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粟田口善法について教えて下さい!

A 回答 (2件)

8代将軍足利義政の時代に、村田珠光という茶人がおり、彼はトンチ小僧の大徳寺の一休宗純などと親交を結ぶことで、独自の「茶道」を創設しました。


この村田珠光の弟子が粟田口善法になり、
「京、粟田口の善法。燗鍋ひとつにて、一生の間、食事をも茶をもまかなった。この善法の楽しみ、胸中きれいなるものとして珠光は称讃した。」
とあるように、全てを捨て去るという精神は、後の千利休などに影響を与えたようです。
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この回答へのお礼

大変参考になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2006/05/30 17:14

No.1さんの補足です。


善法は確実な資料の少ない人物です。  生没年も出自も不祥。  
もうひとつの逸話として、愛用していた茄子型の手取り釜を、秀吉が召し上げようとした時、打ち砕いて代りに作らせた写しを献上したそうです。  この釜は京の粟田口の寺に、秀吉の朱印状とともに、現存しているそうです。
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この回答へのお礼

大変参考になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2006/05/30 17:14

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