プロが教えるわが家の防犯対策術!

総合格闘技をしています。
汚い話で不快感を与えてしまったらいけませんので前もってお断りしておきます。
試合中での出来事なのですが、不覚にも失禁してしまいました。
下腹部を下から上にえぐる形の蹴りを受け、今までに経験したことがない地獄の苦しみを味わいました。
内臓をつかまれひねられるような感じというのでしょうか。
同時に激しい排泄感に見舞われ堪えきることができませんでした。
みなさんだったらこういう姿をさらしてしまった女性を情けないとか思ったり笑ったり嫌ったりしますでしょうか?
もう格闘技をやめてしまおうかなとも思ったりしています。
今回、恥をしのんでお尋ねしました。
どんな意見でも受け入れるつもりですのでお願いします。

A 回答 (13件中1~10件)

 見る人それぞれでしょう。


 でも真剣さが伝われば、笑えないと思います。
 それ以上にその後も真剣なファイトを続ける姿を支援します。
 『涙の数だけ、強くなりましょう』
    • good
    • 0
この回答へのお礼

確かに見る人それぞれですよね。
もちろん真剣ですよ。
でもそれがどれだけ伝わっているかは私にはわかりません。
結局は私自身の問題。
甘えかもしれませんが心の整理にもう少し時間が要るようです。
それから岡本真夜さんの曲ですか?
違っていたらごめんさい。
偶然ですがこの曲持っています。
本当にありがとうございました。

お礼日時:2006/05/07 22:32

もしやめれば、醜態に対する同情と、やめる事への理解と、諦めに対する挫折感を得るかも知れません。


もし続ければ、醜態に対する失笑と、持続に対する賞賛と、頑張りに対する満足感が得られるかも知れません。

どちらも、プラスとマイナスとがあると思います。私なら、笑ったり嫌ったりしません。頑張って続けて下さい!
    • good
    • 0
この回答へのお礼

続けたいという気持ちはあります。
でもその反面恥ずかしいという気持ちもあります。
また同じような目に遭うかもしれないとか後ろ向きなことも考えてしまいます。
今回は仕方ないとしても2度までもとなるとやっぱり笑い者かなとか…。
今まで試合には愛用のスパッツとラッシュガードでこの試合でもそれで出ていたのですが、もうこれも着れなくなっちゃったとか。
くだらないことですが、最初の試合からこの一着で、このスパッツとラッシュガードと一緒に歩んでいくんだなんて思っていたりもしていました。
それなのになんかしんみり、悲しい。
決断を先延ばしにすればたぶん自然とやめることになるかもしれないって私自身思っていますけど、心の整理にはもう少し時間が必要かなって思いもします。
確かに続ける場合、失笑はあるかもしれませんね。
それは私の中で堪えるしかないですね。
やめる場合と続ける場合を比較しての回答大変参考になりました。
それからそれを踏まえての「続けてください」には感動しました。
「締切り」は心の整理ができたらお礼かたがた報告も兼ねてしようと思っています。
すいませんがそれまでちょっと待ってくださいね。
ありがとうございました。

お礼日時:2006/05/07 23:13

失禁は事実として残ります。


問題はその後の対処法ではないでしょうか?
それによって、恥の話にもなるし畏敬の話にもなると思います。

丁度先ほどテレビでやっていたのですが、徳川家康が若い頃
武田信玄に惨敗して、命からがら居城に逃げ帰ってきたのですが
その時失禁したとのことです。
この事実だけで見ると恥の話以外の何ものでもないのですが、
家康は直後、この有様を絵に描かせたそうです。
今後、このような醜態を二度と晒さないように、事あるごとに
この絵を見て自分を戒め奮い立たせたそうですよ。
うーん、家康、男らしいかな、と感じましたね。
chunminさんは女性ですので、男らしく、とは行きませんが、
どうでしょう、この恥を乗り越えてがんばる姿勢を示せば、
人の畏敬を勝ち取ることはできるのではないでしょうか?
「私はどん底まで落ちた。でも必ず這い上がって頂点を極める」
と宣言して、がんばり続けるとか。

恥に感じる事実は消えません。冒頭に書いたように、その後の
対処方法次第で、いかようにでも出来ると思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

徳川家康の話知っています。
山岡そうはち?(漢字がわかりません。)の「徳川家康」を読んだことがありますので。(^^)
確か三方ヶ原の戦いに負けて岡崎城に逃げるときの話ですね?
徳川家康と比べられるのは恐れ多いですがそう言われれば偉人もやっちゃっているのですね。
もともとスポーツ自体(とくに球技)が苦手で自分自身を変えたいと思ってはじめた格闘技です。
ここでやめたら昔に逆もどりかもしれません。
まだ心の整理がつきませんがどうするか決まったら報告も兼ねて「締切り」ますのでしばらくお待ちください。
「徳川家康」の話を思い出させてくれたことには感謝感謝です。
ありがとうございました。

お礼日時:2006/05/07 23:35

こんばんは、


そんなことするわけないでしょう!!
戦う姿はどんな状態でも美しいのです。
今戦の相手にもう「勝てないのではないか」
と思った貴方に対しては笑ってしまいますが、
極限を試し、鍛錬を重ねる貴方に関しては
一緒の世代を過ごす私が「恥ずかしいです」
私(格闘技未経験33歳男)と一戦交えて
自信を付けて欲しいぐらいなのですが、
このコミュニティーの匿名性から
それも出来ませんね。
恥ずかしくも何ともないです
これからの活躍を期待します。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

sammvioletさんとの一戦は控えさせてもらいます。(笑)
すいません。
笑っちゃいました。
sammvioletさんのコメント読んでいると元気と勇気が出ます。
団塊ジュニアの中軸、大競争時代の方ですものね。
茶化すつもりはぜんぜんないですよ。
ごめんなさい。
ありがとうございました。

お礼日時:2006/05/07 23:46

格闘技は極論をすれば「命のやりとり」をしているわけですよね。

そんな中で失禁そのものは恥ずかしい事ではないと思います。

これが攻撃を「受けてもいないのに」という事であれば、恥ずかしいかも知れませんね。ですが、攻撃を受け「体の自然な反応」として尿を体外に出した訳です。体内にとどまったままでしたら、尿の成分で命を落としていたかも知れません(その危険があるからこその反応です)。決して恥ずかしい事ではありません。

ただ、急所の防御が甘いという事は認識しておいていいと思います。正中線の防御が甘い事は、格闘技術において致命的でしょう。そのことは「別の意味で恥ずかしい」かも知れません。

真剣な質問だと思いましたので、あえて厳しい事を書かせていただきました。お気を悪くなされぬよう。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

防御が甘いと言われればそれまでです。
今更言い訳をするつもりはないのですが、私のほうが着実に押していたと思います。
相手は守るのに精一杯といった感じでした。
うまく表現はできませんが勝てるという手ごたえはあったのです。
けれどなんとなく攻めにくく焦ってしまったのがいけなかったのだと思います。
まわし蹴りの最中にわずかではありますが、バランスを崩してしまったところへ、脇腹の下のほうを突く蹴りを入れられてしまいました。その際、反射的に体を折り曲げる形になってしまったと思うのですがそのため相手の蹴りがそのまま下腹までえぐる形でスライドする形になってしまったのがいけませんでした。
脇腹から下腹にかけてえぐられる形になっただけでもかなりの苦痛でしたが、正中線を捉えられた後、さらに水月あたりまで蹴り上げられたのも重なって地獄でした。
確かにわずかでも自分でバランスを崩したところへ蹴りを受けたのですから、それ自体は恥ずかしいことかもしれません。
別に気を悪くはしていません。
どうもありがとうございました。

お礼日時:2006/05/09 23:50

知人に格闘技をしている者がいて何度か練習や試合を見させてもらっています。


私は競技の性質上そういうのはあって当たり前と思うので情けないとは思いません。野球でデッドボールが当たった選手を見てる感じというのでしょうか、プレーをしている結果の一つとして見ています。
恐らくそういう人を嘲笑のまなざしで見る人は、人と人の真剣勝負というよりバラエティーや観劇等の様にショーの延長線上と思っているんじゃないかと感じます。何故そういう試合になっているのかと考えようとはせずに、せこせことポジションの取り合いしないで分かりやすく殴り合ってくださいっていうタイプというんでしょうか、そういう人はダメだとかではないのですが、皆真剣にやってるんだよというのを理解して見て貰えればなと思うんです。chunminも続けるのならば、どうかアクシデントを失態などと思わずに真剣さを会場の皆さんに見せつけてください。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

続けるかどうかはちょっと決めかねています。
ただ、このまま行動を起こさなければ自然とやめてしまうことになるかもしれません。
それからもちろん真剣ですよ。
でもそれが会場(というほどのものではありませんが…。)の皆さんにどのように映るかは別かもしれません。
どうするか決めましたら「締切り」しますのですいませんがちょっと待ってください。
ありがとうございました。

お礼日時:2006/05/10 00:01

アメリカで使える伝統空手と護身術を教えている者です。



殴られてあざになり、関節技にかかって脱臼し、下腹部を攻撃され失禁し、チョークで失神し、など、だからどうだって言うのですか。 失禁だから恥ずかしいのですか? 

失禁「させる」事は難しいことではありません。 人間の体がそうなっているだけのことです。 その「スイッチ」を押されたのであればスイッチオンになったと言うことだけです。

それを笑う馬鹿入るのです。 自分の体のことを知らないで人がそのようになったから笑うと言うことがいかにばかげたことか。 もし私がそこにいればその場で失禁させますよ。 嫌いになる? まさか!!でしょう。 なぜそう考えるのですか? あなたもそういう人を見たら笑い、嫌いますか? 今度は自分だったから恥ずかしいと感じるのですか? そうじゃないですね。

あなたが笑い、嫌いにならなければいいのです。

こんなちょっとのことで、格闘技をやめるなんて、格闘技のいいところを知らないと「恥ずかしくもなく」言っているようなもんですよ。

さて上に書いた、「殴られてあざになり、関節技にかかって脱臼し、下腹部を攻撃され失禁し、チョークで失神し」で何か感じるところがありましたか? すべて自分が悪いのですね。 なぜなら、すべて、「した」のではなく、「させられた」のですね。 言い換えると、自分に防御の実力が「まだ」備わっていない、と言う事に過ぎません。 「まだ」なのです。 

この「まだ」を聞いて自分に失望しますか? この「まだ」を全部なくしたいですか。 この私が言いますね。 無理です。 死ぬまでこの「まだ」には付きまとわされます。 

人間である以上完璧にはなれません。 しかし、もっと大切なのは、人間であるからこそ完璧に「近づくことが出来る」のです。

失禁をした、で「終わってくれた」のです。 この表現がお分かりでしょうか。 失禁をした、と言う事は、その攻撃によって、脳の一部に失禁しろという指令が行ったのです。 脳に指令がいくということはそれすなわち「死ね」と言う指令も送れるのです。

同じ場所を違う攻撃であなたを殺すことが出来るのです。 しかし、それは起こりませんでしたね。 自然とは良く出来た物で、「小さな上達の必要性を伝えるヒントを作ってくれる」のです。

今回のことで、それも小さなことで挫折するようでは今まで何をやってきたのですか。 そんな小さな格闘家だったのですか。 自分に負けるようなことで格闘し相手に勝つことが出来ると教えられてきたのですか。

失禁したくらいで恥ずかしいと感じる人たちはすべてアマチュアの初心者の初心者だからそう感じるのです。 そしてそれを感じさせるように教えてきた指導員のレベルが低いと言うことです。

誰でも初めと言う物があります。 それも、数え切れないことに関しての初めです。 格闘技をはじめたから始まったのではないのです。 格闘技をはじめたからこそこれから「初めてのこと」が起こりそのすべてが自分を養っていくのです。

失禁をしただけで死ななかったと言うことは、これからもっと防御力を高め、防御力を高めると言うことはすなわち防御力だけに注意を向けない実力をつかると言うことであり、すなわち意味のある防御と意味のある攻撃とのバランスのレベルをもう一段上げていく、と言う事なのです。

今回のことは結局、自分を少しでも完璧にしていく過程の一部に過ぎなく、その機会を作った自分は幸運だったと思わなくてはならないのです。 そう思える自分を創ることの意義を分かってほしいのです。

これでいかがでしょうか。 分かりにくい点がありましたら、補足質問してください。 

この回答への補足

確かにアマチュアの初心者の初心者です。
自分が悪いというのもわかっているつもりです。
まわし蹴りの最中にバランスを崩してのことですから言い訳のしようもありません。
けれど、それまでは相手は守るのに必死という感じで、私がバランスを崩すなんて普通あり得ないことをしなければたぶん勝つことができていたと思います。
とっさのことではっきりとはわかりませんが、私がバランスを崩してしまったために、逆に相手の蹴りが脇腹を突く形になったのだと思います。
私自身のせいでもあるのですが、そのまま下腹までねじるように蹴りを食い込まれました。
内臓をえぐるような苦しさでしたが、それだけなら腹筋も鍛えていますし、耐えられるものだったと思います。
でもその後、なんといったらいいのでしょうか。
下腹部を守る防具を装着しているのですがこれの保護部分を横に押され、隙間から相手の足指を入れられ、一気に蹴り上げられました。
下腹まで蹴りが入ってしまったのは私自身のせいですが、その後の攻撃は偶然の私の失敗に乗じたものだったと思います。
でも金的による反則にはなりませんでした。
そういう意味では文字通り「失禁させられた」というべきなのかもしれません。
しかしそれがGanbatteruyoさんの言うように「少しでも完璧にしていく過程の一部に過ぎなく、その機会を作った自分は幸運だった」と思うことはどうしてもできません。
失礼な言い方かもしれませんが、Ganbatteruyoさんはこういう状況におちいってしまったことはたぶんないですよね。
だから強いことを言えるのだと思います。
それから「指導員のレベルが低い」ということですが、そんなことは絶対にないです。
みんな尊敬できる人達ですし、大変お世話になりました。
Ganbatteruyoさんにそう思わせてしまった私がきっと悪いのだと思います。
もう一度戻りたいと思う気もあるのですが、冷静に考えてみるとそこまで無理に固執する必要もないのかなとも思います。
少し時間が経ちすぎたような気もします。
熱いコメントありがとうございました。

補足日時:2006/05/21 05:11
    • good
    • 0

気にする事ないと思います!



人の試合内容って 意外と覚えていません
たとえば次の日 昨日見た試合の内容 全部言えますか?
あれ?判定だったかな って結構忘れてます
試合の流れの中での事 気にする事ないと思います
そんなに人のこと 見てませんよ
会場にいた人も それほど多くないのでは?

大怪我をしたなら別ですが 何もやめることないです
続けるべきだと思います☆  
    • good
    • 0
この回答へのお礼

あたたかいコメントありがとうございます。
その時は大変でしたが、幸い大怪我には到っていません。
続けたいとも思うのですが、もう長い間練習に行っていません。
でも続けるにしてもやめるにしても一度あいさつはしとかなくてはと思っています。
ありがとうございました。

お礼日時:2006/05/21 05:22

以前の質問からも受け取れますが格好を第一と考えて格闘技やってるならやめた方がいいですよ。

この回答への補足

格好を第一とは思っていません。
試合にのぞむにあたって心構えやこうありたいという気持ちから、髪型や着衣にこだわっているだけです。
けれどそれが他の人達や相手を不快にさせていないか心配だったから質問しました。
それに前のアクシデントにしても私がいやだったという気持ちもありますが、同じように他の人達にもいやな思いをさせたのではないかということもあります。
たとえ負けてしまった場合でもいい試合だったといえるようにしたいだけです。
私自身のこともありますが他の人達にも迷惑をかけたと思うと情けない気持ちになるのはおかしいことでしょうか?

補足日時:2006/05/21 21:15
    • good
    • 0

私は嫌ったり笑ったりしません。


それよりも、そのまま格闘技をやめて逃げていくと一生その事が付きまとって後悔し、何事にも自信を持てなくなるんじゃないでしょうか。
悔しいなら今よりももっと強くなる努力をして、自分が納得できるまで続ける事で満足できる格闘人生になると思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

確かにこのままやめるのは逃げるように思われるかもしれません。
でももともと格闘技を始めたのはスポーツが苦手で内気な自分の殻を打ち破りたかったからです。
このような結果になってしまいましたが、自分を変えることができるという自信はできたつもりです。
続けたいという気持ちもあるのですが、ゆっくり落ちついて考えてみる今まで単におもしろくてのめりこんでいただけのような気もします。
いずれにしてもいつまでも中途半端な気持ちではだめだなって思っています。
ありがとうございました。

お礼日時:2006/05/21 05:36

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!