キャンディーズとピンクレディの活躍していた時代について教えていただけないでしょうか。
キャンディーズは1977年に解散し、ピンクレディは1981年に解散(その後再結成)していますが、
それぞれのグループが、解散前に人気が低下しはじめたのは、いつ頃からなのでしょうか。
これが人気低下の始まりであるというようなターニングポイントがあったでしょうか。
それは、田原俊彦さんのような急激な人気減少でしたのでしょうか。
解散につながるような人気低下のきっかけは何だったのですか。
出来れば、当時のファンの方がおられましたら、いつ頃に人気の低下を感じ始めたのかを、教えて頂けないでしょうか。
No.5ベストアンサー
- 回答日時:
私も40代前半のオジサンです。
キャンディーズについては皆さんが仰る通り人気絶頂期に解散しました。
キャンディーズは田中好子(スー)をメインにデビューし
超人気番組「8時だョ!全員集合」にレギュラー出演することで
バラエティアイドルとしては人気でしたが
デビューして2年間は大したヒット曲がありませんでした。
当時私は小学生で、同級生の間では「ラン、スー、ミキの誰が好き?」
なんて話題で盛り上がってました。
私の実感として、親たちはちょっと太めで健康的な田中好子に好感を持っていたようなのですが
私たちの間では1位:伊藤蘭、2位:藤村美樹、3位:田中好子
という感じでしたね。
そんな世評に応えたのでしょう、75年に伊藤蘭(ラン)をメインにして
シングル「年下の男の子」をリリースし、これが大ヒットとなります。
翌年、ピンクレディーがデビューし世間を驚かせます。
なぜ驚いたかというと、まだまだ保守的だった当時において
ピンクレディーは非常にセクシー(というより下品)だったんですよね。
だから当初は特に10代男性の間で話題になりましたが
世の中全体的にはキワモノ扱いされていたと思います。
キワモノだったピンクレディーを最初に素直に支持したのは
小学生以下の女の子たちだったと思います。
ピンクレディが「渚のシンドバッド」をヒットさせていた頃までは
圧倒的にピンクレディ優勢でキャンディーズは明らかに劣勢だったのですが
その次の「WANTED!」の振り付けが子供たちの間で大ブームになり
一方、キャンディーズは「やさしい悪魔」を大ヒットさせ健在ぶりを示します。
この辺りから
●小学生以下が支持するのがピンクレディー
●10代が支持するのがキャンディーズ
といった具合にファン層が分かれてきたように思います。
でも「やさしい悪魔」を大ヒットさせたキャンディーズは
その数ヵ月後に突如「普通の女の子に戻りたい」と解散宣言するんですよね。
翌78年はキャンディーズ解散の年でもあり
ピンクレディーの全盛期と言われた年でもあります。
でも、ピンクレディーは悩んでいたみたいです。
何に?
ファン層の低年齢化に。
この年の春にピンクレディーは初めてアメリカでコンサートをして
それなりに成功をおさめたと言います。
子供のアイドルから大人のアーティストに変わろうとしていたんでしょうね。
で、当時の大学生あたりの間で人気が出てきたディスコ・ミュージックに
市場を定めたのでしょう。
その意思表明がシングル「ジパング」だったと思うのです。
モンスター→透明人間→カメレオン・アーミーといった流れから考えると
結構な方針転換だったと思うのですが
裏事情を知らない当時の私のような一般人にとっては
期待外れの「ずいぶん地味なシングル」でした。
案の定このシングルは、「S・O・S」以来続いたオリコン連続1位記録に
ストップをかけてしまいました。
多分「ジパング」が思ったほどヒットしなかったので
急遽「ピンク・タイフーン」を出したのですが
この辺りで「ピンクレディー、どうしちゃったの?」となってきます。
そしたら、何でもピンクレディーはアメリカに進出するとかで
既出の通り、この前後に急激にファンがいなくなったと感じました。
当時、私は中学生でしたが
ディスコミュージックを好むような10代は洋楽にいっちゃうんですよ。
一方、邦楽ではANo.2さんが仰るように
ニューミュージックというのが台頭してきて
歌謡曲を卒業したらニューミュージックという感じでした。
(さらに生意気なヤツが邦楽を卒業して洋楽にいく。)
そんな人たちはピンクレディの和製ディスコなど興味が持てなかった。
一方、アイドルとしてのピンクレディが好きだった人は
翌年にデビューした松田聖子に飛びつくのです。
お礼の書き込みが遅くなりました。たいへん申し訳ございません。
ご回答を書き込んでいただき、ありがとうございました!
当時の様子を詳しく描写していただき、たいへん良くわかるご回答でした。
とても参考になりました。
No.6
- 回答日時:
キャンディーズに関しては、安定した人気という印象があります。
「8時だョ!全員集合」「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」という帯番組を2つ抱えた彼女たち。歌がヒットしたことは彼女たちにとって喜びだったことでしょうが、当時小学生だった私たちにとっては、そんなことは大した問題ではなかったのです。
毎週彼女たちが、バラエティーで楽しく動き回ってくれることが、自然なことであり、好きだったのです。極端なことを言えば、歌がヒットしなくたって、全くかまわない。
バラエティーに出続けてくれる限り、彼女たちの人気凋落はありえない。それが、当時小学生だった私たちの、キャンディーズへの評価です。
でも、ピンクレディーは違う。
彼女たちは、はじめから、歌とビジュアルで勝負してきました。
だから、見ていた私たちも、「かわいいこと、セクシーなこと、歌がよいこと」の条件を満たす間だけ、評価をしていたように思います。
キャンディーズが、バラエティーの「華」として活躍していたのに対し、ピンクレディーは、自らが主役になる番組を立ち上げました。小学校高学年以上のファンが離れていったきっかけが、ここにあったように思います。
「ピンクレディーは、そういうキャラではない」と、わかるファンにはわかっていたし、事実当時の彼女たちは、「やらされて」いた感があります。
音楽的に本当に大衆に支持されていたのは、78年の「サウスポー」までだと思います。その後は確実に「お子様むけ」の曲になっていきました。個人的に、私が好きだったのは「ウォンテッド」までで、UFOは、すでに子どもターゲットのにおいが強く感じられ始めました。
UFO。歌詞の奇抜さから、ピンクの最大ヒットにもなり、支持者も多いですが、私はこの曲から、離れていきました。メロディー、ハーモニーが拙くなってきたからです。当時の大人でも、すでにこのあたりから離れ始めたのではないでしょうか。逆に子どもからの人気は、ピークをむかえます。
この頃(78年)から、キャラクターグッズもすごい数に上りますが、全てが、子供向けだったように思われます。
同じ78年、「モンスター」を見ていた小さないとこが、泣き出しました。あれは、小さな子にとっては、怖いんですね。「カメレオンアーミー」もその類。小さな子をターゲットにしているように思われる半面、そういう曲を送り出してしまう。
いろんな人に疑問を抱かれた中でのアメリカ進出は、残っていた国内ファンの心を裏切る行為に思われました。結果論ですが、どれだけお子様ファンがいたとしても、彼女たちはハーモニーをからめた質の高い音楽で勝負するべきだったと思うし、仕事は選ぶべきだったと思うのです。
非常に長くなりましたが、そういうわけで、ピンクレディー人気低下のきっかけは、UFOから始まる、子供向け路線が感じられた78年の初めです。
ちなみに、モーニング娘。がLOVEマシーンをヒットさせたとき、ピンクレディがUFOをヒットさせたときと同じにおいを感じました。まあ、こちらは音楽的にも高く、幅の広い支持を得られましたけどね。
お礼の書き込みが遅くなりました。たいへん申し訳ございません。
ご回答を書き込んでいただき、ありがとうございました!
キャンディーズは歌よりもバラエティ番組の人気が高かったのでしょうか。
当時の様子をご説明していただき、たいへん参考になりました。
No.4
- 回答日時:
No.2の方が示していらっしゃるサイトに書いてある、ほぼそのとおりなのですが。
現在30代後半で、ファンとまでは言えませんがほぼ両グループのまっただ中だった世代の男なので、実感として書いておきます。
キャンディーズの解散発表は、本当に突然でした。
解散直前にも「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」などの番組にレギュラー出演していて、解散前の最後のシングル『微笑がえし』も番組中で歌ったりしていました。
“普通の女の子に戻りたい”のセリフは、当時とても流行しました。
以上のような事例は、人気が落ちてきていたらあり得ないことです。
対してピンクレディーのほうは、人気の凋落が突然だった印象があります。
1978年に『UFO』がシングル売り上げ年間1位になり、レコード大賞も歌謡大賞も受賞し、その翌年から迷走を始めたような感じでした。
たとえば1979年の最初のシングルは『事件が起きたらベルが鳴る』だと発表されて雑誌付録などにもその歌詞が載った後、B面の予定だった『黄金伝説ジ・パ・ン・グ』がA面に変わり当時の冠番組だった「ピンク百発百中」内で初披露され、さらに曲名が『ジパング』に変わったという事件が、だいぶ象徴的だったなと思います。
このシングルの次がVillage People「In The Navy」のカバー曲『ピンク・タイフーン』で、初めて阿久悠(作詞)+都倉俊一(作曲)のコンビの作でなくなったのも、ターニングポイントだったなという感じです。
ちなみに私、アメリカ進出の英語歌詞の曲『キッス・イン・ザ・ダーク』を今でも歌えます。
参考URLのページには、キャンディーズとピンクレディーの全シングルが発売順に、オリコン最高順位とともに載っています。
キャンディーズが解散宣言でむしろ人気が盛り返したこと、ピンクレディーの人気が急落し解散までついに盛り返すこともなかった様子が、ひと目でわかると思います。
参考URL:http://jmn.jp/70memory/idol70b.htm
お礼の書き込みが遅くなって、たいへん申し訳ございませんでした。
ご回答の書き込み、ありがとうございました!
とてもお詳しい解説で、両者の解散までの様子がよく分かりました。
参考URLもたいへん参考になりました。
No.3
- 回答日時:
解散コンサートが、2つのユニットを象徴的にあらわしていました。
片や、人気絶頂期での歓声の中でのファイナル。
ピンクレディの選んだコンサート会場は、後楽園球場でしたが、雨が降ってきて、台無しでした。
いくらなんでも、ピンクレディだから。と、集客を見込んでいたのですが、がらがらでした。
ビデオが存在します。
その後、お互いにソロ活動をして、旅番組で、久しぶりに会ってから、再結成へと動いたようですね。
あのファイナルのままでは、可哀想すぎると思っていたファンには、救いになりました。
お礼の書き込みが遅くなって、たいへん申し訳ございませんでした。
ご回答を書き込んでいただき、ありがとうございました!
キャンディーズもピンクレディも、解散コンサートの映像は見たことがありませんが、そんなに違っていたのでしょうか。
たいへん参考になりました。
No.2
- 回答日時:
ピンクレディーについては以下のサイトで概略が記載されています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%83%B3% …
この中の終わりの方に、シングル曲が22曲紹介されています。全盛期のころは私は小学生でしたが、私が曲名を見てイメージがあるのは1の「ペッパー警部」から11の「ジパング」までの11曲です。私はピンクレディーのファンというわけではありませんでしたが、学校では女子などは振り付けを真似る子がいるなど、今のどのアーティストよりも爆発的な人気であったと思います。しかし、おそらく多くの人は1~11までの曲は知っているが、以降の曲は知らないという人が多いのではないでしょうか。日本での大成功を引っさげ、アメリカに活動の舞台を移したのですが、それが1979年ころだったようです。12の「ピンク・タイフーン」という曲はアメリカで出した曲だと思いますし、以降の曲もアメリカでリリースした曲が多いのではないでしょうか。ターニングポイントとしては私は1979年だと思います。全盛期は1976~1978年で、出す曲すべてが1位、あるいはそれに近いレベルだったと思います。1979年は松山千春、アリス、オフコース、サザンオールスターズなどニューミュージックといわれる曲が多くヒットしましたし、歌謡界全体の流れも変わり、ヒット曲、名曲の多く出た年です。ピンクレディーがもし日本を離れなければ、もう少し全盛期が続いていたかもわかりませんが、でも、もしかするとニューミュージックの流れが主流になるという中で、製作側はピンクレディーの唱って踊るスタイルは、そろそろ日本では受け入れられないと感じ、渡米という挑戦を選んだのではないかとも考えられます。
いずれにしても1979年の渡米、結果的には米での挑戦はたいしたヒット曲もなく成功したとはいえない、このことが、ターニングポイントというか、人気のかげりと思います。個人的にはいつのまにか渡米し、画面に全く登場しないままいつのまにか解散したというイメージがします。
まあ、その後何度か期間限定の結成をしていますが、過去の栄光がすごかっただけに、当時子供だった世代を中心に大変好評のようですが、これからも激しい踊りに耐えうる限り、結成していただくのは私はいいことだと思います。
キャンディーズについては、やや青年向けという感じで、子供中心に幅広い人気があるピンクレディーとファン層が違うようである。もちろん、キャンディーズの曲の何曲かは知っていますし、「ドリフの8時だよ全員集合」に出てコントに参加したり、歌を歌っていました。解散のいきさつについては、「普通の女の子に戻りたい」ということが理由だが、実際は所属事務所にギャラを低く抑えられるなど、待遇の不満によるものであるようです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%A3% …
お礼の書き込みが遅くなって、たいへん申し訳ございませんでした。
ご回答の書き込み、ありがとうございました!
#1の方のご回答と同様に、アメリカ進出のころから人気が下がりはじめたのですね。
たいへんお詳しくご説明していただき、とても参考になりました!
No.1
- 回答日時:
40代、まさに彼女らの全盛期を見て育った年代のおじさんです。
キャンディーズは、ピンクレディーのデビュー(1976年)により、一時人気が下がったような気はしますが、ピンクレディーを意識した曲『やさしい悪魔』のヒットで勢いを取り戻しました。
その後、高校生以上=キャンディーズ、小中学生=ピンクレディーというファン層の棲み分けが出てきて、キャンディーズの解散・引退の発表は人気絶頂の時でした。(確か『暑中お見舞い申し上げます』の頃ですね)
一方、ピンクレディーは明らかに人気低下→解散という道をたどりました。キャンディーズ解散から1年も経ったら、徐々に人気が低下したような気がします。特に、アメリカ進出を果たした頃(1979年)から急激にファン離れが進んでいったように記憶しています。
お礼の書き込みが遅くなって、たいへん申し訳ございませんでした。
ご回答を書き込んでいただき、ありがとうございました!
アメリカ進出というと、人気が上がるような気がしますが、逆なのですね。
たいへん参考になりました。
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