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第一次大戦で敵国同士になったようです。
小国にしては2国とも甚大な被害をこうむったのではないでしょうか。
この2国は国名は似ていますが、民族的に対立があったのでしょうか?

A 回答 (3件)

国名が似てますか? 似てないと思うけど。


語尾は「-ia」というギリシャ・ラテン語系の
名詞化する語尾がついているからであって
「地域・社会・国名」を表す語尾活用なんで
”似てる”という分類に入れるべきではない、
言語上のルールに過ぎませんよ。

ルーマニアはラテン系、
ブルガリアは南スラヴ系(初期のブルガール人はアジア系とも言われる)と
民族系統も違いますが、その歴史は違いは
ビザンツ/トルコとの距離によって大きく違っています。
独立の経緯や大戦での外交的立場の違いもそこら辺が影響してます。
民族的対立は、なにせ民族の通り道であるバルカン半島ですから、
当然、枚挙のいとまがありません。
そもそもローマ帝国のダキア属州を起源にもつルーマニアと
そこに民族大移動の時期、中世ごろから侵入してきた南スラブ人なのですから。
これに東ローマやトルコの支配が絡んでくるわけで大変です。

第一次世界大戦の直前の状況としては、
第二次バルカン戦争で両国は直接対決しています。
このときの構図は、
ブルガリアが汎スラブ主義に反発してオーストリアに接近し、
対してセルビア連合とロシアの汎スラブ主義に組したルーマニアとトルコというものでした。
それでブルガリアはこのときに負けて酷い目にあったので
同盟国側に立ちって戦いましたが、結局、また敗戦。
しかしブルガリア軍の主戦場はセルビアやルーマニアでした。
ルーマニアは最初は中立、ついで連合国側で参戦して、
最終的には領土を増やしますが、
途中にはオーストリアらに蹂躙されてしまうわけで、
このときに軍だけで16万人以上の死傷者とその同数の捕虜を出しています。
民間人も含めると30~40万人規模の被害といわれます。
しかしバルカン半島で一番損害をうけたのは
長期包囲が行われたセルビアで、
人口の33%、男性のみだと66%もの人が
亡くなるか怪我をしたといわれます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
民族違うのですね。
>ブルガリアが汎スラブ主義に反発して
ロシアのスラブ系ということとはまた趣向が違うというわけでしょう。
ルーマニアはかえって賛成しているという、面白いものですね。
小国が大戦に巻き込まれると悲惨だという歴史がここにあります。

お礼日時:2007/03/01 12:53

確かに二国は別の民族ですが、第一次世界大戦では、両国間における民族対立は焦点になっていません。


最初に参戦したのはブルガリアですが、その狙いは隣国のセルビアのマケドニア地方でした。ここを自国領にするべく侵攻しています。
ルーマニアはその翌年に参戦。隣国のオーストリア・ハンガリー帝国のトランシルヴァニア地方を自国領だと主張し侵攻しています。実際、トランシルヴァニア地方はルーマニア人が多く(人口の7割以上)、オーストリア・ハンガリー帝国の圧制に苦しめられていました。ルーマニアとしては、同胞を救いたかったのです。
ルーマニアが連合軍として参戦を決定した時、英国はブルガリアを攻めるよう要請しますが、それを蹴ってトランシルヴァニア地方に軍を進めたという経緯もあります。
このルーマニアの動きに対し、オーストリア・ハンガリー帝国とブルガリアにドイツ軍が部隊を送り反撃に出ます。この時、ブルガリア軍も少数ですが、ドイツの部隊とともにルーマニアに攻め入ったのです。
トランシルヴァニア地方とブルガリアからの二方面から攻められ、またドイツ軍に比べ火力・機動力等の軍の近代化に遅れていたルーマニア軍は、敗退を余儀なくされました。
このようにブルガリア、ルーマニアは第一次世界大戦では確かに敵国ではありましたが、最初から戦ったわけではありません。当初の目的も狙いも別にあったのです。互いの軍の主力はぶつかってもいないのです。
被害が甚大なのは、初めて近代兵器が大量に使用されたからで、参戦国全てに当てはまるものだという事が一点と、両国とも最初は一方面で戦っていたけれども、前述したように後に戦線が拡大したからだと思います。またルーマニアは国土の大半が戦場になった事も原因でしょう。
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この回答へのお礼

よくわかりました。ありがとうございます。
この辺歴史が難しかったのですが、実にすっきりしました。

お礼日時:2007/03/01 13:02

ブルガリアはブルガール族がスラブ人を支配下におさめ、徐々にスラブ化してゆきました。


一方、ルーマニアはラテン系ローマ人の国家です。
民族は違いますが、民族的対立から、第一次世界大戦で敵同士になったのではないです。

詳細は省きますが、第一次世界大戦前のバルカン半島は、ロシアとドイツ・オーストリアが勢力を伸ばそうと対立していました。

オスマン帝国が領有していたバルカン半島の領土を奪おうと、ロシアの支援のもと、セルビア、モンテネグロ、ブルガリア、ギリシア4国は「バルカン同盟」を結んでトルコに宣戦。勝利します(第1次バルカン戦争)。

しかし、その後領土の分け前に関して、ブルガリアと他の3国との間で争いが起こり、これにトルコとルーマニアが3国側に参戦して第2次バルカン戦争へ発展します。

孤立無援のブルガリアは大敗し、領土の分け前が縮小したため、ドイツ・オーストリア側へ接近してゆきます。

その結果、ブルガリアはルーマニアと敵となって第一次世界大戦に突入します。

甚大な被害かどうかはよく分かりませんが、少なくともブルガリアは第2次バルカン戦争における被害はかなり大きかったと想像します。
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この回答へのお礼

一時大戦はかならずしも民族的対立ではないでしょうね。
スラブとラテンで共同することの意味はあまりないでしょう。
トルコロシアの争いというものに、周りの小国が巻き込まれていったというプレヒストリーと本ちゃんの第一次大戦なのでしょうね。

ブルガリアは結局短い期間にそうとう立場を変えています。

お礼日時:2007/03/01 12:57

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