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ビートルズについていくつか分からない点があります。
わかる範囲でよいので答えていただければ…

・アルバム「Let It Be」ではフィル・スペクターがプロデュースしてますよね??ほとんどのアルバムがジョージ・マーティンだったと思うのですがこのときはなぜフィルだったんでしょうか??
・たしかジョージかポールがしばらくインドの宗教にはまり曲作りにも影響されたようですがどのアルバムがもっとも影響を受けたのでしょうか??
・ポールのマザコン説は本当なのでしょうか??
・最後にあなたが選ぶビートルズの曲を3つ(できれば理由も)

皆さん、よろしくお願いします。

A 回答 (3件)

ゲットバック・セッションはポール主導ですよね。

で、結局アルバムとしてまとめられなかった。この辺の事情はご存知ですよね。話すと長くなりますから。
で、まとめられ無かった音源をフィル・スペクターに任した訳です。確かジョンが依頼したんじゃなかったかな。その後のソロでもフィルを起用してますから、ジョンとジョージはフィルの仕事を評価していたんだと思います。ポールにはフィルに任したなんてことは連絡されておらず、特に「ロングアンド~」の出来などには大変怒っていたようですね。
インドに最初にハマったのはジョージですかね。その後みんなを引っ張り込んだ感じなんだと思います。ジョージ自身の事情や、当時のポップカルチャーの色々な要因があいまっての東洋思想への傾倒だと思います。そのせいでパティがとかねぇ。
ポールのマザコン説ですが、なんだかなぁ。まぁ、あえて言えばむしろジョンのマザコンの方が非常に顕在化してますけどね。ただ、こういう話題をこんな短い文章で語りたくないんでパスします。
最後に3曲だけってキツイなぁ。アイウォントユーとゲッティングベターとインマイライフかな。理由は特に無いです、明日訊かれたらたぶんアイウォントユー以外は違う曲を挙げると思う。
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インドへの傾倒はノーウィジャンウッズへのシタールの導入あたりから始まっているようですが、ここでのシタールはまだ未熟というかお遊びに近く、それ以降のリボルバーやホワイトアルバム、特にジョージに顕著です。

曲としてはラブユートゥーとか。
ビートルズはマリハシ・ヨギのもとに修行に行き、ジョージ、ジョンのポール、リンゴの順で長く滞在しました。ポールとリンゴは結構早く帰ってしまったようですが、ジョージは数ヶ月も居たとのこと。瞑想などをしたそうです。ヨギはその後スキャンダルに遭い、ジョンはホワイトアルバム収録のセクシィセディで彼を非難しています。セディへの辛辣な言葉は実はヨギに向けられているわけで、違った一面での「インドの宗教によるビートルズの曲への影響」と言えるのではないでしょうか。
求める回答とはちょっとずれているかもしれませんが、参考に。
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A1:他のアルバムと経緯が違う為(既に事実上解散状態、オクラ入りしていたテープを後から編集して作った)ですが、ではなぜフィルだったかは知りません。

ジョンの依頼だったかな・・。フィルのアレンジをメンバー(特にポール)はあまり気に入っていないようですが(最近”Naked”出ましたしね)。ただその後のソロアルバムでジョンもジョージもフィルにプロデュース依頼していますので、彼の仕事は好きだったのかもしれません。
A2:「リボルバー」「サージェント~」でしょうね。「ラバーソウル」の「ノルウェーの森」の頃からです。1965年~67ですね。ホワイトアルバム(1968年)では既にさよならしています。
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