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最近美術書で、日本の「地獄図絵」を見て、ああ子供のころにも見たなと思い出したんですが、そのときに感じたことも思い出しました。

「この地獄の主催者たち(閻魔やら鬼やら)がどうも威張り腐って残酷極まりなく気に食わん!こいつらを裁くようなスーパーヒーローがやってきて、こいつらがいじめている大衆と同じ目にあわせてやれないだろうか?」

なにか、「権威」というものに反駁する志向があったかと思います。
異常なこともだったんでしょうか?

A 回答 (7件)

「>閻魔やら鬼やら」は、おそらくご両親(あるいはそのどちらか)の象徴として受け止められたのではないでしょうか。


無意識にしろ、強い圧迫感を覚えていたのではないかという気がします。
親というのは、躾だの教育だのといって個人のキャパシティを超える抑圧をしてしまいがちなものだと思います。
自分の抱えている問題から受ける抑圧を発散する方便として、子供への愛情が錯覚的に発揮される場合も多いわけです。

持って生まれた素質ということもありますが、子供にも様々なタイプがあるでしょう。
『>なにか、「権威」というものに反駁する志向』というのは、良くも悪くも強い自我の存在を示していたように思います。
よく言えば自主自立の精神が旺盛であったということでしょうし、悪く言えば頑固だったということになるでしょう。
大事なのは「自主自立」と「頑固」は別物ではなく、ひとつの概念の裏表だということです。

異常な子供だったということではなく、現在それが気に掛かるという点で、ある種の頑固さが生きづらさにつながっている部分はあるのかもしれない、といった推測がされます。
陽の当たる表面を自ら封印してしまっているのかもしれません。
オセロのように簡単に裏返すわけにはいかないかもしれませんが、視点の転換で案外容易になることもあります。

閻魔とは、裏面を出し続けることを強制してきたものでしょう。
あるいは、そのように追い込んできたものでしょう。
反駁すべき「権威」の正体を暴き対峙することで、閻魔や鬼は本来の地獄に帰っていくはずです。
事実を事実として意識化することで、閻魔も鬼もあくまで人間に巣食う一般的属性として認識するゆとりが生まれるように思います。
たとえば、謙虚という言葉を盲目的に有難がったとしても、家畜的精神が植えつけられるだけです。
本質的な敵と対峙しないかぎり、見えないところから意味もなく他人を嘲ったり揶揄したりすることでしか満足できない卑屈な人間に成り下がるのが落ちでしょう。
 
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この回答へのお礼

つまるところ、やはり身近な存在である良心の影響は大きいでしょう。しかしそれは変えられないもので、社会的かかわりを改善工夫していく対処しかないわけでしょうが、そっちもまた魑魅魍魎なんです。
おそらく、頑固であり反体制的であるのですが、それがどこから出てくるかというと、「世の中が馴れ合いや不合理の塊である」という事実の反抗する形で噴出しています。もし「世の中が厳格で規律正しく合理的」であるとすれば、閻魔や鬼が快い存在として現れたでしょう。

そういう、事実とのかかわりが3つ子のテーマでもあるのでしょうね。

お礼日時:2007/04/15 09:09

セーヌの流れも淀んでおるようで・・・。


川面に映る自らの瞳の奥を覗くことも叶いませぬか・・・。
諸行無常
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No.1です。

ご丁寧なお礼を有難うございます。相変わらずピリピリ静電気の走る、矢の如き言葉操作に感心します。ちなみに、そんなお返事でも全然不快に思っておりませんので、もしミジンコほどの罪悪感をお持ちでしたら、どうか気になさらないで下さい。仕掛けたのは私なのですから。

フランス語のluiの質問で、どうして覚えていたかわかります?あなたの数人への回答から、ものすごい負のエネルギーを感じたからです。英語への執拗な批判を見て、この方、本当は英語が勉強したくてたまらなかったのではないか、本当は英語が好きなのに、何らかの理由で英語の勉強を断念したため、復讐のように仏語の勉強に向かったのではないかと直感したのです。たかがいちサイトの質疑に、これだけ批判のエネルギーを使われるあなたが少し可哀相になりました。そうしたら、今回のようにご自分を見つめ始めるような質問をされているので、あなたにはチャンスかと思い投稿させていただいたのです。

No.1の回答の最後に、わざと「大学・大学院」と振ってあなたの反応を確認したのですが、期待通り挑発にのって下さり、少しづつ見えてまいりました。「大学・大学院」の言葉に5行も使って学歴批判されるあなたは、強い学歴コンプレックスがおありなのですね。もちろん誰にでもそういう時期はあるものですが、学歴だけが全てでないことがわかってくると、また学歴以外の幸福がわかってくると、自然にそのような拒否反応はなくなるものなのです。学歴があるというだけで相手が敵になってしまうあなたの精神構造は、まだそのコンプレックスから脱しきれていない証拠です。

「優しいお子ちゃま」でいらしたと返答されていますが、優しいお子様なら、地獄絵を見て質問文のような感想は抱かないものなのですよ。あなたは「優しいお子ちゃま」をずっと演じて来られたのですね。さぞしんどかったことでしょう。今その抑圧されたあなたの自我が出口を求めて叫んでいるのです。「ここから出して!」と。

以前の質問からも気づきましたが、あなたの回答にはどれにも「ありがとう」の一言がありませんね。まるで使うとエネルギーを失うと恐れているかのように。恐らく日常生活でも、笑顔を見せるのを惜しんでいるのではないのでしょうか。感情を相手に見せるのをひどく恐れているように感じます。それは他人に手の内を見せたくない、他人へ気を許したくないと、自分から壁を作っておられるのです。それは、あなたの手の内に見られたくないものがあるから、他人に知られたくないことがあるからです。あなたはご自分に本当の自信が持てず、そしてあなたはとても孤独な方です。

「謙虚の意味を知る」とは卑屈になることでも、家畜的精神を植え付けることでもありません。自分の存在を考える時、人はおのずから謙虚になってくるものなのです。あなたが今あるのは誰のお陰か、何があなたを支えているのか、あなたひとりだったらどうなるか、、、、。孤独を楽しんでいるはずのあなたが、ネットで人とのつながりを求めておられる。人との繋がりとはエネルギーの交換でもあるのです。小さなことにも感謝の気持ちを抱くこと、それがあなたにプラスのエネルギーを与え、他人から感謝される人になり、その感謝の気持ちがあなたのさらなるプラスのエネルギーとなり、あなたを守ってくれるのです。孤独とうまく付き合える人とは、人が皆孤独であることを知っている人なのです。No.2のbossamba様はその回答から、あなたの良き理解者の1人と拝察します。大切になさって下さい。

「ずけずけと、人の心を土足で踏んで」と憤慨されているかもしれませんね。しかし、今のあなたには「敵」が必要なのです。あなた自身を映し出す鏡となる敵が。自分を見つめ、自分の隠された内面を探り出し、感情を全開にしてそれを見つめること。その操作には恐怖・悲しみ・苦痛が伴う大変な作業ですが、あなたが幸せになるためには避けて通れない道なのです。心理学(理性)に逃げないで、メンタルへルスや人間関係(感情)で質疑・回答をされるのも、ひとつの手がかりになりますよ。

「後悔しないように」と私にエールを送られたあなたは、今あなたの人生に後悔しているのですね。今から取り戻せるものなら、取り戻す努力をされてはいかがですか?十分間に合いますよ。できない言い訳を重ねないで、本当にしたいことを真摯に見つめれば、抑えられている自我の出口が見つかります。それは理性に逃げることではありませんから、くれぐれも注意して下さい。理性と感情はどちらが欠けても人間として不完全なのですから。あなたの後退してしまった感情を、少しづつ取り戻していって下さい。あなたの幸せのために。
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この回答へのお礼

あまりにお粗末なんで笑ってしまいました。
心理学ってかくもいい加減な学問なんですか。似非精神分析だかフロイディアンだか知りませんが、こんなものに毒された存在は周りにとって迷惑千万ですね。

たとえば、あなたが友人(そう呼べるものお持ちとは思えませんけども)と食事しようとして、友人が「そばはアレルギーがあるし嫌いだから、パスタにしたい)と言ったとする。あなたは「本当はそばが大好きなのに(抑圧)によって反対のことを言っているんだわ!ここはぜひとも彼女の(抑圧)を解いて感謝されなくちゃ!」と考える?で、彼女は似非分析によって、救急車で運ばれる羽目になると言うような事です。

いい加減にしましょう。人生を省みるいい機会です。

私が一言アドバイスを送るとしたらこの一言でしょうかね。
Soit pas snob!

お礼日時:2007/04/15 09:23

そういえば、私もluiの質問で回答してましたよね?


削除されて、アレっ?何でと思いました。質問自体は全く問題なかったと思います。お礼文とか質問から外れた回答とかだけカットすればいいのにナーという感じでした。

閑話休題。この質問でなにか引っかかるなと思っていたら、思い出しました。岡本太郎の「森の掟」に通じるところがあります。
初期の作品でテーマとしてはたいへんわかりやすい。こんな解説をしています。

>それが権力として通用する時には怖ろしい表情や姿で人々を脅かし、彼らの生活を根底から揺さぶるが、いったんチャックが開かれると中身は暴露され、バカみたいなものになってしまう

結局本物の人知を超えた権威など存在しないし、結局はトラの衣だということをもっと知るべきだ。これは心地よいテーマであり、またおのおのの自立を促す起床ラッパでもあります。

迷信からの解放、それが人間の課題だと思います。

参考URL:http://www.city.nanao.ishikawa.jp/nanabi/pages/e …
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この回答へのお礼

どうもお世話様でした。
luiに関してはかなり私も納得いく回答をしていただきました。
代名動詞の存在がどうも大きそうです。

虎の衣、まさにその通りだと思います。恐れる必要のないものを恐れ、マイナス思考、恐怖、などを招くこと、なにもいいことはありません。鬼とか閻魔の正体をもっと掘り下げるべきですね。

お礼日時:2007/04/15 09:16

間脳というのが人間の脳にはあるのですが


そこには情が存在します。
子供の頃は特に小学校5~中学3の時にはそこが働き始め
前頭連合野が作り直される時期なのです。
そこで多少凶暴性や秩序のない思考が働いてしまうことがあるのです。
その時期によい師匠や環境に恵まれているならそれで中和されるのですが
傍目見て飽和していると露骨にそのような残虐性が表れてきます。
それが
>「この地獄の主催者たち(閻魔やら鬼やら)がどうも威張り腐って残酷極まりなく気に食わん!こいつらを裁くようなスーパーヒーローがやってきて、こいつらがいじめている大衆と同じ目にあわせてやれないだろうか?」

というように具象化されて現れてきたのだと思います。
前頭連合野を金属棒で突き刺さった人の話をしりませんか?
その人はもともと穏やかな人でした、しかしその金属棒が前頭連合野
を破壊してしまったのです。
一命は取り留めたものの性格が一変して凶暴な人格になったそうです。
質問者様が仰るとおりの見解でよろしいとおもいます。
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この回答へのお礼

怒りは小学低学年には現れていたようです。
そういう私を包む社会に、どうしても怒りを覚える要素があったようです。それが不当なのか正統なのか今もって分かりかねます。

お礼日時:2007/04/15 09:12

自由な発想が感じられます。


社会通念に縛られない、そこを飛び越したものですね。
そういうのって、心地よいものです。

そもそも、あの閻魔や鬼ってなんなんでしょうね。地獄で働いているということは、一種の仏界公務員みたいなものでしょうか。職務の後はどういう生活してるんでしょうね。上司からのいじめや、過剰勤務、馴れ合いや虚勢や無意味な慣習に嫌気が差して、家に帰ったら帰ったで奥さんに愚痴られて冷や飯食わされたりということかもしれない。

このように考えると、すこしは落ち着きます。

落ち着かないのは、この公務員が本当に何の弱みもなく、24時間?連日延々とお客の攻めを疑いもなく続けているという展開です。つまり、絶対的な人間離れしたもの、人間の及ばざる存在、上に立つ存在、文句の言いようもない存在、そういうものに、いやおうなく責められ続けること、完全に存在がセパレートされること、そういう展開を受け入れられるかということです。受け入れるのに「是」とするかということです。

厳格な身分制度や男尊女卑の昔は、はるかにそういう思考法が受け入れられていたでしょう。しかし、それは人類史にとっておそらく負の歴史であったろうと思います。おそらくここ何十年か前、おそらく高度成長のあたりから、大衆の啓蒙が進んだんじゃないでしょうか。その結果、「われわれだって権力の側に立つことができる」
という潜在的思考が備わったといえます。その人間的な発展にあって、この地獄図絵のような時代錯誤(まさにそうです!)の感覚は、アレルギーを起こして当然なのです。

えもいわれぬおそろしいもの、権威、不可思議、そういう暗い「恐怖」から人々が自由になっていく過程において、このような画は抹殺したほうがよいかもしれません。

権威は「理性的」「人間的」なものでなくてはなりません。決して「恐怖」「絶対」「不合理」であってはならないでしょう。

そういうわけで、質問者さんの感覚は、時代の要請を感じ取ったものといえるでしょう。
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この回答へのお礼

解説していただくと、そういうような気がします。
超絶的な権威というものは、どうも受け入れられません。もちろん、ひとつの目標に向かって人々が一体になることとは別のことで、現代社会はそっちのほうがまたどうかしています。

やはり、昔の信仰習慣、そういうものに入り込める気はしない、拒絶感それを強く思います。

お礼日時:2007/04/11 10:19

こんにちは。

フランス語のluiに関するご質問で回答し、「気取ったってしょうがないでしょ」と返礼いただいたParismadamです。

やはりそういうお子さんだったのですね。

いくつの時にそのような恐ろしい絵を見られたのかは、文面からは拝察しかねますが、普通の子供なら「恐い」という素直な感情を抱くところ、あなたは「気に食わん」と言っておられる。その後、スーパーヒーローの裁きを夢見るあたり、正義感の強いお子ちゃまだったのでしょう。

そして「威張り腐って残酷極まりなく気に食わん」とおっしゃるあなた自身、威張り腐っていた記憶はありませんか?同じ波長を持つ者は同じ波長に敏感に反応し、電磁極の同極同士のように、そりが合わないものなのです。権威主義に反発するあなた自身、権威主義者なのではありませんか?確か、世界にはびこる英語を毛嫌いするあまり、フランス語が世界で最高の言語で、それ以外の言語は習うに値しないだの、根拠のない爆論を捲し立てておいででしたね。ある回答者には紳士でないなどと、権威に反駁する人の発言とは思えない罵詈雑言を浴びせておいででしたね。権威の傘に憧れるのは、結局あなた自身なのでしょ?

それはご質問文の回想の言葉の中に、その片鱗を見てとることができます。あなたの回想文の中で、特に異常性が表れているのは、「こいつらがいじめている大衆と同じ目にあわせてやれないだろうか?」という個所です。これは被害者が加害者に変貌する心理そのものです。被害者の心身の痛みが本当にわかる者なら、同じ痛みを与える加害者には決してならないものです。あなたの反応は、自分のEgoを満足させるための、正義感の美化でしかないのです。

それは、子供にはよく見られる反応ですが、その幼児性をひきずったまま大人に成長してしまう人も多く存在します。それはまた、抑圧されたEgoを外に出そうとしてEgoが肥大化してしまう症例に発展します。そんな例が歴史上の人物にも沢山いますよね。ヒトラーも然り。大事に育てられ優秀なはずなのに、牢屋に入れられ惨めな自分。お金がないことへの恨み。金持ちへの恨み。ユダヤ人への恨み。被害妄想が加害欲求に転移する典型的な例です。

子供時代にこのような感想を持たれたあなたは、実は淋しいお子様だったのではないでしょうか。その性向のせいで学校や会社でも常に違和感を感じ居心地が悪かったのではないではありませんか。そして今も、自分でコントロールできない、肥大化したEgoをどうやったらうまくコントロールできるようになるのか、模索されているのではないですか?このような質問をされるあたり、自分を見つめ直そうという前向きな姿勢が感じられますから。

あなたにとっては大変難しい課題かもしれませんが、「謙虚」という言葉の意味を、肌で感じながら追求されるといいでしょう。このままではあの地獄絵の中の閻魔や鬼に喜んで地獄に招待されることになりますよ。自分の罪や過失を見過ごさないように、見て見ぬふりをしないように。先送りした逃避はいずれ目の前に倍になって戻ってきます。そのまま解決せずさらに先送りすれば、負の重荷はさらに倍になって降りかかってくるでしょう。そんな負のサイクルに囚われ抜け出せなくなる前に、じっくり、子供時代まで遡ってご自分を見つめ直されるといいでしょう。何があなたをそんな悲しい人間にしたのか。今からどうすれば方向転換できるのか。第1歩としてまずは、何故あなたのフランス語の質問が削除されたのか、謙虚に見つめなおしてみましょうか。

また気取っちゃいましたか?あ、それから心理学は専門ではありませんが、それでも一応日本の大学で少々、英・仏の大学院で一通り心理学は学んでいますから、念のため。お陰で、3行の回想フレーズで沢山のことがわかっちゃうんですね。一応Bon courage!ということで、、、、。
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この回答へのお礼

ご自分でご自分が嫌になってきませんか?
何気なく学歴やら身の上やらご披露なさっているんですけど、ちょっとこっけいですよ。一応どこの大学やら大学院やら行っていらして結構、尊敬されたいんですか?普通に書いていらっしゃるんでしょうけど、その普通さがずれてます。余計なお世話ですけど。
知らず知らずに、ご自分が権威主義の権化みたいになっていますね。

それにしてもよく前のことを覚えてますね。いい記憶力です。
なんというかね、人をマイナス解釈するのがすごくお得意の様に思えます。それがふうつの感覚だと思い込んでいることがまた怖いところです。

もうやめましょう。あほらしい。
こんなところでお互い嫌な思いして何になるんですか。
私は、きわめて優しい「お子ちゃま」でいらっしゃったわけです。しかし、内面になにか煮えたぎるものを抱えていたようです。それが理不尽なものに対する怒りでしょう。そこはおそらく正解です。

とにかくね、人をマイナス評価する癖はやめたほうがよろしい。後悔しないように、天狗と嫌味から脱したパリマダムの人生をお送りください。

お礼日時:2007/04/11 10:15

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