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より的確な回答が欲しいのでこのカテゴリで質問します。

学生時代に陰惨ないじめ被害を受けてそのトラウマからか「友達が作れない」という人がいます。
私は友達じゃないの?と聞いたら「友達と思うと怖くなるから親しい同僚って言って欲しい」と言われ、どうやら相当なキズなんだなと思われます。
そんな友人が、リンク飛んで飛んでしてたら偶然加害者のHPに行ってしまい「夢に向かって前進してます☆」とか「周りの皆さんに支えられて幸せです♪」
みたいな表現を見てしまい、「加害者は忘れて幸せになってるのね…」とへこんでます。
忘れちゃいなよって言葉は、欝の人にがんばれというのと同じだろうと思い口に出せません。
私には慰める・励ます系の言葉が見つからないのですが、こんなとき的確な言葉としてどうしてあげたらよいのでしょうか?
よろしくお願いします。

A 回答 (11件中1~10件)

♯3です。


再び失礼します。どうにもいじめの被害者がが今も苦しんでいる
問題にはついコメントしてみたくなってしまします^^;人事とは思えなくて。

皆さんいじめに対してそれぞれの考えがあって「あ~そう考えればいいのか!」と大変勉強になりました。私は難しいことは何もいえませんが、1つ思い出したことがあります。

私は所ジョージさんとか関根勤さんが大好きなんですけど、関根さんの著書で「バカポジティブ」という本があります。私はこれを読んで本当に目からウロコでした☆

今まで色々辛かったとき、たくさんの本を読みあさりました。悩みについての本や心理学など・・・。でも、私にはあまり効果的ではなかったんです。

でも関根さんの本は違いました。こうすればいいんだととてもシンプルな発想です。特にいじめについての本ではありませんが、元気がでます。関根さんが言うから伝わるんだと思いました。

単純な私にはとても合っていたんだと思います。友達にも薦めまくっています。

<より的確な回答が欲しいのでこのカテゴリで質問します。

とのことなので、まったく専門的でもなくて申し訳ないんですが、
もしよかったら書店で見かけた際はパラパラっと立ち読みしてくださいね^^では。
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この回答へのお礼

いえいえ、私のような体験者でないものが彼女にどうこう言うなんてのがまず出来ないことなのです。
だから、専門っていうか、詳しくわかる(感じられる)方に手助けしてもらいたくて質問していたので、回答者さんのご意見はとてもありがたかったです。
私はもともとバカっぽい本(バウ!とか^^;)が好きで彼女に見せたりしていたので、その延長線上ですすめてみようと思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2006/06/29 13:42

被害者と言うのは、相手の罪を許すことが出来ない限り心を穏やかにすることは出来ません。


したがってその加害者さんを応援できるくらいになるのが理想ですね。
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この回答へのお礼

ごめんなさい、彼女に理想を求めることは私にはできません。
ご意見ありがとうございました

お礼日時:2006/06/29 13:43

こんにちは。



いささか話が難しくなってきていますが・・・。

>けてそのトラウマからか「友達が作れない」という人がいます。

この方はまだ傷が深いです。
余計なことは言わないであげてください。質問者の考えている通り、受け入れること、同意してあげることで良いと思います。

いじめられたのが何年前か知りませんが、そういう傷は何年も引きずります。まだこの方は友達がつくれない状態です。
友達が作れるようになってから、もしかしたら、そのいじめた人を許せることもあるかもしれませんが、それは最後の段階ですから、今そんなことを言われても、許さないことはいけないと言われたようにしか思いません。まだまだ傷が深い状態ですよね。

余計なことを言われたら、否定されたように感じるのではないでしょうか? 周りは、許しても許さなくても、この方の自由として認めてあげるという姿勢で良いのではないかと思います。私自身にも身に覚えがありますが、許すのは受け入れられたという安心感があってから後のことだとおもいますから、待ってあげてくださいね。二次被害になる場合もあります。

それから、加害者の過去の経歴についてですが、加害者も過去に「いじめられた」という「事実」が提示されています。
これは、データとして調査されているのでしょうか?私は知りませんが、ちょっと心配に思います。回答者個人の人間観察としてなら、そういうことはあると思いますし、世間の一部も言うと思いますが、もし明確なデータのないことを「事実」として言うことは無責任だと思います。ちゃんとした調査はなされていないのではないかと思います。また回答者の回答も人間論が中心になっていますので、その炯眼には敬意を払いますが、公的機関のそうしたデータに基づいているようには見えません。基づいているのでしたら、結構なのですが、質問者や閲覧者が、データのない個人的経験からもたらされたものを鵜呑みにして、今度はそれは確固たる事実として信じてしまいますので、私の不安を書いておきました。間違いだとも思いませんが、質問者には、信じる前に、疑問符を持っていて欲しい内容だと私は思いました。

ただし、家庭環境が暴力的であったというDVの連鎖関連でしたら、多少の調査は入っていると思います。暴力性や実際に暴力をふるわないまでも、支配性の強い子供は、家庭がそうであることが多いという調査はある程度入っていると思います。

このことも含めて、これを「いじめ」の経験があるというのでしたら、これは事実としてかなり確認されているのかもしれません。ただ、これを被害者に対して、「加害者もいじめれれた」事実があるとして提示することはお門違いだと思います。家庭環境が悪かったということと、いじめられた過去があるということは、しっかり区別して書くべきことです。もちろんこうした問題は、それも考えるべきことで、また同情にも値する場合もありますが、今、いじめられた人の過去の事実として提示する場合には、その区別は明示すべきことだと思います。
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この回答へのお礼

私も、過去が酷かったから加害者になっても許される(割り引かれる)とは思えません。
そいつがどんな過去を持っていても、加害者になって当然ってゆうか、誰かに危害を加えたことが正当化されちゃうなんてありえないと思います。
そいつの家庭環境は確かにちょっとハードだったようですが、だからなによ!って思っちゃうんです。
もちろん、彼女に代わってそいつに対決しに行くなんてしませんし、彼女にそうしろなんても思いません。
ただ私は怒ってて彼女を大事に思う気持ちがあるってことなだけですもんね。
彼女を大事に、そばにいたいと思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2006/06/29 13:37

#4です。

ご返事ありがとうございます。
内容を拝見して少し補足させていただきたいと思い、再度おじゃまします。
「>どうしても加害者の言い訳としか私自身が思えないからです。」とおっしゃっていますね。


確かに加害者自身が自らの過去を持ち出していじめを正当化、あるいは止むを得ないことだとする論理は通用しません。
ここでちょっと横道に逸れます。
昨今に限らず想像を絶するような犯罪を人は犯します。
その罪に問われている人間が自らの境遇などを犯罪行為の素因として挙げることは、社会の成員としての立場を放棄することになりますから論理的意味を持ちません。
しかし、おぎゃあと産声を上げてからどのような肉体的・精神的体験を経てあのような兇悪な犯罪を起こす者になりうるのか、と私はよく考えます。
罪は罪として極刑も止むを得ない場合も当然あるという考えですが、しかし、彼(仮に男性という設定にしておきます)もある意味での被害者であろうと思います。
許す、許さないということではなく、その事実を認識することが重要ではないかと思うわけです。
たとえどんな境遇にあっても人間であれば個人の責任で乗り越えるべき問題である、同じような体験をした者がみな犯罪者になるわけではなかろう、というお考えも出てきそうで、それも確かに一理あるでしょう。
しかし、彼はその境遇という外圧に耐え切るだけの資質がなかった、つまり弱い人間であったということになるはずです。
その弱さを顕現させるきっかけとなったものから目を背けようとすることは、その犯罪の素因としての芽が我々すべての人間が持っているものであるという明白な事実を封印しようとする行為に等しいものであろうと考えます。
そして、そこからは何も生まれず、何の前進もありません。


話を戻します。
いじめの解決方法は対決しかない、と私は思っています。
しかし、いじめられている時点で対決ができるのは非常に稀有なことであって、それができないからこそのいじめでもあるわけです。
必然的に後からの対決になります。
対決する目的は相手に勝つということです。
そこで何を以って勝ったと認識できるかということが問題になります。
相手が自分と同じような惨めさを味わえば満足するのでしょうか。
ザマを見ろ・・・、とつぶやくのでしょうか。

臭いセリフと笑われても結構ですが、本当の勝ちは相手より大きな人間になることのように思われます。
いじめる者(あるいはいじめた者)としてではなく、人間として相手を認識しようとする姿勢です。
この時初めていじめられる者(あるいはいじめられた者)という呪縛が解かれて、いじめという行為自体を客観的に捉えることができ、その時点で相手を超えることができるように思うわけです。

このようにして、いじめはすでに過ぎ去ったことであって、過去のあの思い出が再度現実となることは決してないのだという明白な事実が心底から理解できた時、付け焼き刃ではない平静な気持ちを取り戻すことができ、新たな友人を求める気持ちが自然と沸き起こるのではないかと思います。

どのような言葉をかけるかは彼女の状況に応じてあなたがお決めになれば良いと思います。
どなたかもおっしゃっていましたが、寄り添おうとするその気持ちこそが尊いもので、友人の方には必ず伝わると思います。
何も言わないということが最適のメッセージになる場合もあるでしょう。
ただ、いじめというものに対する私の考えを少し補足させていただきました。
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この回答へのお礼

どんな道筋を通ってきたからといって、誰かに危害を加えていいということとはどうしても思えません。
でも、そこを踏まえて、私はそいつを許さないという結論に達しました。もちろん彼女がどう思ってるのかは聞けませんし、聞いて答えさせる問題ではないと思います。
彼女が「聞いて」と来たら聞きますが、今度飲んだりしたときにでも、私は「そいつにたいしてとっても怒りの感情を持っている」って彼女に伝えます。
私の、彼女にかける言葉はこれにいたりました。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2006/06/29 12:55

専門家でも善人でもないのですが、参考になれるか書いてみます。



加害者=悪人。被害者=善人という図式はありません。
ただ強者と弱者の関係というのはあると思います。

加害者というのも被害者側の価値観に違いがあるから
自分を正当化するためにつけた役割ですね。

なぜか恨まれ役を負う人は変わり身も早かったりするんで
どうして?と思ってました。

それは「違う価値観を尊ぶことが出来た」から善人ぶることもできちゃんんです。
ある意味必然です。
だって悪人だったのだから
捧げてくれるような善人を尊びます。

それが被害者側にとっては
違う価値観を尊ぶことなど不吉なことで
必死で抵抗しますし、克服したくても困難なことなのですよね。


違う価値観を尊ぶ前に
自分すら尊ぶことも困難になりますね。

彼女はある意味とても重要な役割を持たされた
「トリックスター」であるかもしれませんよ。
善悪を超越して捧げる人なのですよね。

間違いなく彼女は光ってる
貴重な星だとコンコンと説教することですね。

「可愛そうに」とか「忘れなさい」も差別心から来る言葉ですし、
彼女はどんな自分が好きかも知らないのかもしれない。
ありのままの自分で許されていることを知っているのか。
教えてあげて下さい。
その点を本当にコンコンと教えてあげて下さい。

多少臭いセリフでもいいです。
一緒に悩むよりも一緒に笑い合えるから
大切な人となります。
なってあげてください。

特殊な出目とその役割
http://am.tea-nifty.com/ep/2005/02/trickstar.html
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この回答へのお礼

>だって悪人だったのだから
>捧げてくれるような善人を尊びます。

>違う価値観を尊ぶ前に
>自分すら尊ぶことも困難になりますね。

>彼女はある意味とても重要な役割を持たされた
>「トリックスター」であるかもしれませんよ。
>善悪を超越して捧げる人なのですよね。


…私、文章の理解力が不足のようです(><)
おっしゃる意味が解りませんでした。
ご回答ありがとうございました

お礼日時:2006/06/29 12:44

お気持ち、よくわかります。



人と人との関係って難しいですよね。それだけじゃなく、事故や病気とかで「なんで自分がこんなことに…」と思いたいことって、ありますね。

わたしは、そんなとき、そのことの裏を考えるようにしています。

例えば、加害者の方が、

>「夢に向かって前進してます☆」とか「周りの皆さんに支えられて幸せです♪」

と書かれていますが、わざわざそう書くということは、その方が「そう思いたい」からかも知れません。現実は、そうではないからこそ、わざわざ文字にしているのかも知れません。

他人の不幸を望むことはあまりよくありませんが(その裏は自分の不幸を招くことに…)、落ち込んでいる友人へのちょっとした励ましにはなればと思います。

それで、友人の方が「そっか…」と少しでも前向きになったら、なにか楽しいことを考えたり、勧めたり、としてみると少し変われるような気がします。


余談ですが、こんな話しがあります。
ブッダ(仏様)の話しです。(宗教なので、心理学とは違いますが、あくまで余談ととらえて下さいませ。)

ブッダが、ある村を訪れました。村から一人の女性が近づいてきました。腕には赤ん坊を抱えていますが、すでにその子は死んでいました。

女性は言います。
「ブッダ様。どうかこの子を生き返らせて下さい。こんな赤ん坊で死んでしまうなんてあんまりです。どうか…」

するとブッダはこう言います。
「わかりました。生き返らせましょう。」
「生き返らせる薬を作るために、小麦(うる覚えです)が必要です。」

女性「わかりました。」

ブッダ「ただし。赤ん坊が死んでいない家の小麦でなければ、いけません。」

女性「わかりました。赤ん坊が死んでいない家から小麦を集めればいいのですね。」

翌日。女性がブッダの下に現れます。ひどく落胆しています。

ブッダ「小麦は集められましたか?」

女性「…いいえ」

ブッダ「なぜです?」

女性「どの家も赤ん坊が死んだことがありました。」

ブッダ「そうでしょう。」

ブッダ「赤ん坊が死んでしまったことは悲しいことです。ただし、誰もそういう経験があるのです。あなただけが不幸ではないのですよ。」

…と、このような話しです。文章がうまくないので、あまり共感されないかもしれませんが、私はこの話しを聞いたときは、感動しました。(でも、仏教徒とかないですよ)

どんな人でも、なんらかの不幸を背負っている、ということですね…
(手塚治のマンガ「ブッダ」はわかりやすくてお勧めです。でも、↑の話しは載ってませんでした。)
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この回答へのお礼

ブッダ、読んだことあります。
どうして悟りをひらくときには家族を捨てるんだろう?一番大切だから守りつつなんじゃ?と思ったのを覚えています。あ、これについてはレスとか下さらなくて大丈夫です!
彼女がどう思っているか深いところは解りませんが、私は許せませんし、許そうとしなくていいと思うようになりました。
彼女が許すなら許せばいいし、でも私はその人がどんなやつか実際は知らないけど私の大事な友達にそんなキズを負わせたわけですから、許す必要はない。と。
上を見ても、下を見てもキリがないのはわかってますし、それは何についてもそうですよね。
私がどう思うか、それが彼女への気持ちなんだと思いました。
ありがとうございました!

お礼日時:2006/06/29 12:39

御質問を拝見して思わず


「天網恢恢、疎にしてもらさずじゃあ!!」
と心のなかで叫んでしまいました。
心理学カテゴリにふさわしいアドバイスとは言えないかもしれませんが。。。

とは言えイジメのような問題に対する考えかたって実は、なかなか難しいものがあると思います。

その人の過去の生育途中の傷から今度は加害する側に回ってしまったのだという解釈は分かり易いですし、一番、根拠とするに足る受け止めかたかとは思います。
しかし何がどの程度に「心の傷」になってしまうかは詰まるところ当人の持って生まれた気質や感受性の傾向が一番左右しているのではないかとも考えられますし、まして、その傷ゆえに他者にマイナスの影響を及ぼす言動を取ってしまうかどうかに至っては、もっと本人の人間的レベルを問うべきことだと私は考えます。
また「傷」というのが単なる欲求不満つまり、その個人の「足るを知らない」性格が原因であることも多いと思います。特に、こうした性格の人と申しますには
私が思うにイジメ行為、言い換えれば他者への過激なまでの積極的働きかけをせずにいられない者というのは要するにエネルギッシュで自分を生き残らせようという欲望が、たいへん強いタイプなのです。俗に言うグレる、不良になる人もエネルギーの強さゆえに、そうなり易いと思います。方向性が問題なのですね「不足が原因」という以上に、そもそもが「過剰」なのかもしれません。エネルギッシュであること自体は有利なことでしょうけれども。

ですから、そのように、他者の精神状態や、ひいては人生までをも捻じ曲がらせてしまうほどにエネルギーの強い人は同時に欲望も強いはずですから幸せになりたい自己満足したいという欲求が激しい、したがって自分が望むものを引き寄せる力も、貴方の御友人のように後ろ向きな体勢の人に比べれば、ずっと強いに決まってるんだと思います。

ですから所ジョージは鋭いところを突いていると思いますよ。
『いじめられた人は‘いじめた人を意識して,生きてたら自分の人生じゃなくて、その人の人生になっちゃうよ』
要するに、まんまと相手のエネルギーの餌食になってしまってるわけですよ。
そんなのってクヤシイですよね。
相手を絶対許さん、このままではおかん!!というくらいに相手を凌ぐほどの強いエネルギーを放出できればよいのですが、それができないタイプでしたら取り込まれないようにするためには結局、相手をものの数に入れない、無視するしかないわけです。自分を守るためにですね。

冒頭に出しました「天網恢恢…」ですが、これとて見極めが難しい。
今生に限ってみれば今のところ被害者加害者、気の毒な人いいほうに回っている人、役回りはハッキリしている。しかし、それこそ前世だの宿命だの持ち出されたら一挙に立場が逆転してしまうかもしれないではありませんか?信じる信じないは別として。
ですから「天網恢恢…」が真理だとしたら「最終的には落ち着くところに落ち着くはず」としか言いようがありません。
悪い事をしたにもかかわらず罰らしい罰も受けずに来ている、というのは目に見えない何者かに「観察されている」「試されている」期間であるのかもしれません。その期間が、言い換えれば「見逃されている」期間が長いほど、後から来るツケは大きい、とも考えられます。

貴方が御友人を信じるに価する人と思えるならば、キレイごとはいらない、「忘れちゃいなよって言葉は、欝の人にがんばれというのと同じだろうと思い口に出せません。」そのとおりだと思います。
一緒に怒ってあげてください。
加害者の相手を御友人に代わってボロチョンカスに罵ってあげたら、かえって御友人のほうが「そ、そこまで言ってくれなくても…」と仰るかもしれません。そこでグッと気がラクになったら、これまでよりも冷静に受け止められるようになるんじゃないかと思います。
多勢に無勢だと思うから、よけいに惨めな気持ちになるのでしょう。

ところで私は貴方の御友人は決して不幸せな人だとは思いません。
だって貴方のような友情に厚い思慮深い友人が与えられているんですもの。
なかなか社会に出てからは、こういう友人って得られにくいものですよ。
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この回答へのお礼

そうですよね、被害経験があるからって加害者にまわっていいなんてはずないですよね!
やるなら当人に!って思うけど出来なかったから彼女にやったんでしょうね(--+)
そのとき友達で同じ学校にいたらそんなやつなんておでこに噛み付いて毎日鏡を見るたびに恥ずかしくてたまらないようにしてやる!って位頭にきてるんです。
今度お酒でも飲んだときに、正直にそう言って我慢せずに私の方が怒りまくっちゃうことにします!

私の中の怒りの感情があることを気づかせてくれてありがとうございました。
もしかしたらこれをきっかけに彼女に「友達」が復活して、それが私だったらいいなーとか思います。

お礼日時:2006/06/27 17:32

反発をくらうかもしれませんが、いじめの加害者というのは実はそれより先にいじめを体験した先輩でもある場合が殆んどです。


いじめを正当化するわけではありませんが、その仕組みとしての事実を良く理解しておくことも決して無駄ではないと考えます。
他者をいじめる。
苛む(さいなむ)とも言いますね。
このおぞましい行為によって自己の存立基盤を確立しなければならなくなることは人間としての悲劇である、という単純な事実を良く心に留めておくということです。

憎しみと同じくいじめも連鎖し易く、いじめを受けたことの傷を別の誰かをいじめることによって初めて癒されると感じてしまう人間の悲しさ、弱さがそこにあります。
いじめる者は過去の自分をいじめる相手に対して見出します。
相手が弱みを見せるほど、昔の自分に似ているほどいじめは激しさを増すでしょう。
それは、いじめを受けていたみじめな過去の自分を否定し消去しようとする行為に他ならないからです。
では、いじめを受けた人は必ず他者をいじめるようになるかと言えばそんなこともありません。
奇跡的な確率でこの世に性を受けた自分という者にかけがえのない価値を見出す人はその連鎖を断ち切ろうとします。
それこそが自分が自分であるかけがえのない証明となるからです。

いじめた相手を憐れんであげよう。
そして今が幸せなら「良かったね・・・」と感じてあげよう。
彼は(彼女は)あなたを憎んでいたわけじゃない。
あなたの中に見える過去の自分を憎んでいたのだから。

その友達にはこのように言ってあげてはどうだろうか、と私は思いました。
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この回答へのお礼

加害者にも被害の過去がある可能性がある、という考えは忘れないようにしますが、彼女には伝えないことにします。どうしても加害者の言い訳としか私自身が思えないからです。

彼女には「声高に宣言する人の宣言が真実とは限らないからこの世は恐ろしいよね」とも話しました。本当に幸せか解らないもんねぇーとちょっとイジワルっぽく言って「幸せを公言する人が本当に幸せと限らない」と匂わせたのですが、彼女には私の意図が伝わったようです。

にしても、そんな辛い思いをしたのに連鎖させなかった彼女は尊いと感じます。

お礼日時:2006/06/27 17:16

どんな言葉であれ、そこに優しさがあれば、お友達には


きっと伝わると思いますよ^^

余談ですが、先日テレビで所ジョージさんが
『いじめをした人はほっておいても、天罰があるから
いじめられた人は‘いじめた人を意識して,生きてたら
自分の人生じゃなくてその人の人生になっちゃうよ。
自分の人生を生きなきゃ』と言っていました。
(かなりうろ覚えです)

加害者は現にHPで幸せだといってるじゃないかと
思われるかもしれませんが、私も人をいじめて不幸に
した人にはなんらかの見返りがあると思っています。

私は学生時代のアルバイト先の社員さん(かなり年上の男性)に
陰湿ないじめを受けましたが、8年後位にそこが潰れて職無しになり
アルバイトをしていると噂で聞きました。
さんざん「アルバイトごときが!」とバカにされましたが
まさかバイトしているとは驚きました。
苦労したらええねん♪と思いましたよ。

就職した先の経営者(初老の男性)にこれでもか!と
ひどい仕打ちをされましたが絶対幸せなままで終わらないと
思っています。今はまだどうやら順調そうです。

なんかこんなことを書くと悪魔のようですが^^;
自分がしたことは絶対自分に返ってきます。
いじめをする、そんなしょーもないチンケな奴のことは
考えてあげる価値もないですよ。
・・と自分に言いきかせてます☆
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この回答へのお礼

いじめられた人は‘いじめた人を意識して,生きてたら自分の人生じゃなくてその人の人生になっちゃう
これ、とてもすばらしいと思います。
回答者さんもいやな思いをなさったんですね!
もちろmm、因果応報で片付けることが出来ない・当てはまらないこともたくさんありますが、みんなこの言葉の意味を理解してるからおのずと悪口悪行を控えたりよい人間であろうと努めるんだと思うので、やっぱりありだと思います。

彼女には今日のお昼に、「人ってさー、親しい人には困ったこととか話せるけど、そうでもない人にはハッピーなことしか話さないってとこあるよねー」とか、「痛いって解ってる人は(誰かに)痛いことしないもんね。それだけでも人間が上等だと思うなー」といってみました。
敏感な人なので、私が何を言わんとしてるのか察してくれて「うん、ありがと」ってちょっと笑ってくれました。
とても良い言葉を教えて下さってありがとうございました。
この言葉はもう少し凹みが治ってから伝えます。

お礼日時:2006/06/27 16:58

いじめ被害者です。

最近、いちばん私をいじめていた加害者が近所に立派な家を建てて引っ越してきました。彼女は道で会うと、やさしい旦那さんと頭のいい子供に囲まれて幸せで…と話してきます。私は当時のいじめの心の傷がもとで未婚です。

こんな時は、私のいじめられて辛かった気持ちをただ聴いてくれる人がほしいです。いっしょにいじめっ子のことを怒ってくれたらなおいいです。なぐさめてくれなくても、話を聴いてうなずいてくれるだけでありがたいと思います。そういう人さえ私はいないので。

それから、加害者は忘れていても、いつかその報いはくると思います。幸せだけの人生なんてありえません。

HPには実生活とまったく違う作話をする人もいます。あるいはHPに書いたよいこと以外は地獄のような日々を送っている可能性もあります。HPはうのみにしないほうがいいかもしれません。実際そういう例がありました。

まとまりがなくてすみませんが、お友達と状況が似ているので書かせていただきました。あなたは優しい方ですね。
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この回答へのお礼

彼女はとても気を使ってくれるので回りはとても楽で、「サービス業が天職なんじゃない?」なんて言ってた自分を恥じました。
回答者さんの文章を読んで、彼女の語ってくれない気持ちが少し見えたような気がします。
辛い過去を話してくださってありがとう、そして思い出させてごめんなさい。
彼女には、明日会ったら「あのブログ、うそ臭くない? いいことしか書いてないってとこが怪しいじゃん!」と言うつもりです。実際そうですもんね。
因果応報って言葉、あると思います。
地獄があるなら加害者は堕ちると信じています。

☆3番の方がおっしゃってましたが、所ショージさんの
「自分の人生を取り返す」的な言葉も彼女に教えてあげようと思います。人生もプラスとマイナスは一生を通じて合うはずです、これからの生活で取り戻そう、って。
なんと申し上げてよいかなんですが、☆の部分は、回答者さんにも差し上げます、表現力がなくてこんなでごめんなさい・・・

お礼日時:2006/06/26 18:08

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