦の手元に帰さないということは、虐待があったと施設が認知しているからではありませんか?あなた自身「今、思えばそこまでする必要は全く有りませんでした。

」とおっしゃってますしね。

虐待があったとすれば、義母の対応は当然でしょうし、説得の結果あなたの配偶者がその考えに同意するのも当然だと思います。

以上、仮定での話ですが、そしそうなら賢明な判断をされた配偶者及び義母の希望に従うほかないんじゃないでしょうか。
弁護士を立てて・・・云々で、ごたごたすることなく相手の気持ちを尊重してさっさと別れられるべきだと思いますが。
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この回答へのお礼

厳しいご指摘、神妙にいただきます。
私としては、現在、猛反省中でありまして、子供に対し何とか謝罪の機会をもらいたい思いがあります。
虐待は許されるものでないことも承知したおりますし、今は後悔の念でいっぱいです。
ただ、その行為の最中には気づきませんでした。
私自身、親に仕付けで体罰はあたりまえの時代に育ちましたし、学校の先輩、先生に殴られることは日常茶飯事の時代でありました。
しかし、今回は自分の血を引いた子供ではなく、且つ幼く、しかも女の子です。とにかく謝りたい。その思いは強くなるばかりです。
そして出来得ることであれば自分の手で、もう一度、妻と子を責任を持って幸せにしてあげたい。と思っております。
貴方のおっしゃりようも重々、理解できます。
ただ、当時は、その子を良い方向に育てたいという思いからの過ちであったことも事実です。

お礼日時:2006/02/22 16:23

質問者さんとしゃべりたくない。


以上でしょう。

当事者がでて話し合いすると、感情的になってしまうので、それを避けたというものあるでしょう。
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この回答へのお礼

明快な回答、ありがとうございます。
言われる通りかと。返信の方、深謝申し上げます。敬具

お礼日時:2006/02/22 16:10

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