プロが教えるわが家の防犯対策術!

世の中が不平等なのは一体なぜですか。

アイドルみたいに、顔が良くてスタイルがいい人は、大した悩みもなく好きな歌を歌ったりするだけで大金がどっさりはいってくる。

片や貧乏で高校に行くこともままならず、一生懸命家の為に働いても少しの稼ぎしかなく、借金や世間体など種々の悩みを抱えて辛い日々を送る人もいる。

食べたいものを食べ、嫌いなものは捨てる。水道を捻ればきれいな水が出て、水洗トイレも飲める水で流す国がある。

片や明日生きているかわからないほど衰弱しきって、何日も食べ物や飲み物を口にできない。泥水で体を洗い、衛生的にも不十分。病気にかかったら治す術もなく死んでいく国がある。

世の中を見渡せば、身近なところから世界的な規模まで数え切れないほどの不平等で溢れかえっている。この不平等に何の意味があるのでしょうか?哲学的観点で以って教えてください。

A 回答 (48件中1~10件)

不平等と思う人がいるから不平等に見えているだけです。


犬も鳥も草も不平等とは思っていません。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

不平等と思うか否か(主観的不平等)は別として、事実、世の中に不平等状態は存在していますよ、客観的不平等として。回答ありがとうございました。

お礼日時:2006/04/07 12:31

不平等という事に関して平等です。

    • good
    • 0
この回答へのお礼

なるほど詭弁ですね。しかし参考になりました。回答ありがとうございました。

お礼日時:2006/04/07 12:33

これは、哲学ではなく、宗教や、経済学や、政治の問題ですね。



宗教的には、人間はすべて平等に扱われています。

他は、よく分かりません。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

宗教という巨大な主観の中では平等に扱われているのでしょうね。理想として。

現実は過酷で不平等です。眼を見開いて、現実の世の中と対峙するとわかります。アドバイスありがとうございました。

お礼日時:2006/04/07 12:36

それが平等なんではないんでしょうか。



才能があれば輝かしい道を歩ける。無ければ歩けない。
運があれば成功し易い。無ければ困難。

生まれ持った容姿は才能でしょうし、
生まれる環境は運でしょう。

そういった物を全て無視した上で、
全員が横一列に同じ生活が出来る事が、
平等だとは思えません。

貴方の考えている平等とは、
運動会の徒競走で全員1位を取れる世界の事ですか?
    • good
    • 0
この回答へのお礼

>才能があれば輝かしい道を歩ける。無ければ歩けない。
運があれば成功し易い。無ければ困難。

それが不平等なんです。

>生まれ持った容姿は才能でしょうし、
生まれる環境は運でしょう。

それが不平等なんです。

>そういった物を全て無視した上で、
全員が横一列に同じ生活が出来る事が、
平等だとは思えません。

では、何が平等だとお思いですか。

運動会で全員1位?水平的平等のことですか?平等とはそんなに単純で狭いものではないと思います。課税が所得に関係無く一律であることが平等ですか?いいえ違います。徒競走で全員1位が平等であるという概念は大きな間違いなんです。そんな単純なことでは決してありません。

アドバイスありがとうございました。

お礼日時:2006/04/07 12:46

すべての事象は必ず消滅する(死ぬ)のだから、その点では平等。

経過を切り取れば、不平等(差異があるという意味で)。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

>経過を切り取れば、不平等(差異があるという意味で)。

それはなぜと問うております。

ありがとうございました。

お礼日時:2006/04/07 12:48

>アイドルみたいに・・・大金がどっさりはいってくる。


賭けに勝った人だからです。
全員が全員成功しませんよ?失敗してたらそれこそ「中学校もまともにでてないやつ」ですから。それに1年後まだお金がもらえるか分かりませんし、今現在私生活は顔を隠したりしなければならないと言う不自由もあります。
あーゆー人をうらやんでる人たちは大抵自分が彼らほど「リスクが無く、努力をしていないこと」に気が付いていないんです。
故に平等です。

>片や貧乏で高校に行くこともままならず・・・辛い日々を送る人もいる。
不良上がりの社長だっていますし、会社で失敗して借金数億で倒産しても復活する人もいますから、単に「賭けにのらなかった、なにもしなかった」だけですよね。
故に平等です。

>食べたいものを食べ・・・国がある。
>片や明日生きているかわからない・・・国がある。
こればっかりは先祖の努力とそこに生まれた運でしょうね。

>この不平等に何の意味があるのでしょうか?
なぜ意味を求めるのでしょうか?この地球が存在する意味は?火星は?水星は?太陽は?これも突き詰めれば運です。
たまたま太陽がそこにあって、地球があって、水があったから生命がうまれた。これに哲学は必要なく、運がよかったと言えるのではないでしょうか。哲学とは所詮人間に都合のいい解釈でしょうから。
不平等に意味は無いと思います。それが自然なことです。もしあるとすれば、それを乗り越えることによる喜びを味わうために与えられた試練なんじゃないでしょうか?
    • good
    • 0
この回答へのお礼

世の中は運が支配しているんですね。

>不平等に意味は無いと思います。それが自然なことです。もしあるとすれば、それを乗り越えることによる喜びを味わうために与えられた試練なんじゃないでしょうか?

そのように解釈できるsilverbearさんを心から尊敬します。そう考えることこそ大切なことだと思いました。気付かせてくださってありがとうございます。

お礼日時:2006/04/07 12:54

>世の中に不平等状態は存在していますよ、客観的不平等として。



気圧が高いところもあれば、気圧が低いところもあります。
おかげで風が吹くわけです。
これを不平等とは呼びません。

宇宙空間に、大量の分子原子が存在していますが、これが均等に分散していたなら、星も物質もできていません。
現実には、ある特定の場所に原子分子が集中し、星ができ、物質や生命ができています。逆に分子や電子がほとんど存在しない空間もあります。当然そちらのほうが多いです。
それを不平等と呼ぶ人はいません。

この宇宙では、何事も均等に分散するのではなく、密であったり、疎であったりしています。

この原理は地球上でもかわりません。

その宇宙上の根本原理を、不平等と呼ぶ人は、人間のほんの一部の人だけです。

その人の言い分で言えば、ご自身の肉体も不平等の産物です。平等にしたければ、体を粉々に粉砕し、宇宙空間に均等に分散するようにばらまいたらいかがでしょう?
    • good
    • 0
この回答へのお礼

それは、水平的平等ですよね。

平等は単純ではない。

ありがとうございます。

お礼日時:2006/04/07 19:39

No.5です。

差異(不平等)があるのは何故かということ・・・存在のためですかね。差異がなければあらゆるものは存在しないでしょうから。きっと無でさえも。無が存在しないとは詭弁かもしれませんが、実際、世の中「不公平」だなとは思いますよ。言葉の問題だけかもしれませんが。不公平は何とか人の力で減らしていけると思います。よく分りませんが法律とか憲法ってそういう理念で出来てるんじゃないですか。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

そうですね、法は公平を守る目的ですよね。

不平等での劣勢の方は、ただただ不運をのろう生き方しかできないのでしょうかね。アドバイスありがとうございました。

お礼日時:2006/04/08 10:58

うーん、とても深い質問ですね。

哲学的な人間ではありませんが、自分なりにちょっと考えてみました。

均一でない、ということが不平等とは言えないと思います。世界は元々多様な物です。

仮に境遇の平等不平等はあったとしても、幸福に関しては、必ずしも不平等ではないと思います。

(お金があっても不幸な人は多いものです。豪邸に住んでいても、家庭はいがみ合い、愛のない生活ってこともあります。すべてが思い通りに行くということではありません。また悩みがなさそうに見えて、アイドルだって華やかさの裏では、嫌な仕事だってやらざるを得ない。自分の時間もなく、睡眠も満足にとれない。生活は荒れていて、末路は悲惨だったりします。有名さ故に不自由もある。もてる人は、嫌いな人も寄ってくるし、好きな人が好きになってくれるとは限らない。そんなもんです。幸せであるかどうかは、必ずしもお金と比例はしません。愛情や友情も、お金とは無縁です。お金があれば人は寄ってきますが、それはお金に惹かれているだけで、その人に惹かれているわけではないし・・・。金の切れ目は、縁の切れ目で、誰も残らなくなります。)

お金がなければ思い通りにならない・・と思うのは、幻想のような気もします。お金があっても無理な物は無理。私は10-20年前は若くてきれいだった(?)けど、今ではすっかりおばさんになってしまいました。
そして、死は平等に訪れます。

比較することを知ったために、「不平等」という観念が生まれたのかもしれません。
それがかえって人を不幸にしているのかもしれない。

隣の人、隣の国の方が裕福だとか・・。(現象世界のことは、あくまで相対的な事象なので、不平等に見えたとしても、それさえ一定ではなく、すべては変化してゆきます)

幸せであるかどうかは本人の主観の問題です。
洋の東西を問わず、時代を問わないものでしょうね。
ブータンが最貧国だからといって、皆が不幸というわけではない。昔の何もない時代だからといって、不幸ではかなったと思います。身分制度もあったり平等ではないかもしれませんが、不幸ではない。


つまり、お金があるとか貧乏であるというのは、幸福の尺度とは別な物だと思います。環境が恵まれているかどうかは、確かに一定ではないのでそれを平等でないと言うかも知れませんが、不幸とは限らない。

形ある物は必ず滅する。限られた時間の中に存在してるわけですよね。そう考えれば、量の多少はそれほど大きな問題ではないように思います。遅かれ早かれどうせすべてを失うのです。それはあらゆるものにとっては平等ですよね。

不平等だという視点は、その意味ではあまり意味を為さないかもしれません。
不平等というのは、人が創り出した、単なる観念に過ぎないのだと思います。

残念ながらこの相対的な世界では確かな物など存在していません。
そんな限られた中で、人と比較することによって、不幸になる。ないものを渇望することで、絶望感を味わう。ただ「足るを知る」べきなのかも。


ついでながら、不平等な環境になぜ生まれるのか・・・(皆さん運という言葉を使われていますが)、それはひょっとしたらカルマなのかもれしませんね。輪廻というのがあるとすれば・・・の話ですが。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。お金があって困ることは絶対に無いはずです。なくて困ることは山ほどあります。

お礼日時:2006/04/13 18:41

世の中を平等にしようと言う運動が共産主義です。

でも,平等のおかげで,誰も働かなくなったり,平等に権利も剥奪されているので不自由極まりありませんでした。平等を手にすれば,権利を剥奪されてもかまわない,と言うのが共産主義者や社会主義者の考えです。


平等には,大きく分けると二つの平等があります。それは,機会の平等と結果の平等です。

・機会の平等
→ 法の前の平等 → 自由主義市場経済 → 結果の不平等

・結果の平等
→ 縦の平等 → 封建主義身分社会 → 機会の不平等
        官僚主導業界協調

→ 横の平等 → 福祉主義大きな政府 → 努力の不平等
         (所得の平等)
        国家主義統制社会 → 権力の不平等
         (消費の平等)
        社会主義計画経済 → 権力の不平等
         (財産の平等)
        毛沢東主義文化大革命 → 文明の破壊
         (絶対平等)

何かしらを平等にするには,何かを犠牲にしなければならないようです。自由を得るためには,権利と義務が必要なように。

日本はこれまで護送船団方式とか,悪平等だとか言われてきました。社長と平社員の給料の差もアメリカに比べて非常に小さく抑えられてきました。

しかし,大競争時代になり,それではいかんという事で,横並び意識を捨てて,官僚による規制も取りましょうってことになった。小さな商店街が廃れて,大きなショッピングモールができたのもそのおかげです。時代によって求められる平等が変わるようですね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

アドバイスありがとうございます。自由と平等が共存できないことはわかります。しかし、理想は自由と平等の共存ですよね。

お礼日時:2006/04/13 18:43
1  2  3  4  5 次の回答→

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

関連するカテゴリからQ&Aを探す