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こんばんは。
私はガンダム世代でなくガンダムSEEDは見ていませんが学生時代に初代ガンダム、Zガンダム他をレンタルして好きになった世代です。

先日「Zガンダム 星の鼓動は愛」を見てきたときにパンフを買ってきたのですがパンフレットの最初に富野監督のメッセージがありまして

「・・・・・自分自身が創ったにもかかわらず内容のことを忘れる努力をしなければならなかった作品でした。それを仕事にして見直さなければならなかったときは苦痛でした。・・・」

と書かれてました。ガンダムとZガンダムはどちらも名作と言われていると思いますが富野監督は以前なにかの雑誌でも「Zガンダムは失敗作」というようなお話をしていらっしゃいましたが、この理由はラストが原因なのでしょうか?

今回の劇場版、新訳Zガンダムでもラスト以外はほぼ同じように???私は感じてしまったのですがそれほどラストが自分として許せないものだったのでしょうか?

それともそれ以外にも理由があるのでしょうか?

みなさまの推測や考えでも結構ですのでどうぞよろしくお願いします。

A 回答 (5件)

Ζガンダムというのは、富野監督がアニメ作家として落第の印鑑を付けつけられて作った忌むべき作品だからです。


富野氏に限らずファーストに関わったスタッフ(安彦良和氏)も元々ガンダムの続編を作る気は無く、富野氏自身もザブングルやダンバインなどとガンダム以降もロボットアニメを作ってきたが、ガンダムのような人気も商業的経済効果も得れず、会社に「ガンダムを作れ」と侮蔑された事に始まります。
要するに「ガンダム」以外はダメなアニメ作家という事。
スポンサー(バンダイ)の重役や企業という社会に対する不平不満並びに嫌悪や憎悪が溢れて作っているので、作り手として気持ちの良い作品ではなく忌むべき作品の部類に入るのです。
Ζを普通の感覚で見ていたら気付くとは思うのですけどね。
カミーユに限らずいつもカリカリしている登場人物や鬱屈した世界観(大人が社会に囚われているしがらみ)といった具合に露骨に不満を爆発させています。

その事を踏まえるとわかるでしょ
>「・・・・・自分自身が創ったにもかかわらず内容のことを忘れる努力をしなければならなかった作品でした。それを仕事にして見直さなければならなかったときは苦痛でした。・・・」
昔書いた悪口ばっかりの日記を20年後に読み返すのは苦痛で恥ずかしいでしょ。
それでも終盤以外のプロットはしっかりしていたので、何だ思っていたよりもちゃんと作っていたなというだけの事です。

>今回の劇場版、新訳Zガンダムでもラスト以外はほぼ同じように???私は感じてしまったのですがそれほどラストが自分として許せないものだったのでしょうか?
そういう次元の話ではなくて、前述しましたが作り手の気分が違うので同じような事をやっていても満足感であったり気持ちの部分が違うのです。

※最後に誤解の無いように書いておきますが、富野御大はインタビューの度に違う事を言うし、リップサービスや大人の事情で言わされている事もあるので、記事などに書かれている内容を鵜呑みにすると痛い目にあいます。
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この回答へのお礼

こんばんはぁ(^^)/
そうなんですか、富野監督はいろいろ言うことも変わっちゃうんですね(笑
いやいや作らされたのでしたら怨念みたいなのあるんでしょうね。
でも初代とは年代が違いますから画質のクオリティや人物描写は初代よりある意味魅力的に感じました。
回答ありがとうございました!

お礼日時:2006/03/14 23:21

こんばんは~^^



Zの製作当時は主役MSでさえデザイナーが(引継ぎもそこそこに)変更されたし。スポンサーとか、作品に関わった人たちそれぞれの思惑がかち合うのはどの作品でも同じだろうけど、ガンダムくらいの大ヒット作品の続編ともなればなおさらだったんだろね~

確かNHKのトップランナーに出演した時だったと思うけど、「自分の手を離れたものが他人の手でイビツに肥大化した」という理由でガンダムが嫌いだと言ってたなぁ

SEEDを作る時に富野監督が、若いクリエイターたちに「過去の作品にこだわらずに、どんどん新しいアイデアを盛り込みなさい」って言ったらしいけど、達観とかよりも諦めって気がするかも
でもSEEDは初代ガンダムのストーリーをWのメンバーで再現したみたいな雰囲気で・・・新しさを感じるのは犬型MSくらいか^^;
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この回答へのお礼

お礼が遅れてしまってすみません。
私はどうもSEEDはみんな同じ顔に見えるのが苦手で見てないんです(^^;
初代とZが好きです。
ありがとうございました。

お礼日時:2006/03/23 23:25

「クリエーター」ですから。

いえ、少なくとも「自分ではクリエーター、すなわち創造者だと思っていた」でしょうから。

ザンボット3を作り、ダイターン3を作り、ガンダムを作り、イデオンを作り、ザブングルを作り、ダンバインを作り、エルガイムを作った。これだけ沢山「作って」来たのに「クリエーター失格」の烙印を押されたのです。Ζの制作決定によって。これで「Ζを好きになれ」というのも酷な話です。Ζの制作そのものが「当時の」富野監督にとって失敗なのです。

全新作画でと言うのは「余計酷な要求」です。「クリエーター」ですから、全部一から作るぐらいなら、ストーリー・作品だって「旧作の焼き直しは嫌」な筈ですよ。新作部分を最少にする事も「クリエーターとしての矜持」です。

新訳Ζが好きだと言えるのも、作品のニュアンスが変わっているのも「当時の富野監督自身を達観できるようになった」のが原因ではないでしょうか。クリエータとして一皮むけたのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

こんばんは。富野監督作品はガンダム以外もおもしろいのにガンダム以上の評価(ヒット)はされないんですよね。そういうのがコンプレックスみたいに影響してしまったんでしょうね。でもその環境からZを作ったということはやっぱり偉大な方なんですよね。
ありがとうございました!

お礼日時:2006/03/15 01:15

「○○は失敗作」って、富野監督年がら年中言ってますよ。


監督に言わせるとダンバインもエルガイムも失敗作だそうです。
あと、基本的に監督は「金のなる木だからといってガンダムに固執している人達」が嫌いで、ゼータをやるときも当初はものすごくやりたくなかったそうです。
嫌々やっていた仕事なので、とうてい自分で納得できる仕上がりにはならなかった、という事ではないでしょうか…。
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この回答へのお礼

あっ!そうなんですか!
年中「失敗作」って言ってるんですね(笑)
でも今回の劇場版は1本95分とかじゃなくオリジナル新作画像で2時間以上の3部作にして欲しかったと思いました。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2006/03/14 22:48

劇場版は見ていませんが。




http://happytown.orahoo.com/midnight-run/html/H0 …
これが真実なら、言いたい事がいえなかったということらしいですね。また、「ガンダムの冨野」という呼ばれ方に反発を感じていた事、プラモを売るためにガンダムを作らされた板も引き金のようです。
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この回答へのお礼

リンク見させていただきました。
おもしろかったです(^^)/
劇場版Zは1作、2作目はテレビ見てないとついていけないです。
最終作ははしょった分、余裕ができたのかドラマになってますよ。
旧映像の使いまわしは大画面ではやっぱり年代もあってつらいですが新作画面はうれしかったですよ(^^)
いっそのこと全新画像で作って欲しかったのですがそんな予算はなかったのでしょうかぁ?
回答ありがとうございました。

お礼日時:2006/03/14 22:46

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