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大学の論理学の課題で「矛盾律」のことを書けと言われ今苦戦しています。
そこで、課題本などを読んでいてふと思ったのですが、
矛盾律(「Aは非Aでない」)、この一見当たり前に見える原理を否定した人って居るんでしょうか。
居る(居た)としたら、どんな理由で?

個人的にはこの原理、今普通に使っている文法がおもいっきり大逆転を起こさない限り真であるように見えるのですが。。

A 回答 (3件)

論理的には矛盾律は否定できません。

ですが、・・・。


私たちは、Aであるといっておきながら、非Aであると言うことがあります。また、ある人はAであるというのに、別の人は非Aであるといいます。

現実の世界は、論理的には成り立たないはずの「Aでもあり非Aでもある」が言いえる世界です。この言い方は、論理的でなく、超論理的です。



プラトン『ピレボス』(快楽について)のなかで、ソクラテスは、存在基礎論を展開します。

たまたま、同じ頃、論理学の本を読んでいたので、クラス論理学でつかうベン図を描きながら、私は読んでいました。

「いま、全体の内にあるすべてのものを、二つ、あるいはむしろ、きみに依存がなければ、三つに分けることにしたい」

ここで私は長方形を描きました。

「神は存在の一部を無限として示し、他を限(もしくは限度)として示したということを、われわれはさっき言ったと思うが」

ここで、有限(限定されるもの)のクラスと、無限(限定されないもの)のクラスを交わらない円として、その長方形の中に描きました。というのも私にとって有限と無限は明らかに矛盾概念であったからです。

ところが、ソクラテスはつづけてこういったのです。驚きました。

「では、これをわれわれの種類分けのうちにはいる二つのものとしておくことにしよう。これに対して三番目のものというのは、これら二つが混合されて、そこから一つに合成されるものということになる。いや、ぼくはどうもこれはとんだ笑いものだということらしいぞ、種類に分けて、その合算をするのに。[へまをやっている…]」

私は、有限と無限のクラスを示す円を交わらせたらよいのかどうか考えさせられました。

「四番目にもう一つ種類が必要だとぼくには思われるのだ」

「これらを相互に混ぜ合わせる原因となるものを見てくれたまえ」

結局私は、ベン図に4つの領域を作るべく、有限∩無限を存在するものと認めて円を交わらせました。この有限と無限が重なった領域が現実であると、その後考えるようになりました。

たとえば、空間的に限りある粒子としての光子は、また、空間的に無限である電磁波でもあるのです。それは、もちろん同時に粒子であり波であるというのは論理的に矛盾することですが、論理の世界でだけは、現象の説明が限界となるのです。

物の世界と心の世界も排他的なものではなく、物に心があるようなふるまいがあり、心に物がえがかれているように、論理的矛盾概念の対で現象があるのだと思っています。
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この回答へのお礼

なるほど。
「論理学の世界では」という枕詞が付くのですね、言われてみれば当たり前ですがグルグル悩みすぎていてすっかり忘れていました。
確かに同じものが全く逆な性質のものに見えることもありますね。
結局見方(視点)によって異なって見えるという相対性理論みたいなものでしょうか。
あくまで論理学の世界での話、ということを忘れないようにしなければ論理学なんてやってられませんね…!(論理学好きですが…)
それにしても、ソクラテスはそんなことを言っていたのですか。古代の哲学が何千年経った現代でも理解できるというのはすっごいですね。『ピレボス』読んでみます!

お礼日時:2006/11/02 23:12

前の回答で排中律の話が出ていましたが、排中律と矛盾律は古典論理では表裏一体の関係にあります。

矛盾律とは「AでありAでないことはない」ということなので論理式で表わせば¬(A∧¬A)です。これを展開すればA∨¬Aとなり排中律になります。ちなみに多くの直観主義論理では一部の排中律は否定されますが矛盾律は保存されることが多いです。
しかし直観主義論理のような現代論理学に範をもとめないでも、一見矛盾律を否定しているような人は哲学の歴史上多々居ます。有名なところではヘーゲルの弁証法は矛盾律を犯しているようにみえます。ヘーゲルの弁証法では正(A)と反(¬A)が止揚されて合が産み出されるとされます。この合は古典論理で考えればA∧¬Aとなり、それを絶対的な存在等々のポジティブなものとして捉えるヘーゲルはそれを否定しているとは思えないので矛盾律を否定しているように思われます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
排中律のことは教わってなかったので調べてみました。…が、矛盾律よりも直感的には真理具合に欠ける、そんな感じを受けました。でも確かに裏表ですよね。何で矛盾律のほうが重要視(という言葉が適切かどうかはわかりませんが)されるのでしょうか、不思議です。
ヘーゲル、まだ読んだことありませんねー(苦笑)。是非読んでみます。なんだか敷居が高そうで敬遠してたんですけど、読んでみたくなりました。読んでまた疑問が出たら、そのときも宜しくお願いします!

お礼日時:2006/11/02 23:19

矛盾律を否定した人がいるかわかりませんが、数学基礎論でよく出てくる直観主義のブラウアーという人は「Aか非Aのどちらかである」という排中律を否定しました。

ただ、こうすると、背理法などが使えないので、証明が長くなってしまうという問題が発生することから、今はあまりはやっていないと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!
排中律は否定することが出来るのにそれの裏表関係にある矛盾律が明確に否定され得ない(私が知らないだけかもしれませんが)っていうのは不思議ですね、矛盾律と排中律の間に一体何があるのでしょうか。
排中律にもちょっと興味が出てきました。論理学って面白いですねー。

お礼日時:2006/11/02 23:21

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