アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

 
この質問は、aster が行うものです。回答文中では、呼ぶ場合は、aster を使ってください。なお、コメント欄を参照してください。
  
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そこで、質問ですが、わたしは「生きる意味」が見出せません。生きていることにかつて、夢や野望や期待があったのですが、いまや時は過ぎ去り、わたしは生きてあることに希望や未来へのプロジェクションが持てません。
 
元々、頭が悪く馬鹿だとは思っていたのですが、どういう訳か、自分自身の価値を過大評価していた若い時代がありました。いまや、自己の総合的な能力とか知性とかは、非常に低いものでしかないと実感しています。
 
もとより、わたしは社会に何かの貢献をしようというような、殊勝な考えはないのですし、きわめて利己的で、自分のことしか考えていないのが実状です。このGOOで、何か回答していることは、何か誰かの役に立っているのかとも思うのですが、あまりに失意が多いとも思います。
 
質問者のことを思って回答を書いているのではないのですが、幾分か、そういう場合もあるでしょう。
 
人は、わたしが現実的にいかに馬鹿で無能なのか、知らないとも思います。わたしは孤独に生きてきて、孤独に死んで行くでしょう。生きて、何を得たのか、何を成したのか、「空しさ」しかないというのは極論かもしれないでしょう。
 
わたしは、慰めが欲しいのではなく、いかにすれば「意味」があるのか、いかに残された時を生きればよいのか、参考意見を聞きたいのです。また、貴方は、いかに自己の人生に意味を感じられるのかです。生きていることに意味がないとは思いませんが、しかし、この世界は、わたしにとって故郷であると同時に、異邦であるのです(これは「哲学的問題」になるのです)。
 
わたしについての質問は、答えられれば答えます。
 

A 回答 (40件中31~40件)

私からのアドバイスは、ただ一つ、「逆もまた可なり。

」 …これしかありません。

あくまでも私個人の見解ですが、人生における充実感などは、決して、哲学では味わうことは出来ないのではないかと考えます。

現実的な例を引用させていただきますが、私は今まで2つの事業を起こしています。1つめは、わずか半年後にものの見事に倒産し、そのたった半年後に立ち上げた2つめの事業は、創業後10年ほど経ちますが、いまだに業績が上昇しつづけております。

その2つの違いは何なのか?…その理由をよく考えていただきたいのです。

1つ目の事業に関しては、もちろん自分で初めて起こす事業でしたので、事前に綿密に計画を練り、成功の可能性を見極めた上で立ち上げました。しかし、ことごとく失敗に終わってしまったのです。失敗の原因は、「机上の空論」ということに他なりません。つまり、市場調査をおろそかにし、鮮度に欠けた書類上の判断だけで実践に移してしまった事が大きな要因です。

しかし、2番目の事業は違います。今度は逆に、生の社会情勢の情報をもとに「当たって砕けろ戦術」をそのまま実行してしまったところ、意外にも成功してしまったのです。…これは、私が前回の失敗から多くの事を学んだ事と、そのすぐ後に畑違いの営業職に就いたことによる多くの人達との交流から得られる生の情報のおかげなのです。もっとも、成功の要因は他にもありますが、ここでは必要ありませんので省略します。

それと、そう、忘れていましたが、思い起こせば似たようなことを以前にも体験しています。それは私が10代の頃、軽い鬱病にかかり、試しに精神科を受診したところ、薬物を処方された上、カウンセリングや森田療法などを積極的に勧められましたが、私の場合においては、数ヶ月療養したにもかかわらず、全く効果が無かったのです。しかし、そんな時に東京のある民間施設の存在を知り受講したところ、何と、たった2週間で完治してしまうという事態に遭遇してしまうではありませんか…。

そこでは理論よりもまず、体験させる事を主眼においた「体験療法」を実施しており、人とのかかわり方を体験的に学習させる事によって、他人への恐怖心をなくし、人との付き合い方を処方し、社会の中における自分の存在価値を再認識させながら理論的療法を実施する、というものだったように記憶しています。


前置きが長くなりましたが、ここで、前述した事を踏まえた上で、asterさんの直面している問題に立ち返ってみましょう。

ここで私が言いたい事は、「人間社会の中においての充実感を欲求されておられるのなら、異文化コミニュケーションをはかるのも一つの手ではないでしょうか?」という事なのです。極端な例ですが、陶芸教室に通うのもよいでしょう。ゲートボールの練習に参加してみるのもよいでしょう。自分の身分やプライドを捨てて、多様な人達と楽しく語り合ったり、その人達と一緒に心の底から笑える充実感に浸ることが出来たなら、やがて変化が訪れます。頑なだった心が次第に柔軟性を帯びてきて、時の流れに取り残されていた存在が、緩やかに時を刻み始めるようになります。

私の知人の中にも、社会的に、ある特定のある特殊なポジションに就いていて、すでにある程度の財を築き上げているにもかかわらず、精神的充実感が無いと嘆いている贅沢な人間が居りますが、それはつまり、自分が置かれている社会的空間から外に出ようとしていない(または、自分の存在感がなくなるのを恐れて出られないでいる)からなのではないかと考えます。

誰かに歌手の才能があると認められたなら、素直に喜べばよいでしょう。作家になりうる資質を認められたのであれば、ありのままの自分をさらけ出してみればよいでしょう。頭の中で思考を重ねることよりも、まずは実践してみることが肝要ではないでしょうか。実践してしまえば、否が応でも現実的に物事を考えなくてはならなくなります。そして、その時の思考の充実感が真の喜びを与えてくれるはずです。たとえ失敗したとしても、その中からは書物からでは得られないであろう新しい発見が必ずあるものです。人としての喜びは、十分に味わえる事でしょう。

ともあれ、残された時間があまり無い人間から見れば、悩める時間が与えられているだけ羨ましいものです。


思うがまま書き連ねてしまったので長文で理解しずらい文章になってしまったかもしれません。要約すべきところでしょうが、時間がありません。稚拙な文章で失礼いたしました。
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 生命契約理論(仮題)勉強中に見つけたのです


が、もしかして機能や効率や意味が問われるのは
「道具」だけではないのかなー、と提案します。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。人間は主体であり実存であり、道具的手段的存在様態は、頽落だという考えは無論あります。

しかし、本質忘却の故郷喪失も、われらがシオンへの思いも、「この世に生きてある」事実性を否定していません。

人は、社会関係や、その他の連関関係で、「この世」に結びついており、その時、道具的・手段的存在の位相も、かくなる「この世的本質」に属するというべきでしょう。「道具」であることを全うすることで、「人生の意味」の充足が得られるという人生もあるでしょう。

本来的本質は、非本来的本質と対になって、「本来性」を持つのではないでしょうか(わたしが、このようなことを言っていては、叡智の探求者として、話になりませんが)。
(2002/0426/0520)

お礼日時:2002/04/26 05:25

asterさんが今までに得たものをこのサイトで、このサイト外で、みんなに分けてあげる。

asterさんは、よりよきものをみんなに分けてあげるために、思索を深め、本を読む。

ただ読書したって、つまんないでしょう?
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生きて、何を得たのか、何を成したのか、



成長したんじゃない?
これからも おっきくなればいいよ。
苦しい時に成長してる。成長痛ってあるじゃない。
マダマダ若い証拠。若い間は、おおきくなーれ♪って。
おまじないかけてあげようか?慣れたもんだから心配しなくていいよ。
 

あなたの目の前に 新しい世界が 広がりつづけるように(って感じを含む成長) 

まじないをうけるか うけないか 受けるんだったら 受容できる姿勢をとったらいいよ。何か「感じ」が来た時に。
何時来るか、期間は内緒。へんに意識すると受け取れないから。
あと、これはのろいじゃないから(笑。
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甘いもの大好き!


プリン大好き!
チョコレ-トケ-キもわすれずに
おなかいっぱい食べましょう~♪
お口直しは、ミルクです。

うん。満足!満腹!ぷくぷくぷく。
$(^-^)$おいしかったぁ-☆
うふぅ。。。生きてるっていいなぁ~♪
至福のときです~♪

この回答への補足

回答をお寄せくださった皆様。たいへん、ありがたく思っております。

ところで、何時までも質問を締めないというのも問題でありますので、二日後か三日後ほどをめどに質問を締め切りたく思います。色々な考えは、捜せばまだまだ多くあるとは思いますが、必要な場合、また、形を少し変えて質問することもできます。

このような質問に完全に満足する回答などないことは、当然のことで、そのことは、皆様を決して侮辱するための言葉ではありません。しかし、色々な回答を戴き、忘れていたことや、視野の盲点のようなお答えもあり、わたしとしまして、質問を提示させて戴きました価値は、大いにあったと思っております。

新しい方のことは分かりませんが、すでに回答をお寄せくださった方で、いま少し言葉をと思われる方は、宜しく投稿願います。

お礼を皆様に書くのに、たいへん手間取っておりますが、質問を締め切った後でも、お礼は書くことができます。

まだお礼を述べていない方も含め、皆様、ありがとうございました。
Aster (2002/0426/0550)

補足日時:2002/04/26 05:53
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 ただの道具はOKwebを読まないでしょう。



 単なる道具はさておき、美味しいお菓子を作る
道具=料理人の目的は果たせているようです。
 その菓子料理人の目的は食べた人を幸せにする
美味しいお菓子を作ることでしょうから・・・。
 後でダイエットに困らない範囲でどうぞ・・・

(本音:くー、うらやましいなあ、どっちも!)

 人を幸せにする道具。 努力の価値あるかも。
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#24の者です 


 
文章力が未熟なために、如何様にも取れる回答を好意的に受け止めていただき光栄に思います。
日課のようにこの欄を検証していましたが、そろそろ閉じられる時期が近付いたようなので、何がしかの合意をもとに具体的な提言をさせていただきます。

ご存知のことと思いますが、一時期 森本哲郎 という人が旅と哲学を絡めて、独特の世界観を元に現代日本の抱える問題を平易に描いていました。僕は若かりし頃、感銘を受けていた思い出が有ります。最近は高齢のためか、以前のような世界を股に掛けるような切り口は失われているようです。
もし貴方が文章を手掛けるとするならば、彼の姿勢は多いに参考になると思いますし、彼がやろうとしたことを継承する技量は十分に兼ね備えているように感じられます。
また バビロンに行きて歌え は、僕にとっては 池澤夏樹 の小説でなじみのあるものでした。小説のなかで歌う主人公のアラブ人も、異邦の日本で歌う普遍性ある響きが評価されていました。

そこで僕が読んでみたい文章の一例を挙げるならば、貴方が描く 異邦からシオンへの旅の情景 であります。どれだけの思索が生まれることでしょう?
今の日本でその旅を妨げるのは、貴方以外に一体誰がいるというのでしょうか?

参考にしていただければ幸いです

Bon Voyage!

この回答への補足

皆様、多数の回答をお寄せいただいて、感謝しております。

すでに、質問を投稿してから半月以上が経過しますし、これ以上の回答も、前回の補足でも述べましたが、待ち受けるより、ここで一旦質問を締め切るのが、やはり、礼に適うことだとも思惟いたします。

「死と生」についての質問などもあり、そういう質問を投稿させていただくかどうか、今後のことは分かりません。

とまれ、ここで締め切りとさせて戴きます。なお、「お礼」を未だしていない方が残っておりますが、この質問の回答の「お礼」を書くのは、たいへん精神的に疲労することです。質問を締め切った後、少しづつお礼をして行きたき思いますので、しばらくお待ち下さい(質問によって、お礼しないものも出てくると思います)。

少し失礼します。No.37 の方の回答へのお礼を、ここで簡単に記させて戴きます。No.37 の回答の「お礼欄」は開けておきたく思うからです。

「森本哲郎」という方は、名前を聞いたことがあるような、ないような方です。とまれ、参考として、一度、書店でも調べさせて戴きます。丁寧な回答と助言、有り難うございます。

では、皆様も、本当にありがとうございました。
Aster (2002/0430/0433-0445)

補足日時:2002/04/30 04:44
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 だいたい俺は今三歳なんだけど二歳の時にはもうわかってたね!
 
  それは単純だけど 少しの目の位置でなんにでも見えるっていうことを
 
 迷子になった覚えはない
 スピードに乗ってる実感も無いっ (語尾シャウト、声裏がえり気味)
 けど最後に飛びのったって わけもないぜ
 

全部抜粋

ゆらゆら帝国考え中 byゆらゆら帝国

俺も二歳半目の時にはもうわかってたね。
青いなら、青いなりに生きれる。それがどれほど素晴らしいか。
朽ちたなら、朽ちたなりに生きれる。それがどれほど素晴らしいか。
成すべき手も、足も、出せないまま死ぬ。それがどれほど素晴らしいか。
成すべきことなんて、青いうちから考えきれねェよ。
考え中なだけ(笑。
たまにはな、考えなくてもいいな。白神山地行ってきたら?ゴールデンウィーク。
おもろい奴に合えるかも。
解放するんだよ。引力も。君の苦悩も。天気は崩れ始める。退屈な日和、楽しむならいまだ。そのうち泥だらけの道、ばしゃばしゃ水溜りふんでかけまわらないといけなくなる。死に場所が選べるかどうかは知らん。生き様も選べない。選ばない。
俺は選ばない。
叡智は手でつかむには空をつかむようなもので、広すぎる。深すぎる。測り知れない。知者は、叡智を知り尽くすことはできない。上には上の知者がおり、その意味では無知者は、知者にあらざるものを得ている。根源的に、知者は無知者であるんです。ソクラテスまじすごいよ。彼はがんばった。ソクラテスの「無知の知」と、教室の窓から見える外の景色から、学校の現代の意義が見出せる。
井の中の蛙がそれ(叡智)をつかむにはどうすればいい?一度井戸の外に出れば、あの時の闇はもう無いのだ。それは只の井戸の影になる。上からのぞけば。
(別に学校が井戸だと言っているのではない。) 
 
 あめふり バス停 ずぶぬれオバケが出たら あなたのあまがさ 
 
  
           かしてあげましょう
  


        「もうついたから、旅は終わりだ」
 
おれも旅をすすめよう。すすめるまでもなく、行く時に、君は行ってしまうけれど。ついたところに、誰がいるかはお楽しみ。旅の途中で、何があるかはお楽しみ。考えたら、もう出てるよな。君は旅に。
俺はもうついた。旅路に着いた。旅は終わった。
 
「しかし、この世界は、わたしにとって故郷であると同時に、異邦であるのです」
 
十分じゃねぇか。
 
俺は最近、頭が炭酸なこと、思い出しました。
阪神、何故か強いけど、こうなるとどうでもええわ(笑。
 
↑裏切ったな!(笑。俺も、阪神、ああなるとどうでもいいよ。頭炭酸。
っていうかもう夜明けだよ。じゃあな。
あわは何故はじけるのか?
たまらずはじけちゃうんだよ(笑。←こんなのあり?(笑
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「鏡」の存在意義(価値)を知っていますか? 



えっ 「身だしなみをチェックするための道具」ですって?

青い! 青すぎますよ~!

鏡の中に映る自分の姿は、すなわち、他者の存在ですね。社会における自分の位置関係を如実に映し出しますよね。

眉間に皺を寄せてばかりいては他人に相手にされませんが、にこやかな表情を常に浮かべていれば、他人のほうからやって来るものですよね。

asterさんは、博学すぎて、一番大事なことを忘れてしまっているようです。

私のように、ふらふらながらも翼を広げて飛び回っていれば、光を見失う事はありませんよ~!
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てめぇが青いよ(爆。


 
鏡なんて、ナルってしまうときのため。そんな鏡は、こぶしを突き出して割ってしまえ!それが至高のナルシスト(笑。
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顔を怪我した時だろう。鏡で顔みないと、どう怪我したかわからない。

鏡の存在意義。それは、銀板に映る姿が、虚像であるとさとるため。それは自分じゃない。
見えている自分は虚像だよ。
社会におけるじゃない。俺において、社会云々。ま、なににもおかないけどな。
鏡に映る、太陽も、虚像さぁ。
振り返れ!
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