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都内の公立小学校の1年生に娘が通っています。
4月からの新指導要領で、ボリューム的にも内容的にも大幅に学習内容が減少するとのこと。
しかし、この方針に文部省はゆらいでおり、方針変更は必至のような感じ。
方針転換により、突然学習しなければない項目が突然増え、困ったり、学習不振者のレッテルを貼られるのはわが娘。
ならば、親としては、学校で教えない項目について、子供に教えなければならないのではないかと、痛感しております。
新指導要領によりなくなったもののリストなどを入手できるところはありませんでしょうか。
現在は、台形を教えないとか、上弦の月を教えないとか、の断片的な情報しかありません。
よろしくお願いもうしあげます。

A 回答 (4件)

rimeiです。

私は教職に就く者です。

だいぶ,不信感強いんですね。
 本題とは違ってしまいますが,きっと,真剣に教職に向かっている方も少なからずいると思いますよ。世の中からは「楽な職業」みたいに見られていますが,実際は労働時間は長く(私は特に長い方なので週平均で100時間くらい,普通の先生も家に帰ってから採点したり日記にコメントつけたりでかなり大変),いっぱい働いても成果をあげて給料は一銭もあがらない。ですから,子供好きのお人好しでないと(あるいは強い使命感をもってないと)つとまらない職業です。今の世の中の風潮もあって教員にたいする風当たりはかなり強い。そんな中で辞めずに続けている人の中には「本物」の教師もたくさんいるはず。残念ながらspontaさんの言うような方もいるのも事実ですが全部ではないと思います。

>皆さんの意見を伺いながら、自分なりに自分の感情を分析してみると、すべては学
>校や教員に対する不信に根があるような気がして成りません。
>子や親の顔色ばかりうかがっている先生。文部省や教育委員会の顔色ばかりうかが
>っている先生。そういう先生ばかりが目に付いてしまいます。というか、悲しいこ
>とに、娘が小学校に上がってからの1年間で、そうでない先生にひとりも出会いま
>せんでした。
>こどもに生きる力や学ぶ力を求める前に、公立の教員自らが生きる力や学ぶ力を会
>得する努力をして欲しいと思います。

 前回,新指導要領で学習内容が減っていると申し上げました。補足させていただきます。
 小学校・中学校と学校単位で考えると教えなくなった内容がはっきりしているものもありますが,その学年では教えなくなるけれど上学年で教えるといったもの,小学校と中学校でだぶっていた内容を小学校で教えず中学校で初めて教えるようにしたもの,中学校の内容で高校で教えるようにしたもの,高校の内容で全員に教えていたものを選択制にかえたものなどがあります。

 ですから,例えば平成11年版の指導要領に沿った教科書を手に入れて学習したとすると,それが次の学年で出てくるといったことが起こる可能性があります。その時のこどもの学習意欲はどのようになっていくか心配です。ですから,教科書以上の内容を学ぶ時には,過去の教科書は使わない方がよいように思います。

 spntaさんの娘さんが通われている学校の実状も知らずに勝手なことを書いてしまったかもしれません。お許し下さい。
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この回答へのお礼

再度のお返事ありがとうございます。
教師が大変な仕事で、頑張っても報われないこと。端から見ていてもそうなのだと推測します。
でも、だからといって…。
という気がしてなりません。

学校という制度が疲弊し腐敗してしまったとしても、その中に教える立場で、幼い個性といっしょに生きている成熟した個の存在感がもっとあっていいのだと思います。

rimeiさんは、「真剣に教職に向かっている方も少なからずいるはずです…」と書かれました。
揚げ足を取るようで傍ら痛いのですが、その言葉の裏で、真剣に教職に向かっていない人の存在を否定はしないながらも、容認しているのでは。
つまり、rimeiさんのは、そうした真剣でない同僚のことを他人事のようにしていると思えてならないのです。
もし、これが飲食店かなにかの店だったらば、同僚の従業員のそそうは、同僚がごめんなさいとあやまるはずです。

真剣に仕事に向かっていない人のお店は客足が遠のいて、つぶれていく。だが、公立の学校はつぶれることはないから、先生は安心している。というか、他人の悪口を言うと自分に降りかえってくる。ならば、臭いものには蓋という処世になる。
果たして、人間としてそういう生き方でいいのでしょうか。
人に道を説く先生という立場の人間が、そういう処世をしていて、人に道を説くことが許されるのでしょうか。

このように論を展開すると、教師聖職論を持ち出すような錯覚を持たれるかもしれませんが、そうではありません。
人間は間違うもの。だから、修正もするし、謝罪もする。それでいいのです。ただし、その人間に向上心があれば…。です。
しかし現状は、説明もなく、ただ修正、変更。そして、けっして謝らない。
そういう大人の姿を見せられて、こどもたちは世の中のことをどう捉えるようになるのでしょうか。

*

池田小の事件のときに、何故現場の先生がこどもたちを守ることができなかったのかと疑問に思いました。
船長が最後に船を下りるのと同じように、先生が自分の命を賭してこどもたちの命を守るのは当然のことです。もし、そうでないのなら、それは先生ではなくて、ただのインストラクターです。勉強を教えるだけなら、塾の先生の方がましです。
たしかに校長先生は謝罪したり、涙していましたが、同じ立場の先生たちから反省の声が上がらなかったのは不思議でなりません。
冷ややかに見れば、全国に沸き起こったのは、先生自らの命を守ろうとするムーブメントだけだったのでは。

*

大企業が次々につぶれたり、つぶれないまでも、社員がリストラの対象にされ、明日職を失うかもしれないというストレスにさらされながら、多くの親たちが働いているのです。
そうした状況の中で、教師もなかなかたいへんです。と、朗らかに言うことができるのでしょうか。
わたしはフリーランスで仕事をしているので、妻に代わって小学校の保護者会に参加することがあります。他の奥さんはパートを休んで保護者会に行き、説明会に参加するわけです。
何故、パートに行かなければならないか、それは、生活のためというよりも、こどもの将来を考えて教育費を稼ぐためです。
何故そのように断言できるかというと、もし、お母さんが自分たちの遊びのお金のためにパートに出ているのだとしたら、学校の説明会や保護者会などには出ず、パートに行ってお金を稼いでいると思うからです。

新学習指導要領については、私は学習塾で対応策をこうじてくれるので心配しないことにしました。

ただ、教育を根本にして社会が成立していくのだとすると、果たしてこのままでいいのかと思えてなりません。
司馬遼太郎のような切れ者でない、凡庸な頭の私がそう思うのですから、事態は深刻なのではないかと思います。

なかなかお会いし、じっくりお話することもできないとは思いますが、ひとつの意見としてお聞きながしていただければと思います。
私の言葉の中に失礼の段がありましたら、お詫びもうしあげます。
長文におつきあいくださいまして、ほんとうにありがとうございました。

お礼日時:2002/03/15 11:41

学習塾の講師をしています。



どのような内容を教えることになっているかは、文部科学省が発行している学習指導要領の解説書を見ればいろいろと書いてあります。大きな書店に行けば買えます。小学生用のものは1教科100円前後です。ただ、現在発売中のものは平成10年度に改定された新指導要領ですから、それ以前のものを持っていないと、実際には何が削られたのかはわからないですね。

そこで、私のアドバイスとしては、大きな書店に行けばまだまだ旧学習指導要領にもとづいた参考書や問題集が発売されています。書店に行かれて、参考書や問題集を実際に手にとって、いつの学習指導要領に準拠して作られたものかを確認してからご購入なさればいいかと思います。また、大きな書店であれば、担当者に確認すれば、新指導要領に合わせたものか、そうでないものかを教えてくれるはずです。

また、職業意識の高い学習塾の講師はおおむね学習指導要領の内容を把握しているはずです。サービスのよい学習塾であれば、ちゃんと教えてくれると思いますよ。

なお、新指導要領については簡単にしすぎだという批判ばかりが目立ちますが、必ずしも悪い点ばかりではないように思います。私の書いたもので申し訳ありませんが、以下の文などもあわせて読んでいただけるといいかと思います。

参考URL:http://bbs1.parks.jp/15/juken/bbs.cgi?Action=Res …
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この回答へのお礼

早速のお返事ありがとうございます。

そもそも去年の秋に、いつも宿題をためたままほったらかしにしていた小学校1年の娘が学校の勉強がわからないと言い出し、リビングルームにほったらかしにしてあった、出版社系の学習塾のはがきを見て、「行きたい」と言い出したのが始まりでした。
私は、まだ勉強が始まったばかりの小学校1年生なのに、こどもがわからないなどと不満を漏らす学校の勉強ってどうなっているのだろう。と、疑問を感じました。
そう感じたときに新学習指導要領の話があったのです。

たしかに新指導要領の仔細について浅薄に批判することは軽率で不毛な議論だという気がしてまいりました。

話が唐突になるのかもしれませんが、日経新聞のコラム「再び教育を問う」2002.3.7を引用させていただくならば、
もっと重要な問題は、教育が「独立した個」を育てようとしているのか、「優しい組織人」を育てようとしているのか。その揺らぎではないかと思います。
学力は、学習塾へ行けばよい。
でも、新学習指導要領の総合学習での共同作業において、将来のベンチャー企業者を期待できる「独立した個」を育てるのか、役所や企業で使い勝手のよい「優しい組織人」を育てるのか。
そのことのほうが今後の日本を左右する問題の根源があるのだと思います。

質問のお礼になっておらず、自分の主張を述べてしまったことを反省しております。
重ねてありがとうございました。

お礼日時:2002/03/13 09:25

新指導要領で言われている学習内容は減っているのは事実です。

でもそれは,来年から急にではなく移行措置として平成12年度,13年度も減ってきたはずです。

いままでの指導要領では,示されたこと以上のことを教えることは基本的にはできませんでした(発展的な取り扱いはあった)。 新指導要領では,そこに示された内容を「最低基準」とし,繰り返し指導をしたりしながら全員その内容を達成することを目指す一方で,学習内容が身についた児童にはそれ以上の内容を教えることができるようになりました。だから,児童個々でみたら,平成11年度以前の学習内容となる子もでてくるのです。だから,報道で騒がれているように単純に学習内容が減ったということはできないのです。

文部科学省が1月17日にだした「確かな学力向上のための2002アピール」がマスコミで「文部科学省方向転換」とか「文部科学省はゆらいでいる」といったとらえ方をされたのは事実です。ですが,この文書(アピール文)を全文読むと方針の転換などないことが分かります。新指導要領について今までも繰り返し言っていた「基礎・基本の充実」について書いてある部分だけを取り上げて,新指導要領でうたわれた「生きる力」「学ぶ力」路線からの転換と考えるのは誤りです。

ご心配の「台形」も取り扱いが変わり,台形の公式は教えなくなりました。しかし,これは「最低基準」ですので,その内容が十分理解できた児童が結果として台形の公式もマスターすることを否定しているのではありません。以前は,教科書以上のことを教えることはできなかったので,その考え方でいけばご心配もわかりますが,これからは教科書以上のことも学べますので大丈夫です。

教科書以上の内容については「地域や学校の実態」をふまえ「児童の負担過重となったりすることのないように」配慮しながら各学校で決めます。教科書の内容を充分理解している児童への学習について,お子さんの通われている学校へ聞いてみるとよいかと思います。

後は,お子さんが「教科書以上の内容」を教わるためには,今まで述べてきたように,教科書の内容を十分に理解している状況があることが必要です。もし,そのような状態にあるのに,指導してもらえなかったら「うちの子は授業の内容を理解した後も同じ事の繰り返しだったりして授業中とても退屈していて,学校の勉強が嫌いになりそうなのでとても心配しています。」などと担任と相談(あくまでも相談という形で話を進めるのがコツ)するとよいでしょう。
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この回答へのお礼

早速のお返事ありがとうございます。
理路整然と書かれており、解りやすく思いました。

rimeiさんは専門家でいらっしゃるとか。あなたのような方が先生であったり文部省の役人だったりしたら、もっとわかりやすく、もっと受け入れやすくなるのだと思います。

私はその後、他のPTAのお母さん方と話をしたり、学習出版社系列の学習塾の刷物を見て、あきらめたり、納得したりしております。

皆さんの意見を伺いながら、自分なりに自分の感情を分析してみると、すべては学校や教員に対する不信に根があるような気がして成りません。

子や親の顔色ばかりうかがっている先生。文部省や教育委員会の顔色ばかりうかがっている先生。そういう先生ばかりが目に付いてしまいます。というか、悲しいことに、娘が小学校に上がってからの1年間で、そうでない先生にひとりも出会いませんでした。

こどもに生きる力や学ぶ力を求める前に、公立の教員自らが生きる力や学ぶ力を会得する努力をして欲しいと思います。

独立した個たりえない教員が、目の前の児童を独立した個人を育て上げることなどできるわけはない。

教員たちがそのことを真摯に受け入れたのなら、システムやカリキュラムがどのようになろうと、何も心配がないと思います。

お礼になっていないのかもしれません。また、ご気分を害されるような発言がありましたら、申し訳ありません。
rimeiさんのようなプロが多ければ、教育の現場はもっと違っているのでしょうね。
でも、現場の論議というのはrimeiさんのおっしゃるレベルとは程遠い。
我が娘の小学校の校長は文部省のおたっし以上のことはやらないと宣言しました。
現場の教師に考える余地をあたえたとしても、現場が何も考えないのならば…。
悲しいことですが、それが現実のような気がいたします。

お礼日時:2002/03/13 09:01

こんにちは。


私も小1の娘を持つ母です。
spontaさんの質問の回答にはならないかもしれないのですが、
少し誤解をされているところがあると思いましたので失礼します。
台形を教えないというのはウソです。
教科書ではこれまで教えていた「台形の面積を求める公式」は扱わなくなったそうですが、台形の面積を求める授業はこれまで通りあるそうですよ。
これは単に(上底+下底)×高さ÷2の暗記に頼りがちだったやり方を改めて、
自分の頭で考えて、高さが同じ三角形を組みあわせるなど、工夫して面積を導き出すようなやり方にかえていく事が大切だと考えているからだそうですよ。
同じように、円周率も3.14は概数に過ぎないということを、
上弦の月についても今までどおり教えるハズです。

4月からお互い2年生ですね!
親としては、私も不安だらけです。
学校や、文部省も親に安心をあたえてくれる、きちんとした(わかりやすい)説明がもっともっと欲しいですよね。
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この回答へのお礼

早速のお返事ありがとうございます。
台形の話は娘の校長から直接聞いた話。
お礼になっているのか解りませんが、感想を…。

私は算数の専門家ではありませんので、偉そうなことはいえませんが、公式というのは、効率的に答えを求める方法のひとつです。
たしかに、三角形の組み合わせで面積を出すのもひとつの方法だし、その意味ではどちらがどうということではないのかもしまれせん。
しかし、世の中には台形の面積をもとめる公式というのが厳然として存在して、公立の学校でもそれを教える学校と教えない学校がある。
教えられたこどもと教えられなかったこども、どちらが幸せなんだろう。
きっと上の学校では、こどもが三角形で解こうと、公式で解こうと答えは同じなら正解だと思う。
ならば、三角形の面積を求める式を流用して正解を求めるよりも、時間的に早く正解にたどり着けるであろう台形の面積を求める公式を知っているほうが優位に決まっている。
たしかに受験を目前にしていない小学校では「考える力」などと悠長なことを言っていることができるのかもしれせん。
しかし、高校受験や大学受験になったら、考えてないで問題と答えをまるごと覚えることを強要されるでしょう。
また、社会人になると、憶えたことをもとに考えを展開していく力が求められるのでしょうが、現実には、憶えているかどうかで判断されるのが殆ど。大きな組織に入って最初っから自分の意見を発言でもしたら反感を買うのは必至でしょう。
大人にしたって、そんな現実なのに、教育界ばかりが現実とかい離して、「考えること」の根本に「憶えること」があることを忘れ、そのことをないがしろにしているような気がしてならないのです。

私の意見に失礼の段がありましたら、お許しください。

お礼日時:2002/03/12 15:15

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