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イエスの母マリアは聖書の中ではあまり出てこない脇役って聞いたことがあるんですが、今は“母性の象徴”とか“完璧な母”みたいに言われてますよね??
それはいつごろから、なぜそういわれるようになったんでしょうか?
よろしくお願いします。

A 回答 (4件)

いつ頃というのは、なかなか明言しにくいですね。



「キリスト教=一神教」というのは、固定概念ですね。
実は、キリスト教は多神教的でもあるのです。(もちろん、キリスト教が認める神は一人なのであくまでも「多神教的」と述べておきます)
キリスト教には多くの聖人がいて、例えば旅の無事を聖クリストフォルスに祈るなんて事をします。
他にも沢山の聖人がいて、それぞれの聖人に対して祝祭日があったのに、ついに数えきれず「諸人際」なんてモノを作って一緒くたに祝っちゃうという事になっちゃいました。

これは、布教するのに土着の民間信仰の神を「聖人」にする事でキリスト教に取り込むという機能があったと指摘されています。
そして、聖母信仰も各地の「女神信仰」と結びついて広まったと考えられています。
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No.3さんのおっしゃる通り、聖母マリアは世界各地にあった太地母神が原型です。


ただ、太地母神は慈悲深い、いつも涙を流して何もできないされるがままの弱い者などではなかった。

地球各地で、女神崇拝が行われていました。
紀元前3500年頃 ほとんどなりを潜め、男神崇拝になっていきましたが、名残は各地に残りつづけました。

黒いマリアという概念も、おそらく女神崇拝は表向きはなりを潜めているが、確実に存在しているという意味と、シンデレラ物語のように、キリスト教によって台所の隅に追いやられ顔がすすだらけになったマリアに心を寄せ続けることをやめないという信仰から来ていると思います。
(確か聖書だったか忘れましたが、城壁の見張りによってシオンの娘が、ぶどう畑に追いやられ働かされ、顔が真っ黒になった という記述があったと思います。この城壁の見張りが教会と考えられたようです。)



キリスト教は力により各地を征服していきました。
キリスト教を布教しようとしても、各地には女神崇拝が残っていました。
どうしても土着の神を人々から取り上げることができないとわかると、人々が崇拝していた女神をマリアとすり替えてしまったんです。
これによって困難を極めていた改宗が一気に楽になりました。
人々は征服者が強制するイエス崇拝はいやだが、女神に似たマリアならキリスト教徒になる ということだったようです。

だから本当のところは、人々がイエスよりマリアを崇拝している理由は、弱い泣くだけの女マリアではなく パワフルは女神崇拝を隠してキリスト教徒にならざるを得なかった人も多くいたのではないかと思います。


キリスト教では三位一体という概念を作りましたが、それのソースは女神の概念なんです。
しかも父と子と聖霊などじゃあない。

産み 育て 破壊する三面をもった女神 つまり三面一体が女神の概念で、過去・現在・未来の神と考えられました。
「過去にいまし、現在にいまし 未来にいまし神よ」とキリスト教でいわれ、ユダヤ教で「私はある」という言葉によって表されている神は、実は女神のことだったと思えます。


ユダヤ教の遺跡後からたくさんの女神像が出土しており、ユダヤ教も実はずっと女神崇拝だった時期が長くあったとわかりました。


何故 父と子と聖霊、 三位一体とする必要があったのか。
キリスト教会は人々のマリア崇拝は大地母神崇拝(にしかすぎない)と知っていました。
キリスト教ではイエスが唯一の神なので、キリスト教に別の神がいては困るわけです。


もともと父と母と子というのがパーフェクトなのですが、(ダビデの星に点が打たれている。あれが完璧の表象図形)、イエスを神とすることになった途端 困った問題が起こりました。
神を生んだからにはマリアは神とならざるをえない。
が、キリスト教はそれは困ります。
イエスを神とした途端 マリアも神になってしまう。
大いに悩んだようです。 早く手を打たなければならない。
マリアをどうにかしてイエスだけを神としたい。 どうするか。
三位一体を作り出し、イエスの出生は聖霊の業だとしたわけです。
マリアはイエスの出生には関係ないとしました。
ただの器にしかすぎないのでマリアは神じゃあない。 としました。


マリアの原型はモーセとアロンの姉のミリアムだと思えます。
そしてどうやらただの女ではなかったようです。
聖書に白く変容したと記述されていることから、神格化された時期があったと思えます。
(聖書では神から罰を受けたので白くなったとなっていますが、そうなると白く変容したイエスすら神から罰を受けたことになってしまいますね。)


ミリアムは水の概念ですから、女神ティアマットが原型かもしれません。
(ティアマットはバビロニア神話では息 つまりマルドゥクによって八つ裂きにされてしまいます。つまり女神崇拝の終わりが神話に残っている)


いずれにせよ 太地母神 つまり女神の体現者がミリアムと考えられていたと思えます。
神格化の後が見えますので、かなりの力を持った人だったと思えます。
その強い女神の体現者とされたミリアムが、どうしてただ泣くだけの人形のようなミリアム(マリアのヘブライ語はミリアム)になってしまったのか。

三位一体を作り出した動機が起源だと思われます。


全知全能の神すら呪いをかけることができるのが大地母神だとキリスト教は考えました。
従って大地母神の概念を持つマリアのパワーを弱めないと、イエスが女神に呪われるとキリスト教は考えました。
そこで女神の特徴を剥ぎ取り、ただ泣くだけの弱弱しい女が女性信者の手本であると教えて、女神崇拝により女神の力が神イエスに及ばないようにと考えたと思えます。


母性の象徴とか完璧な母 と言われていたことは知りませんが、とにかく何をされてもただ泣くだけの女だけ神イエスは愛するぞ と信者に教えて信者がそんな女を手本とするようにと教えたと思われます。
全てはイエスのためよかれと思ってやったことだった。


その神経症が悪化した結果、魔女狩が起こりました。
まっさきにやられたのが、占いをやる女性たち。(男も含む)
彼女たちは魔女で、彼女たちによってイエスに呪いをかけられたらたまらないと殺していったわけです。
(今でもまれに宗教儀式のお祓いとして、棒でたたいて悪霊を追い出すはずが殺してしまって殺人として捕まるという事件がありますので、宗教が昂じると理性がふっとび殺意が無くても宗教目的で人間は人を簡単に殺せてしまうわけですね)


ともかくも、イエスを神と会議で決定したため、大惨事がひき起こってしまったわけです。


土着の女神を崇拝することをやめずキリスト教に改宗してくれないとなると、別の手を考え、土着の女神をマリアに摩り替えてしまったようなのです。
するとイエスは神だとしないが、マリアなら となった。
これにより信者は大幅に増え 教会の財産は潤っていくわけです。


ヴァージンメリー。 
この意味は一生処女だったマリア という意味じゃあない。
バージンとはもともとの意味は誰にも支配されない者 という意味。
これも女神の概念です。


歌手のマドンナ。 
本名だそうですが、父親が敬虔なキリスト教徒で、娘にマドンナと名づけたわけですが、彼女がまさにバージンマリア。
ステージを見ても両性具有の象徴のバックダンサーたち(女神の猟犬 つまり天使)をひきつれた大地母神の化身のようになっています。
たくさんの信者?がそれに酔っている。
パパは弱弱しいただ泣くだけの人形のような女に娘をしたくて名前をつけたようですが、大地母神のようになってしまいました。
しかもたくさんの崇拝者によって守られている。


で、、、いつ頃からマリアが女性信者の手本にするようにとなったのかは、、、、
5世紀頃から信者の中にはマリアはイエスより上と考える人々が出てくるようになりましたが、キリスト教では今も尚それは認めていません。
従って人々の間では6世紀頃から今にいたるまでマリア崇拝はありますが、キリスト教ではそれは今もって許可していません。


音楽では アヴェ マリア の歌詞を見ると「神により祝福された女性」と歌っています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B4% …
(なお、ラテン語の歌詞と上記のサイトの日本語文は内容は一致していません。)
【冒頭から4行はルカによる福音書からとられる。最初の2行は大天使ガブリエルのマリアへの受胎告知の挨拶の冒頭(ルカ1:28)であり、続く2行はエリザベトがマリアに向かって述べた挨拶の冒頭(ルカ1:42)から取られる。残りの後半は中世においてフランシスコ会の修道士の付加と言われる。 日本のカトリックの文語訳では天使祝詞(てんししゅくし)ともいう。
この祈りは教会によって伝えられるが、典礼行為ではなく、私的な信心業として伝わるものである。】

歌詞の意味を調べると、この内容は女神崇拝じゃない。
キリスト教では男性を堕落させたのは女性だと教えています。
ただ、マリアだけは無原罪として、忌むべき存在の女の中でたった一人神であるイエスを生んだマリアだけは清いとし、このように女になれと女性信者に言っている思えます。
冤罪です。 魔女狩のようなものですね。


と つらつらと書いてしまいました。
まとまりがなくてすいません ><;
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聖母マリアの原形は、大地母神です。


オリエント文明のイシュタル神、エジプト神話のイシス神、ギリシャ神話のアルテミス神やディメテル神、ゲルマン神話のフライ神やフライヤ神、アスティカ神話のトナンツィン神などをとりこんだものです。

聖書に記載されないのは、聖書の成立当初には、マリア信仰はなく、ローマ帝国内に広がってゆくうちに、各地の信者を取り込むため形成されてゆきました。

その最も顕著な例が、メキシコの褐色のマリアであるグアダルーペです。
ヨーロッパに広がる褐色のマリア信仰は、そもそもエジプトのイシス女神が元になっていると言われていますが、その褐色のマリアであるグアダルーペを祭る神殿を、アスティカの大地母神トナンツィンの神殿の場所に建てたのです。
ここで、聖母マリアとアスティカの女神と組み合わせる事により、メキシコ人を短期間のうちにカトリックへと改宗させる事ができたのです。

>今は“母性の象徴”とか“完璧な母”みたいに言われてますよね??

これは、カトリックの世界だけ(正教会でもありますが)であり、そうしない教派も沢山あります。
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一神教というのは、ちょっと観念的。


なんせ、ギリシャ哲学で教理が固められちゃいましたから。
そのキリスト教を、ゲルマン民族に流布するときの方便として、「おっかさんって 大切でしょ」という感じで使ったのです。
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