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自分で幸せだと思えたなら間違いなく幸せですよね?
なのに何故、人は幸せを比較して確認しがちなのですか?
愚かであると同時に可能性もあるように思えて憎めません。
そして私がどうかと言うと、人との比較は兎も角
本当に自分の満足を信用していいかと疑います。
決断と若さが反比例しているようにも思えます。
…意見をいただければと思います。

A 回答 (28件中1~10件)

 例えば自分が、辛いことをしたと後悔していたのに、それが誰かの幸せだったと知ったなら、辛いことも救われることにはならないだろうか。

幸せは、思いも知らないところへ飛び火する、そうおもえれば、勇気が沸かないか?
 人それぞれにはカラーがあって、それが交わりあうことに、可能性を感じられているのではないかと思います。いつの間にかポケットに、知らない赤が入っていたら、君はそれを鍵にして、柔らかい春の扉を開くだろう。知らない間に夜が来て、全ての色が違って見えて、自分の色を見失ったら、勇気を持って、触れてみないか。目の前の、青にまみれた亡失の色に。
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この回答へのお礼

まさに、そうなの。
知らないのが1番辛い、良くても悪くても知りたい。
でも皆がそう思うわけでない。
自分を知りたくない人から本音を得ることは出来ても
説得はしてはいけない…本人が望むまで。
難しいのは、自分が辛いのは我慢出来るのに、自分が辛いことで伴侶が悲しむことには耐えられないこと。
ウソも甘えもイヤなら、上手くバランスを見極めるしかないよね。

お礼日時:2006/04/19 14:15

グダグダと書いたせいで完全スルーみたいなので最後に…。



一人だけの五感の限界を自己環境を構成するソフトパワー

ハードパワーをもってカバーし、グローバルに考えて、
ローカルに存在し、変化しましょうと言いたかっただけ
です。

人事を尽くして天命を待たたなくても、関係性の把握に
努めれば、人事を尽くして人事を尽くし、偶然性でなく
極めて漸近的な必然性に救われます。
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この回答へのお礼

定義を提示していただけるお話しも聞きたかったです。
あなたのお話は全部読んでます。
全ての人に当てはまるかな?と考えていたので遅くなってしまいました。
ごめんなさいね、そしてありがとう。

お礼日時:2006/04/24 20:48

何だか十分じゃなかったので…。



すでにある法理を人間という状態にとって理解できる
形にしたものが、あらゆる教えや学問だと言いたかった
訳であります。
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acquavelleさん、ありがとうございます。



■軽く目を通しました。
正直なところ、一応仏教を信行学しているのですが
Nothing is everything. Eerything is nothing.
多分「空」「色即是空・空即是色」から漠然とでは
ありますが、物事は揺らぎであると思っています。
また、世界は人間が知ろうが知ろうまいが、認めよ
うが認めまいが、納得しようがしようまいが、確かに
あり、現段階で、人間の五感+αでは捉えきれない
関係性によって構成されていると考えるしかないと
思います。
宗教であれ、哲学であれ、科学であれ、この“世界”に
おいて、可能性に対し少しでも志向性を以って指向性に
関わり、この肉体構造と精神構造によって具現化するため
の認知、認識、発揮、伝承の力を最大限に引き出す“人間の
ための”法理でしかないでしょう。

これまでに、ここに書き込んだのは人間ありきのものであります。

■虚無であることは、僕にとっては悲観視するものでは
ないです。キリスト教的な無でなく、いわゆる仏教的な
(-1)+(+1)=0という無なので、揺らぎという形で
フィードバックする以上、あらゆる存在は捨てたものでは
ありません。

■余談ではありますが、オペラ歌手・タレントの森公美子
さんの話で、高校時代に自殺した友人と、所謂霊として
会ったとき、その方は「私達は電磁波みたいなものよ。」
「いまでも成長しているわ。だから貴方が見てるつもり
の私と私自身は違う姿よ。」といったそうです。眉唾ですが…。:p
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この質問者さんちょっと失礼ですよね。



みんなこんなに一生懸命に回答してくれているのに聞きっぱなしであと知らん顔………、、

まあそれでもいいけど、君にも興味がありそうなQ&Aを紹介しておきます。

http://okwave.jp/kotaeru.php3?q=2080446

原子間のエネルギーを解除すれば、この世は一瞬に瓦解し幻と帰すだろう。

幸福もクソもない………

それは人間の独善的な幻想に過ぎず、跡には虚無が残るばかりだ。
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前回の投稿では、「何故、人は幸せを比較して確認しがちなのですか?」の回答において書き込んだ“自己満足”に、「それは必要なのですか?」との質問を頂いたので自分の考え方を示してみました。





■まず「何故、人は幸せを比較して確認しがちなのですか?」の回答には納得して貰えたのでしょうか?…。
改めて言うと、比較は優劣を付けることではなく、関係性の中での存在の相対的時空間座標を導き出すことである訳です。
確かに始めは既存の分野における競争という形になるかもしれません。望まない定量化や定質化を主観的または客観的にせざるを得ないかも知れません。しかし、その努力の過程において、既存の範疇では修まりきれない自分の感性の独自性に気が付き、関係性の中での、その感性によって構築された悟性や理性によって価値観、世界観、人生観が確立され、各自己と自己環境の潜在的な可能性としてもっている能力を最大限引き出す真理になる訳であります。また、その真理の適応範囲を広げて実践抽出していくことで、人間環境における普遍性を見出し、さらなる多様性の発揮につながると思っています。

■次に、あらゆる人間としての現象を時代と距離を越えて、正確に如何に伝えられるか、この肉体構造、精神構造ならではの、この次元に対する可能性の方向性を捉えて行きたいとの思いの下に、現象を限りなく伝達・遺伝するということは、幸せであることに対しても自己解析が少なくとも必要だと思い、その結果として自己満足をつけました。“満足”に抵抗があるようでしたらば“納得”に代えてください。
確かに、自己満足は構成するものでなく付いてくるものであります。そうであるが故に“その状態であること”と同時に、如何にして伝えるかをも考えるべきではないかということです。その状態に直接触れることができれば、それ以上のことはないとは思います。
しかし、そうでない場合はこの現象の伝承における矮小化、劣化を抑えることが必要だと思うのです。

 何を言いたいかと言うと、生物学においてエルンスト・ヘッケルが唱えた「個体発生は系統発生を繰り返す」というものがあります。
ご存知かも知れませんが、受精卵が単細胞生物、分裂して多細胞生物――鳥類、哺乳類の様に胎児が成長を辿るというものです。
これは肉体に対してのみならず、精神にも起こることであると思うのです。胎児でいう胎盤や子宮は、生まれてからは家庭や社会や文化であります。その文化的な具体例として、詩であり、絵画であり建造物etc…いわゆる文化的遺伝子というものがあります。それらを「温故知新」する事で全人性を持ち、人間の中に既にある生命の躍動・情操の種を実感・共感しながら育てる。そうする事で、早期に生きる素晴らしさに気が付いて貰えると思う訳です。そうすれば、宇宙は細胞であり、人間は宇宙であり、全てが全てを内蔵している。一は全、全は一といった一切の物事との多様性と普遍性、不連続性と連続性といった相即一体の関係性を自覚し生きることで、自覚→自確→自発→自活を経て、自己保存、自己実現が極めて効率的に可能になると思う訳です。そして再び時代と距離を越える理論的な自己存在証明が継続される。

 変化と存在とは同時であり、その変化が時空間と現象となる。
環境が人を構成し、人が環境を構成する以上、公私を伴うと思うわけであります。

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言い訳になりますが時間が少なく、遅くなりました。お許しください。
再び理論に穴があるとは思いますが、それとなくご指摘ください。


生態心理学とかに似たような感じのことが載っているはずだとおもうのですが…。
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>飽和状態なんて人間の想像力の限界を決めてしまうようで悲しいです。


いえ、想像力には限界はないと言っても差し支えないと思いますよ。
ただ、実現が追いつく可能性はないと。相手は限界が最初から無いのですから。その場合想像した幸せは叶わなくなってしまいます。
だから想像を広げなければ幸せでいられると思うんですが。
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この回答へのお礼

…ゆえの質問なんですよね。
幸せってなんでしょう?
自分自身の満足なら簡単です。

お礼日時:2006/04/20 00:11

おめ~はホント、オノ・ヨーコみたいなヤツだな(笑)



だけど、オノ・ヨーコのコンセプトアートは大好きだよ。
ただ、コンセプトをメモ書きして壁に貼るだけとかね。創らないアート!すごい才能の持ち主だ。(これについては賛否両論あるけどね)

あと言えることは、女という生き物は『自己正当化本能』が強いということだ。
意地でも美しく可愛く見せたい、例え嘘八百並べてでも!取り繕ってでも………、、
それを『永久に美しく』って映画が象徴してるね。
あれ逆に醜悪でしょ?
世のオバタリアン族がいい例だ。
君にはそんな風になって欲しくないからさ!
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#11です。

返答ありがとうございます。
>私は不幸せを知らないことは、不幸せだと思います。
それはあなたが不幸せを知っているからなんです。
>幸せを同じ状態で維持しようとすることも、場合によっては不幸せかもしれません
「幸せ」ではないですが、こんな言葉があったと思います。
「自由を得ることは難しく、維持することはさらに難しい。」
「自由」を「幸せ」におきかえてみればいいでしょう。
(別に「自由」=「幸せ」と言っているわけではなく同じく適用される論理と言っているだけです。)
飽和状態が普遍的な幸せに通じる可能性を持つと思います。
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この回答へのお礼

勿論、程度の問題は無視しています。
私は人間を「コミュニケーションしたがるもの」と思っているので、「幸せ」を「自由」に置き換えても成立してしまいました。
これも比較の問題でないことを意味します。
飽和状態なんて人間の想像力の限界を決めてしまうようで悲しいです。

お礼日時:2006/04/08 04:24

なんかすっごい高度な議論になってるね!


オレの頭ではついていけない。(^^;)\

ただ、なぐさめで回答したつもりはないからね。
まあ、お母さんのことは心配だろうけど………

それとね、『女は結論を知っている』、それは違うと思う。
『女は結論を先に決め、後から理由付けする』、だと思う。
だから、狂言犯罪とか女性が多いよね。これはオレも被害にあったし………
この心理はミュンヒハウゼンシンドローム(代理母による昇華行為)と言われる幼児虐待などにも通じるやっかいなものなんです。

あと、『幸せの定義』についてだけど、やはりそれは無いと思う。
幸福感て人それぞれだし、十人十色、百人百様。
相対的なものだと思う。
中には、「人の不幸は蜜の味」なんて他人の不幸にこよない幸福感を覚える俗悪な酷い人もいますよね。
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この回答へのお礼

わかってるよ。
あなたは役立ちたいと思ってくれてる気持ちなんだよね。
前にも言ったけど男性的。
男と女では結論の意味が違うことが多いよ。
男性は社会の中で、女性は自己の中で、そういうわけで女は結論を知っているわけさ。
あなたは無いものは無いと結論を出す、私は欲しいと思うから探す。
そういうことさ。
結果はどうでもいい、真実がまだまだあるのは明らかだし。
男も女も本当は過程が大事なはずだと思うんだけど。

お礼日時:2006/04/08 04:11

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