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 正直、自分は「人の不幸」をみると安堵するんですが、どうしてこういう心理になるんでしょうか?。
 子供の頃は純粋に「かわいそう・・・」と思っていたんですが、年を取るにつれついていない人生に気づき、最近は不幸なニュースを見るたびに「ガッツポーズ」を決めています。
 一種の報復的心理なんでしょうか?。

A 回答 (5件)

人間という生き物が持つ永遠の真理。


「隣りの芝生は青く見える」
「他人の不幸は密の味」です。

自分に「ついてない」ことが起きると、何にもない他人が羨ましく思えます。
「俺はついてないよ。ダメだな~」
「あいつは何もないしいいな~」
「よその人も結構調子良いようでいいな~」
「こいつは恵また人生を送っているようで羨ましいな~」
*これがまさに「隣りの芝生が青く見えている状態」です。

→ところが「恵まれている」と思っていた人が、思わぬ不幸に見舞われたことを知ったとき、これは青いと思っていた芝生もよく見てみたら枯れ始めている事に気付いた瞬間です。
→「なんだ、こいつもよく見ればそんなに恵まれているばっかりじゃないんだ。良かった、ホッ!」

*これが「他人の不幸は密の味」へと変わる瞬間です。

人間はこの二つの感情の挟間を行ったり来たりです。
決して報復的心理なんかではありません。

ただ、ガッツポーズはやりすぎ。
生まれっぱなしの心のままに自然に生きて行くと、この感情の揺れのまま大人になってしまいます。

ここは、「隣りの芝生には枯れている所もある」そして「他人の幸は密の味」と思えるようになる努力が必要でしょうね。

ところが、「恵まれているな~」
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別に異常とかではないですよ。

「序列原理」かもしれませんね。

何か恨みがあるわけでも、サドマゾではなくても、感じることと、実行に移すことは全然別ですから。

本当に自分と相手が殺し合うまで闘ったのでは、種が絶滅してしまうので、ある程度距離を置いた闘争で、敗者が勝者に従うという予後期待。集団で生活する動物、社会性のある動物には敗従本能があります。それが序列原理です。

その根本となる欲求は敵意ではなく、スキンシップを原型とする親和充足だったりします。つまり相手を必要に感じ、正当に評価されたいともしているのです。

人の心理は芸術を観賞するにしても対照的なもので表現させたりしますが(喜びの涙など)、なぜか逆さまなものが多いです。
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良くわかります。


親の愛に包まれて(一応)何不自由なく暮らしている時は、他人の痛みを思いやるゆとりも生じるでしょうが、「>ついていない」ながら自立せざるを得ない人が「これが自分の人生か・・・」と気付いてしまったら、他者の不幸に「>ガッツポーズ」でもしないとやっていられません。

そういう意味では、不幸な事件、悲惨な事故などは一服の清涼剤になり得るでしょう。
お察し申し上げます。
また、このような心理になったことのないと言う人がいれば、それは大嘘つきであることに間違いないでしょう。
kurikannさんだけが「神を恐れぬ人」というわけでは決してありません。
私とて同輩のよしみでこの回答を書かせていただいているようなものです。

報復的心理というよりは、我々人間が未だ未熟な生物であることの証明であろうと私は考えます。
(一緒にするな、という人格者の方がいらっしゃるかもしれませんので、先にお詫びしておきます。)

つまり、「絶対的な個」としての自己の確立に失敗し、「相対的な価値観」に頼ることでしか自己の安定した立場を確保できない人間の性ではないでしょうか。
相対的である以上、「自分がどうか」ではなく、「周囲と比べてどうか」が問題になりますから、周囲が不幸であればあるほど自分が幸せな証明になるわけです。
しかし、この相対的価値観には欠点がありまして、自分が幸福である場合でも、その幸福は他者の不幸の上に成り立っているのだという確信を退けることができないということです。
「絶対的個」同士の関係性が、人間にとってはもっとも有意な関係性だと思うのですが、これを築くことが全く不可能になるということです。
かくして、不幸な時は他者を妬み、恨み、幸福になればなったで(無意識的にせよ)罪悪感に苛まれるという不毛の人生を送ることになります。

煩悩にお悩みの勇気あるご同輩に、ささやかな言葉のプレゼントを差し上げます。
要らない・・・、と言っても上げてしまいます。

『人間万塞翁が馬』

これにまさる真実は無し。
人生なるようにしかならぬのなら、どう生きるかという姿勢だけが最も肝心。
というお粗末の一席でした。
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人の不幸は蜜の味と言いますよね。


人間て他人には どこか競争心みたいな所 持ってるんじゃないのですかね?「他人の不幸」を見る事によって自分が優位に立てるみたいな。他人の幸せを見ると、面白くないですよね。でも自分の身内の不幸は喜ばないですよね。自分が不幸な時ほど人の不幸を喜びそうな気がするし、敏感な様な気がします。 
幸せな時は人の幸せに敏感の様な気がします。
やっぱり 優位に立ちたいのですかね?
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何ですかね?


「自分じゃなくて良かった」って気持ちなんでしょうか。

少し前に読んだ記事で、「人の不幸」について、脳波を
調べたら、女性より男性の方が『「人の不幸」を喜ぶ』
傾向にあったそうです。
おもしろい結果ですね。
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