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中世日本の荘園領主や上級武士などを見た場合、自分の所領において徴税権は
持っていて年貢を徴収はしても、農地自体はあくまでそこを耕作している農民のものです。
西洋のように領主自体が直接農場経営を行うと言うことはありません。
日本と西洋におけるこの違いはなぜなのでしょうか?

A 回答 (2件)

余り参考にしないで下さい。

(なら書くな!!)
日本の荘園領主は中央から派遣された・中央に居て所領だけを中央政府から安堵された役人ですよね。(もっと適切な言葉があると思いますが昔のことで)土着ではなく「年貢」という形で所領からのあがりで生活していた。「間接支配」だと思うのですよ。言わば「派遣社員ならぬ派遣役人」状態です。中央の指示であちこち分け与えられていたのですよね。西欧では詳しくないですが、領主みずからが「領土」獲得に闘っていたのですよ。キリスト教法王でさえ軍隊の先頭に立って「領土拡大」をやっていた。地政学的に隣国へはすぐに攻め込めます。西欧は昔から闘いばかりしていました。「中国」でも同じですよね。「武力」が衰えると攻め込まれ国は滅びます。地政学的な違いや「狩猟民族・農耕民族」の違いもあるかもしれません。
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武士の成立を考えれば、理解できます。


荘園制度が崩れかけたとき、治安も乱れますから、日本もアメリカの西部劇のように「自分の身は自分で守る」社会になります。
一般庶民も刀で武装し、商人は用心棒を引き連れて仕入れに向かい、農民も農具の近くに刀や槍を忍ばせて、農作業をやります。
個人では限界が有りますから、村単位で武装をして、畑を荒らす夜盗や隣村などと戦いますが、その中からリーダー的な人物が出てきて、武士になっていきます。
そういった武士たちが、中央に認められるために、源氏などの貴種を御輿にして集まるという形で領主が形成されますから、現代で言えば領主は農協の理事長のようなものです。
こういった形式ですから、「一般農民→庄屋→領主」というピラミッド社会になります。
領主は農家の利益代表ですから、耕作権を認め、毎年の上がりから年貢を貰って治めることになります。

一方西洋は狩猟民族ですから、自分が戦争などで得た耕地に農民を入れて治めるという形から始まったと思います。
これは日本でも、明治維新の直後に北海道開拓など、旧武士が入植しますが、旧大名が資金を出して経営するという形も多かったようです。
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