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宿題の提出期限は、終わりました。
宿題の丸投げではないことをご了解ください。
うちの身内には、戦争を未だに語りたくない人と、戦争当時幼すぎて上手く語れない人と、脚色しすぎる人しかおらず、実感として後世に上手く伝える自信がありません。
お嫌でなかったら、体験談を聞かせてもらえませんか?
近い伝聞でもけっこうです。

A 回答 (6件)

戦争体験を語る時、当時日本内地で生活していた人は全て悲惨で絶望的な生活をしていたと考えがちですが同じ戦災を受けた人間でも身内に被害者がいるのといない人では感覚が全く違います。


私の体験をお話ししましょう。私は小学校2年の時大東亜戦争(太平洋戦争)が始まり6年の時敗戦になりました。小学校は当時2年生まで男女共学です、同級生の女の子の家に遊びに行った記憶があります。真珠湾攻撃のニュースは放課後ラジオ放送で聞いて皆大人が興奮しているので子供も喜んでいたものです。その後の戦果は勝ち戦で国内は浮かれて
いました。しかし子供ながらにおかしい大本営発表だなと思ったのがあのミッドウエイ海戦です、「戦果ーーー、我が軍の損害若干あり」小学生でも若干の意味する事は想像でき、これは相当損害が有ったのだろう
と噂になっていた。その後昭和18年末頃小学生で縁故疎開出来る者は
疎開せよとの通達で四国の片田舎の小学校に転校した、その学校は一学年二学級程度の小さい学校で一人街からの転校生で皆の注目の的にされ
つらい事も沢山あったが、登校拒否も起こさずすごしていたようだ。
疎開当初はあまり田舎すぎて学力が落ちることを心配した親はその県の
街の高松の小学校へ転校したのが19年9月で終戦1年前のこである。
戦時中と言っても空襲もなく新聞、ラジオ放送で戦局が苦しいことは理解していても日曜品が不足している実感しかなく、子供心に早く戦争が終わらないかなと話していたものです、戦争が始まる前はチョコレート
と言ふ旨いお菓子を食っていたなと話ししたものです。しかし昭和20年7月の始に高松の街も空襲にあい十万人程の人が無くなっています。
戦後アメリカに洗脳され被害者は日本の開戦の被害者のようにされ、加害者のことは不問にされていますが、私の戦災体験では明らかに敵は住民を殺害するのを目的としていると実感しました。高松の街は街から脱出するには東西と南へ通じる三箇所の道路しかありません、彼等は最初
爆撃をその三箇所から始め住民を脱出出来ないようにしてから街中央の
爆撃を始ました。幸い我が家はその脱出道路の外側にすんでいたので被害をまぬがれました、爆撃を受けている何時間の間塩田の堤防に作っていた防空壕に入っていました、その時焼夷獏弾がヒューと言ふ音とともにその豪の4,5メートルの所に落下したが不発弾で命拾いしたものです。夜明けとともに郊外の田舎の家に逃げ込みその後一ヶ月半ほどは米軍艦載機が頭上を我が物顔で飛来して低空で飛んでいる時などパイロットの人相まで判別出来るようにみえました。しかし彼等は人を見つけると機銃掃射してきました。あきらかに日本人を殺しにきているなと実感
したものです。戦後日本人が特攻隊までだしてなぜ戦わなければならなっかたのか理解に苦しむようだが、戦争とは戦争を有利に進めている方が停戦の条件を提示しないかぎり終われない。私の考えではアメリカの
ルーズベルトは日本民族をアメリカインデアンと同じように殲滅しようと考えていたのではないかと思っている。敗戦までは日本人は奴隷にされるぐらいなら潔く死ぬ方がましだと考える民族であったと言ふことです。もしヤルタ会談のまま米ソ協調がつずいていたなら日本は米英中ソ
に4分割され日本は無くなっていただろう。幸いなこに米ソ対立のおかげで今まで生き延びてきているのが現状です。米ソ対立がなくなり今までと同じような平和憲法のおかげで平和であったなど言っていると大変なことになるでしょうこれからの若者が良く考えて外交すべきです。
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この回答へのお礼

一字、一句かみしめるように、読ませていただきました。重みを感じます。反芻してよくよく考えたいと思います。本当に貴重なお答えをありがとうございました。重大なものを受け継いだ気持ちです。ありがとうございました。

お礼日時:2006/09/04 01:00

「みいちゃんの見た満州の最後」は文芸社から自費出版しました。

本屋さんからは注文が出来るはずです。
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この回答へのお礼

「みいちゃんの視た~」でした。今、注文を終わりました。届くのを楽しみにしています。ありがとうございました。

お礼日時:2006/09/03 17:37

「みいちゃんの見た満州の最後」を文芸社から昨年、出版しました。

二十世紀の戦争の幕開けは1904年の日露戦争です。やっと勝利を得た日本はロシヤがもっていた南満州の諸々の権利を譲渡され、それから日本が満州経営をしていきます。万里の長城の北,満州族の地は過疎で漢民族もまばらでした。日本はアメリカのようにアジアの多民族からなる超近代国家を目指したのですが,内外の問題から満州事変、支那事変、それから大東亜戦争(第二世界大戦)と対象も地域も広がり最後には、不意打ちにソ連が侵攻して、日本は隣接國、空、海、すべてからやられ、壊滅状態になったのです。ヨーロパの植民地から免れたものの、不平等扱いから開放されるべく、スピーデイに、進みすぎて、周囲に摩擦や脅威をかんじさせたのが,事態の始まりだとおもいます。この本はNHKのこども番組のように判りやすいので,学校や平和団体でとの声がありましたが、公にはとりあげてもらえませんでした。本の中には満州の重要事件,平頂山事件で銃殺刑になった無実の山下満男氏〈父の親友)の遺書も載せてあります。

この回答への補足

恐れ入ります。文芸社のサイトで、ご本を調べましたが上がってきません。タイトルと出版社は、表記の通りでよろしかったでしょうか。

補足日時:2006/09/03 13:10
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%81%AB%E5%9E%82% …

野坂昭如の火垂るの墓がアニメ化されてますが、よく分かるのではないかと思います。作家としての好き嫌いはいろいろあるでしょうけど。

私がならった先生が、この物語の主人公にかなり似た境遇を歩んでましたね。場所も広島、お父さんも巡洋艦艦長、親戚の家に引き取られ、居場所がなくて出て行った所も同じです。でもお母さんはいましたし、山小屋でなんとかしたようですし、出て行ったと言ってもあそこまで完全につながりを断ったわけではないのでそこは違いますけどね。似たような話がたくさんあったんだと思います。

私の身内の戦争体験者(戦争当時ある程度の大人だった人)のほとんどは何も言わずに死んでしまいましたね。
子供の時、おじいちゃんやおぼあちゃんに聞いてみようという宿題が出たのですが、人の苦しみには無闇に踏み入れないものがあるのだなと思いましたね。別に怒られたわけではありませんけどね。で結局聞いていません。兄弟を亡くしたり、親を亡くしたりですから、それはそうかもしれませんね。お互い様とはいえ、誰かに殺されてるわけですから。戦病死とかは殺されてるわけじゃありませんが、遠い異国で病気で死んだというのも遺族にとってはつらいですよね。

親類の兵隊さんの骨をとりに行くのですが、遠くの湊港まで、その兵隊さんの息子さんがまだ子供でしたので祖父が一緒について行ってやったということも聞いたことがあります。親の遺骨を取りに行くなんて、どんなにつらい旅だったろうと思います。でもそれも後から別の人から聞いた話で、本人は何一つ言わず死んでしまいましたね。
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この回答へのお礼

伝聞情報としては、理想的なものを戴けましたことを感謝いたします。自分が体験を聞き出す時、無神経であったことを知るに至りましたことも併せてお礼申し上げます。ありがとうございました。

お礼日時:2006/09/03 09:08

 湾岸戦争とかイラク戦争とかなら、派遣されて体験している方も多いのではと思いますが。

「戦争」というのは「第2次世界大戦」または「太平洋戦争」に限定でしょうか。

この回答への補足

お聞きしていた時は、第2次世界大戦のことでしたが興味が湧いてきたのでどの戦争のことでもよろしいです。お聞かせ願えますか。ありがとうございます。

補足日時:2006/09/03 08:57
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私は戦後生まれですが戦争体験談なら一杯検索できますよ宜しければ・・・


http://aimy.or.tv/book/top_page.html

http://www5a.biglobe.ne.jp/~t-senoo/Sensou/senso …

http://www5f.biglobe.ne.jp/~iwojima/
生の投稿を期待していらっしゃたらご期待に沿えずにすいません

ただ戦後60年体験者様は皆様80歳前後ネットをやっておられる方は少ないかと思いましたもので・・・

余計なお世話だったかも知れませんが・・・・
↓このページは開くと結構大きな音でBGMが入っているので予め音量を小さくしてからクリックしてください。

参考URL:http://homepage3.nifty.com/Defense/
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この回答へのお礼

他の質問サイトでですが高齢のかたを見かけたことがありますし、うちの年寄り(語りたくない人)も、バリバリにネットをやっているので、淡い期待はありました。ご紹介のサイトでしたら、痛みを共有できる心情に至れそうです。ご紹介ありがとうございました。

お礼日時:2006/09/03 08:55

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