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明治時代船でヨーロッパに行くのに何日かかりましたか?
途中で寄港するので30日くらいかかったという話を聞いたことがあります。
森鴎外明治15年の頃と与謝野鉄幹明治44年の頃では、日数が短縮されましたか?
よろしくお願いします。

A 回答 (4件)

 日本から欧州までの定期船は、明治29年、日本郵船が開いたのが最初のようです。

スエズ運河経由で約50日という記録があります。これはサザンプトンまでの日数でしょう。
 森鴎外は明治17年8月24日横浜出航、10月7日にマルセイユ着なので、45日かかったことになるのかな。

 新鋭快速客船が投入されるのは大正になってからなので、多分、明治期にはそれほど短縮されなかったと思います。

 ただし、アメリカ経由だと、約30日だったそうです。


http://ww1.m78.com/question/sail%20yokohama%20lo …
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失礼、鉄路10日は現在です。

ぼけてました。

当時は鶴賀→ウラジオ→シベリア鉄道で16日らしいです。
http://www.ne.jp/asahi/mulberry/mt/rail6/tsuruga …
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お題から外れますが、日露戦争後両国が安定したら、日本とヨーロッパの最短ルートはシベリア鉄道になります。


正確な日にちはわかりませんが、大連ルートだと大連まで二日、鉄路を十日といったところでしょうか。
明治44年だとウラジオストックかな?
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 ご質問の少し前の状況では、『80日間世界一周』というのはいかがですか。


 これは、1869年のスエズとアメリカでの大陸横断鉄道を柱とする、世界周航の交通手段が一新されたことを材料に設定した旅行です。当然当時の驚異的な最短時間を問題とした設定です。その登場人物がイギリス人というのも、また、作者がSF作家のJ.ヴェルヌというところも面白いことです。普仏戦争で痛めつけられたフランスの憂さばらし的要素もその小説の中にはあります。
 それはともかく、その少し前に、シュリーマンがトルコの発掘に取り掛かる前に、世界を見ておきたいと、日本も訪問しています。1864年だったかな。(翻訳があります。)
 明治初年には、『80日間』と同じころに、久米邦武の『米欧回覧実記』という記録を残した、遣欧使節の大旅行があります。
 とりあえず思いつくことはこれくらいですが、今日の朝日新聞に、森鴎外の「アリス」が見つかったという記事がありました。これに関する研究者が、朝日選書か何かにまとめた何かがなかったですかね。
 いい加減なことを含めて、とりあえずの回答とします。お役に立つかどうか。
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