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第二次世界大戦での日本の軍事作戦について質問です。昭和16(1941)年12月8日の早朝(日本時間)、日本海軍機動部隊は、ハワイのアメリカ太平洋艦隊基地の奇襲に成功した。これを皮切りに日本とアメリカは戦争状態に入った。というのが、戦後の長い間の定説だったと思います。私もそう信じていました。

ところが一方で、日本海軍は奇襲に「成功した」のではなくて、アメリカに「成功させてもらった」のだという説があります。つまり、機動部隊がハワイへ向う途中、無線電波を発しながら航行したためアメリカ政府の首脳は機動部隊がハワイに近づくのを知っていた。ローズベルト大統領は既に始まっていた大戦に参戦したかったのだが、アメリカの世論が参戦反対だったため、その機会がなかった。

で、日本に第一発を打たせれば(ハワイを奇襲させれば)参戦の口実ができるので、ローズベルトは機動部隊がハワイに近づいていることを太平洋艦隊に知らせなかった。そのためハワイの米軍は警戒態勢を取らなかった。そして、日本の航空部隊は奇襲に成功した。だから、日本海軍は真珠湾を奇襲できたのだというのです。

日本海軍は真珠湾奇襲に『成功した』のでしょうか、それとも『成功させてもらった』のでしょうか。

A 回答 (30件中11~20件)

「日本海軍が組織的に偽電計画を実施した事実はない」との主張をしている著作なら、日本軍が発した電文は全て、偽電ではないという解釈なのですね。


これまで御教えいただいた情報をまとめると、その本の中の日本軍は

真珠湾攻撃に際し、

・わざわざ開戦のために新しくした暗号を用いずに、旧暗号で真珠湾攻撃の情報を流し
・電波封止を行なわず、偽電もせず、無線を出し放題で位置を探知され、なおかつ戦後になって、電波封止や偽電をしていたと言い張る

という集団だったと。
・・・日本人は猿扱いでしょうか?
そこまでオマヌケな軍隊だったとすれば、「成功させていただか」なければ、真珠湾攻撃など不可能でしょう。

自分は、当時の日本軍は電波封止の必要性を理解していたし、偽電も盛んに行なったから、攻撃の目的地を秘匿でき、真珠湾攻撃に「成功した」と考えます。

この回答への補足

>当時の日本軍は電波封止の必要性を理解していたし・・

連合艦隊司令長官の電波封止命令を機動部隊が理解していたのは間違いありません。機動部隊航跡図を見ると、11月26日からの数日間と12月5日、6日は全く電波を出しておりませんので、基本的に電波封止命令を守ったことは確かです。

しかし、11月26日に単冠湾を出撃したあと、28日から12月1日頃にかけて機動部隊は大しけに遭遇し、部隊の隊列が壊れ、艦船が散り散りばらばらになりました。ばらばらになった艦船を呼び集めるために赤城などが電波を出したようです。冬の北太平洋は台風並の低気圧が発生して猛烈にしけます。

南雲中将を初めとする機動部隊の幹部は、低出力の電波なら遠くまで届かないと考えたようですが、不幸なことに、この時期は太陽の黒点活動が活発になっており、大規模な磁気嵐が発生し、低出力の電波でも予想外に遠くまで運ばれたようです。アメリカ本土でも傍受されました。


>攻撃の目的地を秘匿でき・・

第12海軍区情報部は機動部隊が出す電波の発信地を割り出して航跡図を作成しました。その航跡の目的地がハワイであることは明瞭でした。航跡図作成担当者は Robert Ogg です。

この他にも、日本海軍の攻撃目標がハワイであることをアメリカ側が知っていた可能性を示唆する事実があります。機動部隊が単冠湾を出撃した1時間後、アメリカ海軍作戦本部は「太平洋を横断する船舶の航路はすべてトレス海峡とする。太平洋艦隊とアジア艦隊は必要に応じ、これを護衛せよ。」と命じました。そして同時に海軍は、アメリカおよび連合国の船舶は全て北太平洋から引き揚げ、太平洋を横断する船舶は全てオーストラリアとニューギニアの間のトレス海峡を通るように命じました(「真珠湾の真実」)。これは、日本の機動部隊が他の外国船に出会うことなく無事にハワイへ到着できるようにアメリカが便宜を図ったことを意味します。ハワイに向けて隠密行動中の機動部隊が外国船に出会えば、隠密行動を中止して日本へ帰ってしまうことをアメリカは恐れたのでしょう。

補足日時:2007/02/18 14:49
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確認したいことが少々



>しかしイギリス情報部が1939年末までには「JN25」の解読に成功していましたから

↓こちらを御覧いただいた上で
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC% …

戦略暗号JN-25は、1940年10月以降、新暗号に切り替わっています。もしイギリス情報部が1939年末までに解読していたとしても、旧暗号は1940年11月末までしか使われておりません。
開戦後のイギリス情報部は、ドイツのエニグマ式暗号機による「ウルトラ」の解読に全力をあげます(常時1万人以上を投入!)ので、JN-25を解読する余力はなかったと思われますが、いかがでしょう。

>機動部隊の旗艦「赤城」を初め複数の艦船が電波を発信しながら航行したと書かれています。

11月に単冠湾へ各艦が集合する際、厳重な電波封止が行なわれると同時に、移動を秘匿するため、元いた基地からは多数の偽電が発せられました。後から記録を調べた場合、偽電かどうか吟味の上、選別する作業が必要になるはずですが、電文内容の吟味に関しては、どのように書かれていますか? 南雲名義の電文が60本というのは、いかにも多すぎる気がするもので。

この回答への補足

>・・開戦後のイギリス情報部は・・JN-25を解読する余力はなかったと思われますが、いかがでしょう。

専門家ではないので良く分からないのですが、ドイツがポーランドへ侵攻する1939年9月よりも前ならば、イギリス情報部も余裕があったかもしれません。20年ほど前、イギリスのBBC放送が制作したドキュメンタリー番組「真珠湾攻撃~暗号を解いた情報部員たち~」では、JN-25は日本海軍が1939年の後半に使用を始めイギリス情報部が解読を行った。英連邦のオーストラリアには解読マニュアルを提供した。日本海軍が「JN-25」を使う頻度が徐々に高まったものの、依然として旧暗号も同時に使われていた。旧暗号の使用を停止して「JN-25」のみを使用するようになる迄に一年以上を要した。と、説明しております。イギリスは香港で日本海軍の電波を傍受し、暗号を解読していました。


>・・単冠湾へ各艦が集合する際、厳重な電波封止が行なわれると同時に、移動を秘匿するため、元いた基地からは多数の偽電が発せられました。後から記録を調べた場合、偽電かどうか吟味の上、選別する作業が必要になるはずですが、電文内容の吟味に関しては、どのように書かれていますか?南雲名義の電文が60本というのは、いかにも多すぎる気がするもので。

-引用始め-

戦後、元軍令部作戦課長の冨岡定俊大佐が「空母機動部隊は完全な電波封止を実施していた。瀬戸内海にいた主力艦隊と基地航空部隊が機動部隊の赤城、その他の軍艦になりすまして、空母機動部隊が依然として九州地域で訓練中であるかように見せかけて米側を欺くために偽電を発信した。」と述べた。

戦後の1945年から1946年にかけて行われた米議会の真珠湾調査合同委員会でT・B・イングリス海軍大将は、日本が偽電を実施して真珠湾攻撃前、空母部隊が瀬戸内海にいるように見せかけたと証言した。

戦争中の1944年、米陸軍査問委員会でキンメル大将の情報参謀だったエドウィン・レイトンは、「日本は偽電を実施した」と証言した。

しかし、1985年に刊行した著書の中で彼は、「日本が偽電計画を実施したとの意見を支持する者はいない」と、陸軍査問委員会での証言を取り消した。

-引用終り-

つまり、日本海軍が組織的に偽電計画を実施した事実はない。しかし戦争直後、日米の海軍関係者が口裏合せをして日本が偽電を発信した事にした可能性がある、との印象を与える書き方になっております。

南雲忠一司令官の電文が多いのではないかという件ですが・・

補足日時:2007/02/17 17:46
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NO.14です。


無線が傍受されていた事。暗号が解読されていた事。事の真偽はどうあれ、それは決定打ではありません。要はルーズベルトがその情報を受け取ったのか。また受け取ったとして、その情報を信じたのか。信じたとして何らかの指示を出したのか。ださなかったのか。前に述べたように、そこが重要な問題だと思うのですが。また、例え現場の人間が情報を入手したとしても、ルーズベルトに届く前の段階で、中間組織の人間がその情報を信じず上に情報を届けなかったという可能性もあります。
事実、オアフ島北端のオパナ基地のレーダーは、日本の第一次攻撃隊の機影を捉えています。この時、レーダー要員だった二人の兵士は、この時間に飛ぶ飛行機は無い筈だから最初、レーダーの故障だと思い、機械の点検に時間を費やしています。故障でないとわかってから、すぐに情報センターに連絡を入れましたが、その間に13分の時間が無為に過ぎていました。それだけではありません。その報告を受けた上官は、ろくに確認もせずにその飛行機を米軍のものと判断し、上に報告しなかったのです。その結果、第一次攻撃隊は迎撃に遭う事もなく、真珠湾を攻撃できたのです。
このように戦争では誤謬がつきものです。そして情報が大統領に届くまでに判断を下す立場にいる人間は多数いるのです。そこに誤謬がないとどうして言えるでしょう。繰り返しますが、米海軍作戦部長と米太平洋艦隊司令官でさえ、日本の真珠湾攻撃はありえないと判断していたのです。その判断が部下に影響を与えていないとも思えません。

なお質問者様は「日本の軍艦に砲撃されて・・・、少数の戦死者を出すくらいでは不十分だとルーズベルトは考えた」と仰っていますが、それはどうでしょう。現に12月初頭にルーズベルトはラニカイ号を南方に派遣しています。この船は日本軍を挑発し、攻撃させるのが目的でした。最初の一発を日本軍に撃たせる為の囮船だったのです。たまたま真珠湾奇襲があったので、その計画は中止となりました。

私もルーズベルトが日本の攻撃を待ち望んでいたと思っていますが、真珠湾奇襲を確信していたとは思えません。

この回答への補足

>この船は日本軍を挑発し、攻撃させるのが目的でした。最初の一発を日本軍に撃たせる為の囮船だったのです。

かりに日本軍がこの船を撃沈したとしても、アメリカの世論が参戦支持に変化することはなかったと思いますよ。

補足日時:2007/02/18 15:50
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成功させて頂いたに一票


ルーズベルトは戦争はしない!あなた達の子供は戦場に送らない
と言う公約にて当選しました ですがどうしても日本が目障り
しかし世論は戦争反対・・・とそこにハルノートを叩き付け
中国と手を組み戦争に引き込み・・まんまと真珠湾を攻撃させ
世論も戦争へ・・と言う流れだと思っています
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

ローズベルト大統領はイギリスのチャーチル首相から再三再四、参戦を督促されておりました。またニューディール政策で判るように、ローズベルトは左翼リベラリストでしたから、ドイツとの戦争で苦戦するソ連のスターリンにも同情を寄せておりました。こういう対外事情もあったと思います。

お礼日時:2007/02/17 11:36

No.12です。



ロバート・B・スティネット著「真珠湾の真実…ルーズベルト欺瞞の日々…」(文藝春秋刊)は私も読みました。
この本について、
秦郁彦著「検証・真珠湾の謎と真実」(PHP研究所)
須藤真志著「真珠湾”奇襲”論争」(講談社メチエ)
などで厳しく批判されています。
私は、スティネットの「真珠湾の真実」は信頼性が極めて低いと考えています。
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この回答へのお礼

私は、この本の信頼性は高いと考えています。ありがとうございました。

お礼日時:2007/02/18 15:48

ちょっと検索してみました↓


http://homepage2.nifty.com/ijn-2600/shinjuwan.si …

「無線電波を発しながら航行した」との根拠となったインタビュー内容、誤訳とされてますが??
「真珠湾の真実」とは、本当に信頼度の高い本なのでしょうか?

この回答への補足

>「無線電波を発しながら航行した」との根拠となったインタビュー内容、誤訳とされてますが?

この本の336ページに、第12海軍区情報部が作成した機動部隊航跡図が掲載されております。”Robert Oggの話”を裏付ける決定的証拠と思います。Robert Oggは本当の話をしております。この航跡図が、後年になって偽造されたものとは思えません。

>「真珠湾の真実」とは、本当に信頼度の高い本なのでしょうか?

私が読んだ限りでは、非常に説得力があります。a-koshino様も、一度読んでみて下さい。

補足日時:2007/02/16 20:01
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ルーズベルトが日本側からの攻撃を待ち望んでいたのは事実ですが、真珠湾奇襲を事前に知っていたという事実は公式には無く、米政府も否定しています。


ただ、詳細な日時はともかく、日本海軍が真珠湾奇襲を計画しているという情報は、昭和16年初頭の時点で既に米国に入っていました。駐日米大使から国務省にそうした計画があると一月に報告がなされています。ただし、その報告には、情報の信憑性について非常に疑問があるとも付け加えられていました。
この情報は米海軍にも伝えられ、海軍作戦部長のスターク大将と太平洋艦隊司令官キンメル大将の知るところとなります。海軍情報部では、この情報について、スターク、キンメル両大将に情報は信用てきないものと報告しています。
キンメル大将を司令官とする太平洋艦隊では、この情報が実行面から検討されています。その結果、日本海軍の真珠湾奇襲はありえないとの結論が出されたのです。真珠湾は日本からは遠く、遠距離の渡洋作戦になり、そうした場合の燃料補給は非常に難しくなる。殊に冬の北太平洋は波が荒く天候も不順で、その季節のその方面からの攻撃は、まず不可能だと思われたのです。さらに、真珠湾の水深は浅く、船舶への雷撃も不可能だと判断されました。逆に米海軍による日本攻撃も無理だと判断されました。米軍にできない事が日本にできるわけがない・・・これが米海軍の判断であり、キンメル大将とスターク大将の判断でもあったわけです。
ただし中には陸軍のマーチン少将や、海軍のべりんジャー少将のように、奇襲がありえるという声を上げる人もいましたが、圧倒的少数派でした。
ルーズベルトが対日戦略を軍幹部と討議する時でも、その内容は日本軍の南方侵攻に対する対処であり、真珠湾奇襲など全く討議されていません。
こうした状況において、たとえ前もってルーズベルトが真珠湾奇襲の情報を入手したとして、それを果たして信じたでしょうか。専門家である海軍作戦部長と太平洋艦隊司令官とが、ともにありえないと断言している事について、不確かな情報源からもたらされた情報を信じるとは、私には思えません。
また、日本艦隊が無線電波を発していたという説は、非常に信頼性の低いもので、確たる証拠があるわけではありません。歴史上の有名な戦争には俗説、奇説、謀略説はつきものです。真珠湾奇襲の件もその一つでしょう。
日本は奇襲に「成功した」が正解だと私は思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。私の考えは、やや「成功させてもらった」の方に傾いています。

お礼日時:2007/02/18 15:46

>日本に第一発を打たせれば(ハワイを奇襲させれば)参戦の口実が


>できるので、ローズベルトは機動部隊がハワイに近づいていること
>を太平洋艦隊に知らせなかった。

よく聞く話ですが、決定的に無理があるのが「第一発を撃たせる」のが目的であれば、それが真珠湾の警戒態勢を取らせない理由にはならないということです。
「日本が攻撃してきたが撃破した」でも参戦の理由には十分です。
また「日本が真珠湾を空襲する」という情報があったのは間違いないのですが、それは「日本軍がサンフランシスコに上陸する」「日系人が暴動を起こす」と言った膨大なデマ情報の中に埋もれてしまい、情報機関の末端で真剣に取り上げられませんでした。
これらを考えると故意に警戒態勢を取らせなかったとは思えません。

この回答への補足

アメリカは第一次世界大戦にヨーロッパへ出兵し、多くの青年を犠牲にしました。それなのにヨーロッパに平和が訪れたのも束の間、10年と少し経ったらヒトラーが台頭して再びヨーロッパが戦争に巻き込まれたのです。アメリカ人の多くはいったい何のための出兵だったのか、二度とヨーロッパの戦争はゴメンだという参戦反対世論が支配的でした。

アメリカ大西洋側の海ではドイツのUボートが出没し、アメリカの商船に危害を加えたり、アメリカの軍艦と銃撃戦をしたりしましたが、それでもアメリカの世論は参戦を支持しなかったのです。ですから、日本の軍艦に砲撃されてチョットした被害を受けたり、少数の戦死者を出すくらいでは不充分だと、ローズベルトは考えたに違いないのです。

補足日時:2007/02/16 22:19
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この回答へのお礼

有難うございました。

お礼日時:2007/05/08 17:13

真珠湾陰謀説の肯定派、否定派を読み比べると、


「成功した」に軍配を上げます。

まず、無線電波を発しながら航行した、というのは日本側の関係者は全員強く否定しています。アメリカ側の資料でもそのような証拠は見つかっていません。
アメリカが日本の暗号を解読していたのは、周知の事実ですが、当時解読できていたのは、外交暗号のみで、海軍の暗号はまだ解読出来ていませんでした。
海軍は秘密を守るため、外務省にも攻撃の日時・対象を教えていなかったため、外務大臣もラジオ放送で始めて知ったそうです。
だから、暗号を解読しただけでは、攻撃目標は分からなかった。

アメリカは、攻撃の近いことは分かっていたが、フィリピンあたりと考えていて、真珠湾は想定外だったようです。
もし分かっていたなら、黙ってやられるより、待ち伏せ攻撃をして日本空母を2,3隻沈めたほうが、その後の展開をずっと有利に出来たでしょう。

そもそもこの陰謀説は、戦後すぐ大統領選の際、対立陣営が意図的に流したデマで、根拠など無いのにいつの間にか独り歩きを始めた、というのが真相のようです。

この回答への補足

>アメリカ側の資料でもそのような証拠は見つかっていません。

証拠の一部は見つかっております。#8の回答への補足で説明しました。しかし、多くの証拠が米カリフォルニア州のサンブルノ連邦政府記録センターで保管され、未だ情報公開されておりません。海軍関係者だけが閲覧できると言われます。この中には、日本海軍が発信した無線を傍受、解読したものが多数あると言われております。

>アメリカが日本の暗号を解読していたのは、周知の事実ですが、当時解読できていたのは、外交暗号のみで、海軍の暗号はまだ解読出来ていませんでした。

日本海軍暗号体系「JN25」について:
アメリカの情報部門は日本外務省の「紫暗号」は解読しておりましたが、海軍の「JN25」の解読にはてこずったようです。しかしイギリス情報部が1939年末までには「JN25」の解読に成功していましたから、(遅くとも1941年8月、日米開戦の4ヶ月前迄には)アメリカはイギリスから暗号解読書を入手したはずです。

>海軍は秘密を守るため、外務省にも攻撃の日時・対象を教えていなかったため、外務大臣もラジオ放送で始めて知ったそうです。

昭和16(1941)年12月1日の大本営政府連絡御前会議で、12月8日(日本時間)の対米開戦を決めました。東郷外務大臣も出席しましたから、「ラジオ放送で始めて知った」などと言うことはあり得ないと思いますが。また、外務省本省は在米日本大使に対して真珠湾攻撃開始予定時刻の30分前(※)に、宣戦布告書をハル国務長官に手渡すように指示しました。
※ワシントン時間で12月7日午後一時ちょうど。

補足日時:2007/02/16 21:55
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この回答へのお礼

有難うございました。

お礼日時:2007/05/08 17:12

「成功させてもらった」が妥当でしょう。


アメリカの誤算は、日本軍の奇襲の規模を見誤っていた嫌いがあります。
日露戦争時に日本軍は、水雷艇を使って旅順のロシア海軍に開戦時に奇襲攻撃をかけています。
真珠湾奇襲攻撃のモデルは、前年に地中海でイギリス海軍がイタリア海軍の軍港タラントの攻撃をヒントに立案されたと言われています。
当時イギリス海軍は、二隻の軽空母の航空兵力で攻撃した。
アメリカは、日本軍の攻撃を、多数の潜水艦と二隻の空母(1個航空戦隊)程度の攻撃を想定していた嫌いがあります。
真珠湾攻撃当時の在泊駆逐艦の数の少なさを見て想像つきますね。
アメリカ軍の予想に反して、日本軍は全主力正規空母6隻の集中運用(世界初の画期的戦法)によってアメリカに痛い目を与えたのです。
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この回答へのお礼

やはり「成功させてもらった」が本当ですか。

お礼日時:2007/02/16 17:26

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