プロが教えるわが家の防犯対策術!

優しさと厳しさの違いを説明して下さい。
分かるようで、分からないんです、、。

習い事教室でなんですが、2人すごく可愛い生徒がいて、一人はあまり真面目にせず、宿題もやってこないで、お洒落で周囲の気を引いてるかんじでした。
もう一人は、とにかく必死で努力して、みるみる実力がついてるのがわかりました。この人も可愛い人でした。
で、先生(男性)は前者には、どうみてもいい加減なのにとても「よくできたね~すごいね~かわいいねえ~」と褒めていたんですが、後者の方には必死で頑張ってるのに「~も分からないの?~を目指してるなら~くらい知らないと!」と厳しい指導でした。

とても、嫌ってるとかひいきとかは思いません。
前者には優しく、後者には厳しいという愛情と感じました。
どのような対象に対して、このような違いが出るのでしょうか?
また男性が女性に対する場合、優しくしたいのを我慢して厳しくしてるのですか?それとも、厳しくしてしまいたいなにかが相手にあるから自然とするのでしょうか?もしくは男性によるのですか?(誰にでも優しくする、誰にでも厳しくする、とか)


またある男性は、「女の子は厳しくされた方が幸せになる」と言ってました。なぜでしょう?
質問が漠然としてまともらないのですが、このあたりで回答、感想、ご意見を下されば嬉しいです。
なんでもいいです。よろしくお願いします。

A 回答 (6件)

>優しさと厳しさの違いを説明して下さい。



概念なんで人それぞれの感じ方が大事だと思いますが。私の感覚だと、優しさは丸く厳しさはとがっています。

>習い事教室でなんですが、
>前者には優しく、
>後者には厳しいという愛情と感じました。
>どのような対象に対して、このような違いが出るのでしょうか?

褒めて伸びる対象か、叱って伸びる対象かじゃないでしょうか。伸びるとは、やる気を促すとか、一般的に使われている表現だと「モチベーションをあげる」とかって意味です。

前者と後者の二択なら、前者は褒められることでやる気を出します。ああこれでいいんだ!こうやってやればいいんだ!と思って褒められることで自分のやり方に自信をもって意欲的な活動をする。

一方後者は、怒られることでやる気に火がつきます。なんでダメなんだ!くそ!絶対やってやる・・あれがダメなら、これはどうだ?こうやってやってみるのもいいかもしれない。と考えて、叱られることをバネに自ら試行錯誤をする。

ここで大切なことは、前者を叱っても後者を褒めても、同様の効果はあまり望めないということです。前者を叱ると、ああ、ダメなんだ・・と落ち込み自分に自信が持てず意欲が減ります。後者を褒めると、ああ、これでいいのか。じゃもういいや、これやってりゃいいんだ。と現状に満足して向上することへの興味がなくなります。

>また男性が女性に対する場合、優しくしたいのを我慢して厳しくしてるのですか?

習い事などの場合は、どう接することが相手のためか。という立場が基本です。

男女がいるような仕事環境で、性別を意識するのはプロ意識に欠けます。女性だから男性だからきれいだからかっこいいから、という考えは、この場合は純粋なヒイキや差別ですね。ちなみに、ヒイキの場合は「甘い」になり「優しい」こととは別です。

>それとも、厳しくしてしまいたいなにかが相手にあるから自然とするのでしょうか?もしくは男性によるのですか?(誰にでも優しくする、誰にでも厳しくする、とか)

これは好き嫌いの男女関係で、習い事などの関係とは話が違うでしょう。

>またある男性は、「女の子は厳しくされた方が幸せになる」と言ってました。なぜでしょう?

自分で、自分にとっての幸せはなんなのか、を考えるからだと思います。

日本は本当に裕福な国です。モノもお金も溢れている。そういう中で甘やかされると、自立心が育たない。与えられらものしか見ないし意識や価値判断がなかなか広がりません。

生きるためには仕事をしてお金を稼ぎ、暮らせる家が最低限必要です。今の日本には、それ以上の環境がゴロゴロしています。にもかかわらず、不満の方が多い印象です。

贅沢でわがままなんじゃないかなって、私はですが、思います。何より甘い。優しさと混同してると思うし。いけないとは言いませんが、事実です。メディアに幸せの定義を委ねるような生き方をする現代人の多くは、本質的なことへ目を向けず、欧米文化の見栄えのいいところだけを、手放しで絶賛している印象です。

それが自分の求めているものかどうかは関係ない、楽で華やかで格好が良ければいいと言わんばかり。だから自分の幸せがなんなのか、具体的に知らない。

厳しさを知らずに生きていけば、現状を変えたいとは思いません。幸せがなんなのか、とも考えない。しかし厳しさを知れば、現状を変えたいと思うのが人間です。そこで初めて考える、自分は何を望んでいるのか。それが、幸せを具体化する第一歩です。

厳しくというか、甘やかされないことにより、向上心が育ち自立へと進む。その過程で、自分にとっての幸せの価値を、具体的に描けるようになるから、幸せになる人が多い。女性に限ったことじゃなく、これは男性にも言えます。

個人見解です。ご参考までに。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
そうですね。自分がなにを望んでいるのか、、これを自分で考えようとするのは、満たされた甘い環境ではできないことですね。

これらを分かっている人が、厳しさを相手に与える事もあるんでしょうね。参考になりました。

お礼日時:2007/01/12 09:31

本当の厳しさとは、愛情なしでは成し得ないものだと思います。


厳しい事と冷たさをよく勘違いされる人がいらっしゃるかと思いますが、
それは全く違います。

厳しさとは、本人の為と思ってこそ、できる事だと自分はそう感じています。だから、男性から厳しくされた女性が幸せになれるという理屈は、本当に男性が女性のために愛情を注いだからではないでしょうか。本当の厳しさとは愛情があるからこそ、その愛情が強いからこそできるものだと思います。厳しさ=冷たさのように考えるかもしれませんが、決してそうではないと思います。むしろ熱いものだと思います。その熱さは愛情によって本人に伝わっていくはずです。

たまには優しくしてあげたい場面もあるかもしれません。
しかし、優しくし過ぎるとかえって、可愛そうな結果になってしまいか
ねないので、心を鬼にして厳しくするべきだと思い、それに徹するわけです。その人の先の将来の事を考えて、あえて厳しくするという行為は、
愛情なしには出来ませんよね。なぜなら、自分は嫌われるリスクを背負ってまで、その本人の将来の事を考えてまで厳しくするのですよ…。
だから、優しくするのは誰にでも簡単にでき、厳しくするのはとても
勇気のいる行動であると思います。なぜなら、優しさの方が本人にとっても
相手にとってもその場限りで、気持ちの良いものにすればいいからです。
優しさとはその場限りのもの、厳しさとは本人を将来につなげていくものであると自分はそう考えています。しかし、本来厳しい人が見せるたまの優しさは何よりも嬉しく、本人にとっては達成感と今後への向上にむけての原動力となるくらいのパワーがありますが…。
自分は本当に厳しい人間になりたいとは思っているが、やはり優しくなってしまいますね…。自分は男であり、たまに、優しいといわれるとなにやら辛さを感じてしまうものです…。

また、スポーツの世界なんかを見ると、選手を育て上げるのに、優しいコーチなど誰一人としていないでしょう。寧ろそんなコーチは失格で、指導力
は0であると思います。厳しさとは本人を育てたり、向上させたりするため
に必要なものだと思います。その厳しさを必要以上に与えつづけると、
それは虐待であったり、単なる指導者としての自己満足ではないか
と思います。そんな厳しさは真の厳しさではありません。本人の心を
無視した厳しさは寧ろ冷たさ、冷酷さ、残酷さであると位置付けるべき
でしょうね…。その変の位置付けが曖昧な分、厳しさに対しての偏見が
あるわけだと思います。

後、誉めれば伸びるというタイプの人間はいます。しかし、あまりに誉め過ぎると、本人が挫折した時に立ち上がれなくなってしまう恐れもあるわけです。厳しくて成長するタイプは逆境に強いと思いますが、誉められて成長するタイプはかなり逆境に弱いと思います。やはり前者の方が当然ながら、どんな事にもくじけず、悔しさをバネにして成長していくタイプの人間であると考えています。
だからこそ、後者の方をなんとか厳しさに絶えられるくらいのバイタリティ
を身につけさせる必要があると思います。
だから、本当に厳しい人はそれも見越して、適度に誉め、適度に厳しくするなどの、アメとムチの使い分けが非常に優れている人であると自分はそう考えています。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
優しいですね、、と男性が言われたら、嬉しい限りだと思っていましたね。なにやら辛さを感じてしまうというのに、非常に関心をもってしまいました。きっと、厳しさに含まれている本当の愛情を理解されているから、複雑な気分になられるのではないでしょうか、、と思いました。

そういえば、以前優しさを褒めたら、自分は優しくないんだ!
と言われた方がいました。優しさだけを褒められるというのは、男性にとってあまり嬉しい事ではないのかもしれませんね。
とはいえ、優しい男性の評価が高いのは事実なので、難しいですね^^;

参考になりました。

お礼日時:2007/01/12 10:01

 自分の働き盛りを振り返ると、反省することばかりです。

 優しいという字は、人を憂えると書きますが、若い人にたくましく育って欲しいという気持ちは、年長者はみんな持っています。

 優しい言葉をかけるのも、厳しい言葉をかけるのも、言葉をかける相手の成長を願う心に変わりはないのですが、こちらのゆとりの問題だと
思います。 こちらに急がねばという「あせり」が厳しさになります。

 修行は一生続きますが、忙しい毎日の中で「ゆとり」をいかに作り出すかが、最重要だと感じています。 時間・スペース・お金については
どうやら天引き貯金しかないようです。 

 与えられた物理的な予算の、80%で何とかする計画をたてて実行することを、心がけて働いてきました。 例えば旅行で1万円のお金があったら、運賃も宿賃も含めて8千円で計画を立てます。

 あとは途中で2千円の貯金をいつ使うかを考えながら、旅を続ければ
心にゆとりがもてます。 スペースも時間も同じようにすれば、常に心おだやかになれます。 これはある後輩に教えてもらったことでした。

 心理的なゆとりは彼との話合いで、互いに相手の努力を認め合うことで生まれるのがわかりました。 一度はるか年上の専務に「いつも難問をかかえられて大変ですね。」と声をかけたら、にっこりされました。

物理的にも心理的にもゆとりがあれば、厳しい表現の前や後に優しい言葉を付けくわえて、育ってくれという真意を伝えられると思います。
しかし私もまだ修行中で、時折ゆとりを失い失敗します。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

なるほど。言う側の心理的状況や余裕にも関係するわけですね。それは言えてますね。
優しい人になかには、自分に余裕がありそれなりの対処ができるという自信があるがゆえに、相手にも寛大になれる。という人もいるかもしれませんね。非常に参考になります。

両方必要だと思いますし、また視る視点によっても様々な味方ができますね。参考になりました。

お礼日時:2007/01/12 09:47

正直、ひいき以外の何者でもないように思えるんですが‥‥‥


とりあえずこの例についてではなく、一般論としての、優しくする時と
厳しくする時の違いを述べたいと思います。

世の中には、「誉めて伸びる」タイプと「叱って伸びる」タイプがいます。
「誉めて伸びる」タイプは、ちやほやされればされるほど、調子に乗って
自分の実力以上の力を発揮できたり、先へ進む意欲を持てるタイプのことです。
こういうタイプに、厳しく指導してしまうと、成長が止まったり、まったく
何も出来なくなったりします。指導者が逆恨みされることも多いです。

「叱って伸びる」タイプは、叱られたことを指針にして、自分を直していく
タイプです。
こういうタイプは、むしろ誰かに指摘を受けないと、何をすればレベルアップ
できるのかがわからないので、進んで叱られにいくことすらあります。
叱られた事を直しさえすれば、確実にレベルアップできるんですからね。

安定した実力を発揮できるのは、もちろん後者です。
前者は気分次第で実力が上下してしまうので、たとえば失恋したなどで
ネガティブになっている時は、実力の半分も出なかったり、ひどい時は
全面的に課題を放棄したり、逃亡したりします。

指導者としては、全員に安定した実力をつけて欲しいに決まっていますから、
本当は全員に「厳しい指導」をしたいでしょう。
しかし、厳しくされれば、精神的に負荷がかかります。この負荷に耐えれない
精神力の弱い人は、おだてて調子付かせて伸ばすしかないのです。

ペットなどのしつけができない飼い主とかいますよね。
あれは、嫌いで放っておいた訳ではなく、むしろ可愛いから、厳しく叱ったり
なんて出来ないと、ペットが望むまま、したいことを自由にさせて甘やかした
結果のことです。
しかし、そうしてわがまま放題に育ったペットは、肝心の飼い主に嫌われて
しまいます。そして捨てられるのです。これはペットにとって幸せでしょうか?

犬のしつけ矯正をテレビなどで見ると、リードを反対方向に引っ張ったり、
いけないことをしたら、怒鳴ったり叩いたりします。一見可哀想に見えます。
しかし、そうしてきちっとしつけをされた犬は、飼い主にも、他の人間にも
愛され、可愛がられて一生を終えます。

人間も同じです。厳しく育てられ、自分で自分を律することができる人物は、
たくさんの人に愛されます。可愛がられて甘やかされ、ワガママに育った人間は
たくさんの人に嫌われるでしょう。
男性は、人に嫌われても、社会的に成功すればそれなりの幸福を感じるかも
しれませんが、女性は、より多くの人に愛される事が、幸福の最大条件です。
「女の子は厳しくされた方が~」というのは、このあたりの事を指している
のだと思われます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます
タイプによって違うんですね。それは言えてますね、、。
>女性は、より多くの人に愛される事が、幸福の最大条件
なんだか、いい言葉ですね。参考になりました。

お礼日時:2007/01/09 09:14

ひとつの可能性を考えますと,


前者については
お金を落としてくれるお客さんと割り切って
長く通ってもらえるようにちやほやしているのかもしれません。

一方,後者については
そのやる気と能力を見抜いた上で
先生はあえて高いハードルを課しているのかもしれません。
ひょっとすると将来は自分の後継者にと見込んで。

つまり,ひいきされているのは
じつは後者の女性のほうなのかもしれないということです。
もしそうだとしたら,先生もなかなかのやり手ですね。

「女の子は厳しくされた方が幸せになる」という命題が
どの程度普遍性を持つかはわかりませんが,
期待される弟子,期待される部下ほど
師匠や上司は厳しく当たるというのはよくあることだと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます
そうですね。見てる限りでは、先生は双方に対して真剣な態度だったと思います。
>期待される弟子,期待される部下ほど
師匠や上司は厳しく当たるというのはよくあることだと思います。
参考になりました。

お礼日時:2007/01/09 09:11

「やさしさ」と「きびしさ」は両方備わっていてこそ


価値があると思います。
どちらか一つだけでは不十分です。

「やさしさ」のない「きびしさ」は単に「きつい」だけです。
「きびしさ」のない「やさしさ」は「あまい」だけです。

「やさしさ」を含んだ「きびしさ」が本物です。
「きびしさ」に支えられた「やさしさ」こそ真です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
すごく分かりやすいですね。なんだか読んでて感動しました。

お礼日時:2007/01/09 09:10

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