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誤解しないでください。
僕がこう思っているわけではありません。
人を殺すことはだめだと分かって質問します。
『どうして人を殺してはいけないのでしょうか?』
こう質問された時、何と答えますか?
『当たり前だろ。言うまでも無い』
という答えでない、答えは止めてください。

A 回答 (38件中11~20件)

>こう質問された時、何と答えますか?



純法律的に考えるとします(社会正義論、道徳論、倫理論はとりあえず除外)
私ならこう答えるでしょう。
1.結論として、人を殺してはダメだという規定は法律には一切書いてありません。極論すれば「ご自由にどうぞ」ということです。
2.「そんなバカな解釈有り得ない」といわないでください。日本国憲法は戦争放棄していますが、自衛のための戦争OKでしょう。戦争放棄している国は日本くらいで、どの国の憲法も「戦争OK」でしょう。ところで「戦争って人を殺すことでしょう」と言わざるをえませんよね。
3.軍隊とは極論すれば「人を殺すことを職業とする人々の集まり」でしょう。(極論であってかつ誤った考えですが、議論をわかりやすくするため、とりあえずこうしておきます。)ということは「ご自由にどうぞ」という解釈すら甘いともいえないこともないでしょう。
3.そうすると「人を殺してはダメだ」と法律で決めるとたちまち法体系全体では矛盾になりますから「ご自由にどうぞ」とせざるを得ないといえることになります。
4.そこで刑法の規定が登場します「第199条 人を殺した者は、死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する。」という規定です。
 人を殺すのは自由であるが、戦争の場合以外のときは「死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処せられることを忘れてはならない」と言っているわけです。
5.こういう眼で『どうして人を殺してはいけないのでしょうか?』
という質問を眺めると、やはり真の答えは『当たり前だろ。言うまでも無い。ただし軍隊は例外。』と結果として法律は定めているといえます。社会正義論、道徳論、倫理論を法律にむやみに入れ込むと混乱が生じますから、仕方ないことです。
6.細かくいうと、死刑も例外で、警察も例外でしょう、ほかにもあるかもしれません。
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動物は、一部を除いてく遺伝子の段階で同じ種族を守る習性があるようです。


人間も、法律がない時代から同じ種族の人間を殺すことを悪いことと考えていたようであり、これは本能だと考えます。
法律がない昔の時代にもアウトローは存在していたのですが、人間を殺したりものを盗んだりすれば、その地域なりのキマリによってそれなりの処罰を受けていたはずです。

現在の法律は、その習性を、あたりまえのこととしてキチンとした文書にしたもとであると考えます。

人を殺すことですが、法律のみで考えれば違法性を阻却する事由があれば正当化されます。つまり悪いことではなくなってしまうのです。
これについては、致しかたないのですかね・・・
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殺すとは 命を奪うことだからだと思います。



窃盗や相手の権利を脅迫などにより制限したりすることも
違法にですよね?
但し お金や物質的なものは 元に戻すことが出来ますが
命は元にもどす事が出来ないわけですから 殺してはいけないと
いうことになるのだと思います。
だからこそ 尊いと思えるのかも知れません

しかし 尊さを考えてしまうと牛肉や鶏肉など食べるのは
どうなのか? という矛盾があるように思います
緊急避難や正当防衛などで 命を守る為 他の命を犠牲にすることが
許されてますよね その理屈で 人間が命を守る為に
争いが正当化されたり 家畜を食べ 何かの命を犠牲にして
生きるのが 今の社会だと思います

話しを戻しますが なぜ人を殺してはいけないか?
結局 自分の命を守る為以外に命を奪うということを
禁じているのだと 私は思います。
  
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 しばしば耳にする質問です。

たぶん、大切に思う相手がいない人の嘆きでしょう。私は自分の愛する人や息子や友人が殺されるのはご免こうむります。多くの人もそう思っているから、そういう社会規範ができている。論理的に証明するような事柄ではありますまい。法律以前の問題です。
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『当たり前だろ。

言うまでも無い』
というのは答えではないと書かれていますが、実のところそれが答えと言ってもいいかもしれません。「ダメだからダメなんだ」と言ってもいいかもしれません。

もっと正確に言えば、「ダメだからダメとしなければならない」のだと思います。なぜなら、殺してはいけないという理由を作ってしまうと、それに対する反論や批判が当然出てくるからです。そうすると、殺してはダメという信念が揺らぎます。「人は絶対殺してはならない」から、「殺していい理由を絶対に作らせない」。そのために、「殺してはいけない理由を作らない」のだと思います。

誤解を恐れずに言えば、理屈的には人を殺していい理由は、稚拙なものなども含めればたくさんあるはずです。だから、殺していい理由を考えさせない必要性が出てくるのだと思います。(この辺は、ベストセラーになった「国家の品格」を参照してください)

ただ、私が思う殺してはいけない理由に次のようなものがあります。

例えば、仮に誰もが自由に人を殺して良いとします。そうすると、殺し合いが始まり、次から次から人が人を殺せば、最後には人類が滅亡してしまう可能性があります。また、人を自由に殺していいとしたら、おそらく自分が誰を殺すというより、自分や自分の大事な人がいつその標的になるのかという不安の方が大きいと思います。自分は一人ですが他人は無数にいますから。なので、殺すより殺されないように生活しなければならなくなります。そうなっては、おちおち外出はできません。仕事もできないし、恋人とデートもできないし、しまいには家族も信用できなくなるかもしれません。また、食料などの買い物も気軽にできなくなります。つまり、あらゆる人間としての営みができなくなります。そして、そうなると、もともと力を持っていたものが支配する世の中になります。例えば、軍隊や警察です。軍隊による恐怖政治が生まれる土壌になるかもしれません。

と、少し話が飛躍してしまったかもしれませんが、なぜ殺してはいけないのかというのは、なぜ人の物を盗んではいけないのか、なぜ女をレイプしてはいけないのか、などなど考えたらキリがありませんし、それらを許したら先ほど言った通り恐怖社会になってしまいます。そして、そんなのいちいち説明していられないから、とどのつまり「ダメだからダメ」と一言で済ませるんだと思います。

てか、正直、ご質問はおもしろいテーマですよね。なぜと考えることはおもしろいです。多くの投稿があることからして皆さん興味があるのだろうし、一種の知的チャレンジなのかもしれませんね。

ちなみに、法律のカテに書かれているので、法律的にはどうなっているか私的には、やはり「ダメだからダメ」となっていると解釈できます。殺してはいけない「理由」は書かれていないからです。ただ、法律に書かれているからダメ、あるいはオッケーと考えるのは理由としては弱いし何か寂しいですよね。じゃー、法律に人を殺せと仮に書かれていたら、人を殺すのかよって感じですから(笑)。法律も完璧ではありませんし、法律はルールです。ですから、サッカーでは、なんで手を使ってはダメなんだというのと一緒で、そういうルールだからです。つまり、それがサッカーだからです。それと同じで、「それが人間社会だからです」。

また、法律(ルール)は人間が作ったもの、つまり、人工的なものとも言えます。したがって、そういう風にしとこうってことです。ですから、そうではないという考えが当然あります。ですから、「どうして人を殺してはいけないのでしょうか?」という疑問が出てくることもある意味ごく自然だと思います。人間は「考える葦」だからです。

以上、上手く言えてない上に回答になっていない気がしますが、少しでも参考になればと思います。
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 前の方々の意見と重なる部分が多くあります。



 何故人を殺してはならないのか……僕は、権利というのは天賦人権説のように神から貰ったモノ、だとは思いません。形としてはそう見えるかもしれませんが、実際よく考えてみたら人と人が互いに相手の権利を認め合うことで権利は成立する。神は精神の他には物事の関係性の中でしか存在し行動をなし得ない存在であり、神から与えられた(とされる)権利も人と人との関係性の中でしか存在し得ない。つまり、全ての人が互いに生きる権利を認め合わなければならないのに、勝手に人の権利を奪うことは、今まで自分が社会という名の全ての人と結んできた契約を一方的に破棄することを意味する。
 少なくとも僕はそういう風に解釈しています。ただし、これには多分社会秩序を保つという目的も加わって人を殺すことは禁じられているのではないかと思います。例えば頼まれて殺した(安楽死をさせた、など)のに罪に問われるのは、人が如何なる形であれ人を殺すことを容認することは社会秩序の安定を破壊する危険性を伴うために人を殺すこと自体を禁じているとも思っています。

 回答になっていませんが、このような回答で如何でしょうか。ちなみに、「法で人を殺すことを禁じている」と答えることも出来ます。そして「法」は社会(共同体)を健全に維持する上で必要な様々なことを明文化して無用のトラブルを避けたものであるという付け足しが出来るのではないでしょうか。
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場合によっては、別に、人殺しは悪いことではないですよ。


「一人殺せば、罪人。一万人殺せば英雄。」なんて、言った人もいましたね。
戦争で、たくさん殺した人ほど、星が増えて、勲章をもらえます。

また、もし貴方の最愛の人が惨殺された場合、
裁判所が死刑の判決を下したとします。
あなたは、その判決に「反対」しますか。

命は、もちろん大切ですが、それとこれとは別問題。
人殺しがいけない・・・とは、一概には言えませんね。

でも、むやみに人を殺してはいけません。
アメリカのブッシュ二世のように。
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動物は集団で行動し社会を作るものもいます。


人間にも本能として社会を築こうとします。
集団でいれば種の絶滅から守ることができますよね。
仲間を殺さないことで平和が保たれます。
なので仲間を殺してはいけないということがプログラムされてます。
ではなぜ人間は自殺をしたり人を殺してしまうのでしょうか?
人間には本能だけの動物とは違い、理性もあります。
しかし考える能力も高いので、時々その枷が外れてしまい自分本位で仲間や自分を殺めてしまうからだと考えています。

なぜ殺してはいけないのだろうか、と考えられるのも人間だからだと思いますよ。
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自分が「どうして殺されたくないか?」を考えてみたらいいんじゃないでしょうか。


今殺されたら、楽しみにしてる色々なことはできなくなりますよね。
将来の夢の実現もできなくなります。人それぞれに色々思い至るのではないでしょうか?
自分が人にされたくないことは、人にしてはいけない、他人の幸福を奪う権利はないということではないでしょうか。私はそう思います。
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人は皆、平等に『生きる権利』を持っているから。



そしてそれは誰にも害する権利はないから...だと思います。


例えば、自分が作ったもので壊して作り直せるものであれば、いくらでも壊してもいいのだと思います。

でも人間の場合は殺してしまったらその人に姿、容、性格が似た人は世界中に生まれてきても、全く同じ人は生まれてこない。だからその1人という人間を尊重するべく、殺してはいけない。

がばいばあちゃんの言葉を引用させていただくと、
『人は1億あったって金魚ばつくれんばい』という言葉があります。
どんなに大企業に大金を積んでも、生命はつくれない、という意味だそうです。
人間もこの自然界の中で生かされているのだから、そんな私たちに人を殺す権利自体ないので、人を殺してはいけないのだと思います。
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