プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

私はカトリックの信者です。
最近、古いメダイがたくさんオークションで出品されているのを知りました。
自分の気に入ったものがあった場合、落札して神父様のところに持って行き、祝別してもらってもいいものでしょうか?
単なるアクセサリーではないのだから、こんな風にして手に入れて祝別してもらうというのは失礼でしょうか?
よろしくお願いします。

A 回答 (6件)

私も、皆さんが仰る通り神父様にお聞きするのが一番良いと思います。


神父様は、そういった信者の素朴な疑問にも答えるのが仕事なはずですから。

オークションと言っても、Yahoo!オークションのような一般人向けのモノから海外の有名オークション等の金持ちにしか参加できないようなモノ(古く格式がある)もありますしね。
ただ、一般論としてなのですがオークションでは贋物が多く出回ります。
本当に価値のあるメダイは、古いモノが多いですが。
※ここでの価値は、聖具としてではなく美術品としてです。

真物か贋物かは、なかなか判別が難しいので気を付けてください。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

私が欲しかったのは、高価なものではなくお守りのように身に着けるメダイだったのですが、
私の住んでいる地方ではこういうものを扱っているところが少ないのです。
シスターには、自分の好みのものを手に入れ神父様に祝別していただけばいいといわれましたが、
それをオークションで、しかも中古品(以前、知らない人が使っていたもの)
であってもかまわないものかと疑問に思いました。

お礼日時:2007/03/04 23:58

さあ神父さんに聞くのが早いですね。




http://members.aol.com/witnesmar/fusigi.htm
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2007/03/04 23:51

 私は、プロテスタントです。

メダイって何か解りませんでしたが、やっと解りました。私なりの結論ですが、残念ながら、そのメダイは装身具と同じと思われます。キリスト教から生まれた文化的な物と考えられたら良いのでは?
 
 例えば、宗教画を飾る、窓をステンドグラスにする。精神的なものですね。精神的なものである限り、其のものに心を奪われるようでは、信者として少々問題かも?意識の違いに個人差はあるでしょうが。今日、NHKの教育で宮野光雄さんという方の放送がありました。『心の時代』と言う番組の再放送でしたが、信じることで、日常の悩みや、人生の問題の解決の糸口を見出すことに、意味があると思いました。内容は、氏がヒットラーの思想が何故、受け入れられたかなど難しいものでしたが。
 神父さんはどう考えるのでしょう?祝別の意味を良く考えてみましょう。解ってからでも遅くないと思います、が?
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>精神的なものである限り、其のものに心を奪われるようでは、信者として少々問題かも?

そのもの自体に心を奪われたわけではありません。
精神的なものとして(心の支えの一つ、お守りみたいなもの)として、メダイを身に着けていたいのですが、なかなか自分の今の環境では手に入れにくいんです。
プロテスタントの方とは少し考え方が違うのかもしれません。

お礼日時:2007/03/04 23:37

祝別する時にどこから手に入れたかをチェックする神父はいませんので断られることは無いでしょう。


ですがオークションに出ている品は、一般人が知識が無いことをいいことに、同じ物がカトリック書店で普通に売っているのに、100倍くらいの値段をつけているので新品を買った方が良いです。
信者だったら御存知でしょうが、信心用具は古くても新しくても信仰的な価値は同じです。
御存知とは思いますが一応カトリック書店のURLを記します。
http://www.sanpaolo.or.jp/main.html
http://www.pauline.or.jp/
http://www.donboscosha.com/
貴金属としての価値をお求めならこのような所があります。
http://www.belmania.co.jp/bertrand/medals/medal. …
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

私が買おうかと思ったメダイは1000円以下の、そんなに高価なものではないんです。
ただ、古いメダイは、以前それを使っていた人がいるわけですから、そういうものを手に入れて祝別していただいて身に着けることに問題があるかどうか知りたかったのです。
たとえば、日本の神社のお守りって、ぜんぜん知らない人が持っていたものをもらって自分が身につけるということはあまりありませんよね。
私自身、それほど信者としての経歴が長くないので、そのあたりがわからなかったのです。

お礼日時:2007/03/04 23:50

カトリックも色々な会が存在しますので、神父殿に訊かれるのが


一番良いと思います。
(私は第三者的に宗教を学んでいる者です)

宗教の装飾品に関してはもしかしたら神父殿によるのかもしれませんが・・・
恐らくここで「祝別されなくても良い」と回答を得ても、落ち着かない
と思います。
(色々な回答者が居るようですしね)

※もし、「そういうことは訊けない」というような具合いがあれば
 ご指摘ください。
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この回答へのお礼

おっしゃるとおり、神父様に聞けばいい話なのですが、
事前に皆さんの意見を聞いてみようかと思いまして質問しました。

ありがとうございました。

お礼日時:2007/03/04 23:43

ユダヤ教と違い、キリスト教はユダヤ教では禁止の偶像崇拝ですよね。



偶像 つまり 本物とは違うものを仮初のものとして崇拝するって考えですよね。

1円だろうと金で買えるものなのだから、買って崇拝していいと思います。

金で買える幸福ですが、偶像崇拝を基本としていますので、それがいくらで手に入ろうとかまわないと思います。


また 偶像崇拝がキリスト教では公認で教えなので、それを神の代理人 つまり もはや神である教皇が、1円で落札したものであろうと、神である と認めたってことは、キリスト教では神がそのメダルを神だと認めたってことなので、まずは地上では神としてみなす教皇に お願いしてみるのがいいと思います。

多分 気持ちとして ある額を要求されるとは思います。
あくまで気持ちなので日本円にして100万にするか 1億なのかは あなたの気持ち次第。


尚、私はキリスト教は偶像崇拝 特にカトリックはさかんに偶像崇拝をしていますが、どうしてユダヤ書も使うのか とても とても不思議です。

何故なら神は「偶像を作って崇拝すること」を禁じたと書いてあるから。

どうしてその教えと違うことを、公然とやれるのか 言えるのか それが理解できないです。


神の教えに逆らうのがキリスト教というものなら、いったい何をやっているのか。
神といいながら その教えに真っ向から逆らい続ける。

とても難解な宗教で、私の頭では理解できない集団だと思っております。


あなたもあなたが神とするものの教えに反逆するってことですよね。
確かにその行為はキリスト教の極意ですね。

キリスト教にとって神とは、反面教師とか、徹底的に逆らう対象という意味でしょうか?
では その神の教えに真っ向から反逆する目的はなんでしょうか?
どうして反逆する対象に祈りを捧げるのでしょうか?

つばをかけている対象にどうしてすがるのでしょうか?

よかったら その矛盾する行為の理由を教えていただけると助かります。


尚、プロテスタントはカトリックのそのような偶像崇拝は邪道であるとして、彫像を拝んだりしないそうです。

でも 教会には十字架が掲げられており、それに向かって手をあげて祈りを捧げるそうです。
これまた偶像崇拝。

50歩100歩で、カトリックが偶像崇拝することに抗議したわけですが、やはり偶像崇拝をしている。

プロテスタントは十字架に向かって祈るのは、偶像崇拝ではない 神の絵や彫像に向かって祈ることが偶像崇拝だ と言います。


十字架は処刑道具です。
しかも 当時のローマの処刑道具はあの形ではなかった。

別物でしかも処刑道具に祈りを捧げる。

とても変わった宗教ですが、何故 処刑道具を神として拝むのか 誰も教えてくれません。

処刑道具フェチ? としか思えません。

尚、イエスが十字架を背負って。。。とありますが、これまた嘘。
その当時 十字架を背負って罪人は処刑場に行っていません。
1本の木を背負っていって、もう一本は既に処刑場に打ち込んであった。
つまり イエスという男が実在したとしても、罪を犯したので処刑されることになったとしても、十字架など背負っていなかったわけです。

ご参考までに。

こう聞いても、聖書で神が禁じたという偶像崇拝をしていることに気づきませんか?
架空の人間が作ったストーリーを現実に起こったことだと誤認識していませんか?

嘘で固めた話を真実だと騙されて金を巻き上げられる。
邪の道は蛇。

尚、蛇は再生のシンボルでもある。


毒蛇にかまれて死ぬ。
死んだ後、再度生まれ変わるものなのか?
死んだら仏になる?
死んだら亡者にしかなりません。

仏になれるのは生きたうち。
死んだら死者で、復活は無い。


イエスという男がいたとしても、彼が言っていた死者の復活とは、偶像崇拝などとてもとても罪な事をやった人が、破門され追放されるという処罰を受ける。
それが死。
そして、悔い改めもう神の教えに反逆することはしませんと誠意をもって嘆願し、それが聞き入れられ信者として認定されることが 死者の復活 と言っていたと思います。

よほどのことが無い限り、3日間程度の謹慎処分。
長くて1月。
破門 追放などめったになかったようです。
そこまでするからには神を愚弄したってことで、もう信者ではないわけです。
だから破門、本人だってやる気がさらさらないので、開放され野に放たれるわけです。

しかし あの当時は集団の中で生活しないと 野では生きていけなかった。
それで、とても困ってしまい 救いを求めた。
認定員はイエスとサタン(認定員のこと)のやりとりのように、その人がどれだけのものか 問答して真意を問いただすわけです。

ユダはサタン つまり 審判をする役職だった という説がある。
イエスとサタンの問答。
イエスはこれで審査されて正式に入会が認められたんじゃないかと。
つまり、ユダはイエスより上のランクだった。
しかし、イエスは裏切った。
律法を何度も愚弄したので、悪の祭祀として裁かれ、破門決定。
追放された。
これがいつのまにか、ピラトによって処刑されたって話に摩り替わってしまった。

イエス違いだと思います。

何故イエスという名を作者は主人公にして物語を書いたのか。

先日 ロストというドラマを見て おお!というものを発見しました。
イエスの話が出てくるのですが「ジュザヤ」とイエスのことを言っていた。
イエス=イエシュア=ヨシュア(ヨシュア王のヨシュア) そして ジュザヤ(イザヤ)

なるほどーーー と思いました。


さて、これらの話を聞いて、俄然 メダルを教皇にお清めしてもらいたいですか?

お清めができるのは、イエスではなく 洗礼者ヨハネです。
イエスでもなければ 神の代理人とされる教皇でもない。
洗礼者ヨハネしかできない。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
私は、恥ずかしながらkigurumi様とこの問題に関して議論できるほど、知識を持ち合わせておりません。
とても参考になりました。
今後、勉強していこうと思います。

お礼日時:2007/03/04 23:40

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