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昔から、よくそのような考えをしていました。
親に怒られても「アタシがキライだからだとか、アタシがいなかったら両親を困らせ苦しめることはなかっただろう」と思い悩んだり、大人になった今でも「夫にとって私との結婚は貧乏くじだった。夫に申し訳ない、私と出会ってなければ夫にはもっとすばらしい出会いがあり、このような苦しみを経験することもなかったのに」などと考えてしまう傾向があります。
マイナス思考なのでしょうか(悲劇のヒロイン?)。それとも他力本願なだけでしょうか?

そもそも、ほかのみなさんの頭の中に「自分がいなかったら周りの人は幸せになれたかもしれないのに」という考えはないのでしょうか。

なんでそんなに自分を責めるの?と夫に言われますがそうとしか思えないくらい自分がここに存在することが申し訳なくなるときがあります。

A 回答 (16件中1~10件)

野生のままよりある程度人の手が入った里山のようなものの方がそこに住まうあらゆる生物にとっては生き易く住みよくなっていくように思います.


そういう風になるように人が手を入れる.
社会がうまく機能していれば.

今の世は確かに生きにくいところがある.
野生の競争社会の中で自らが生きる術を,生活の糧をうる手段を身に着けなければならない.
現代社会は
大都会の文明の中にあって在り方は野生動物的.

それでも光を浴びてイキイキと生きられる場はきっと見つかる.
自然の生命力.

東洋人は自然の中に,植物に哲学を観る.
高村光太郎さんの
道程
という詩を贈ります.
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

大好きです。
道程。

中学のころに読んで、いまでも何度も読み返しては、読み返すたびに違う感情が生まれてきます。

実家は静かな農村です、草いきれのなかにうずまっていたいなあと、
実家に帰るたびに思ってしまいます。

お礼日時:2007/06/24 13:37

僕の場合は


産んでくれてありがとう.
だったな.
ある日のある時に
ふっと頭の中にその言葉が浮かんだ.
そこからが変化の始まりだったな.
ぼわ~と
マシュルームのような光と共にそれは始まった.

この回答への補足

PCの故障でずっと見ることができず、今日こんなにも多くの方からお返事をいただいているのがわかり驚きとともに感謝の気持ちでいっぱいになりました。

いい大人のくせに大人になりきれてない自分ですが、皆さんからいただいたヒントをもとになんとか前へ進むことができたらいいなと思っております。

ほんとうにありがとうございました。

補足日時:2007/06/24 13:43
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
自分の親とはようやく話もできるようになり、子供を生んだことで親の痛みも少しわかってきたような気がします。

けれどもまだ今の自分には「生んでくれてありがとう」なんていえそうになくて・・・。

そんな日がいつかきたらいいなあとおもうのですが・・・。

お礼日時:2007/06/24 13:42

再度の#13です。


もし、アダルトチルドレンの特徴に合致するところがあれば、
癒しの作業を始められた方が良いと思います。
傷ついて成長が止まってしまい自分の中に放置されたその子を、
インナーチャイルド(内なる子供)と言います。
インナーチャイルドには癒しが必要です。
私は、インナーチャイルドが人生の全ての鍵を握っているのではないか?
とさえ、思っていますので、
一生かけて、もう取り戻すことが出来ない子供時代に置いて来た自分と
向き合っていこうと思っています。

ちなみに、その子を想像しながら、
「生まれて来てくれてありがとう」と、言ってみて下さい。
想像できなかったら、言葉だけで構いませんので
「生まれて来てくれてありがとう」と、ただ言ってみて下さい。

何かしら、ご自身の中で反応しませんか?

もし、反応があり、泣きそうになったり、胸がキューっと締め付けられる
ような感じがあれば、それは、インナーチャイルドが反応しているのだと
思って良いと思います。

斎藤学・西尾和美・信田さよ子・水澤都加佐・等は、アダルトチルドレンや、インナーチャイルドに詳しいので検索されると著書やサイトが出てくると思います。

参考になれば幸いです。

参考URL:http://www.iff.co.jp/cgi/affirmation/index.shtml
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この回答へのお礼

再度ありがとうございます。
斉藤学氏いがいのかたの著書もぜひ読んでみようと思います。

自分の中の子供にすら問いかけられない・・・。
怖い、うらんだ暗い目で見られるのが怖いからです。

お礼日時:2007/06/24 13:34

私もありました。

両親の仲が悪く喧嘩のたびに「子どもがいなければ、早く離婚している」「子どもがいるから我慢している」と、母が父に罵声を浴びせていたのを、何度もリピートして聞き、その言葉が脳味噌の奥の奥の方まで刷り込まれたので私は長子なので、「生まれてきて申し訳なかった」「私が生まれなければ、二人とも幸せだった」と長年思ってきたんです。
AC(アダルトチルドレン)という概念をご存知ですか?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%80% …
機能不全家族に育った、ちゃんとした子ども時代を送れず育った大人のことなんですが、そういう不安定な家庭に育つと、心も不安定なまま育ちます。
見た目は、大人でも心は成長できていないんです。
子供というのは、潜在意識が全開の状態で、生きていくために必要なものを取り入れようとします。
そして、周りの大人のいうことを、そのまま、良くも悪くもインプットしてしまうんです。
だから、間違った刷り込みも誤った見解も取り入れてしまうと、
自分の価値や存在自体も揺らいでしまいます。
もし、お心あたりがあるなら関連した本も出ていますし、その辺りを勉強されてみてはいかがでしょうか?
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この回答へのお礼

ACについては自分でも関心がありさまざまな文献を読んでみました。
では果たして自分が、ACあるか否かはあえて専門家へは聞いてはいません。

怖くて受け入れることができなければ、また落ちぶれていくのが怖くて。

自分の中の子供を抱きしめることができないから、実の子供へもどうせっしてよいかわからずにいます。

お礼日時:2007/06/24 13:31

 昔はそのような考えを持った時期もありましたが、今はあまりそうは思わなくなりました。



 「私がいなかったら周りの人は幸せになれたかもしれない」

 ある社会学者によれば、この悩みというのは今の時代特有のものなのだそうです。1つは産業化と都市化によって、人間の流動性が激しくなりました。誰もが特定の場所にとどまらず、入れ替え可能となったわけです。

 ある会社のポストにいたとしても、「あなたがいなければ会社は終わる」などということはなく、必ず入れ替え可能なものです。あなたが辞めれば、必ずそれにみあったかわりの人がそこにつきます。

 かつての原始社会においてはこういう思考はかなりむずかしかったと思います。というのは、まず基本的に小さなコミュニティのなかに生まれ育ち死にます。血縁的関係は非常に強いわけです。そこでは何らかのポストがあるわけでもなく、個人個人が密につながっているので、自分がいなくなれば何らかの喪失感があるという実感ができたのではないかと思われるのです。

 こういう「自分がいなければ」という発想を一瞬でも経験した人は、じっさいたくさんいるのではないかと思います。

 入れ替え可能というストーリーは文化的にも浸透しました。たとえばタイムマシンの発想はそうです。現在の自分を否定するために、過去の自分を変えるわけです。あれはもちろんフィクションですが、人の奥底にある入れ替えへの欲動です。

 でもです。本当は入れ替え可能などというものは機能的にあるけど、あなたはあなたとして存在していることに変わりないのです。社会を演劇と考えてみましょう。そこにはいくつもの役割があります。誰が何の役を演じてもかまいません。あなたはあなたで何らかの役をこなしています。たとえば妻という役を演じています。

 その妻という役割はたしかに他の誰かでも演じることができます。役割というのは変わることができますし、誰もが演じる可能性があります。

 でもあなたはあなたであることに変わりはありません。役割は存在しますけど、俳優は個別に存在しています。

 ですから、たとえばご主人は妻という役割を演じる人が誰でも良いと思っているわけではありません。あなたという俳優を選んだのです。一度、あなたが俳優として妻を演じれば、もはやご主人のなかにあなたはかけがえのないものとなります。

 人間は社会的存在です。必ず誰かと結びつき、相互に依存しあっています。あなたが失われるなら、少なくとも何人かの人は必ず悲しむのです。それは誰かにとってあなたはかけがえのない存在であるからです。

 役割をする人は変えることができますが、人には感情があります。そこにいる俳優に対して友情や愛情を抱くのです。ですから、人はその役割を演ずる俳優達が変わることをある意味では悲しむのです。

 たとえば小学生のとき、愛着のある先生が転任したことがありますよね?この時、少し寂しい思いを経験しなかったでしょうか。先生という役割はいくらでも演じられる俳優がいます。しかし、その俳優は私たちと心のどこかで結びついていて、とても寂しくなるのです。

 「私などいなくても世界は何も変わらない」という人がいますが、変わります。あなたとあなたの周りいる人は世界の一部です。たとえどんなに小さくても、世界は変わります。あなたは世界を作っており、世界の一部です。あなたという存在がどれほど小さくても、あなたは世界にとってかけがえのない一人です。

 ご主人にとって、近隣の人たちにとって、あなたは欠かせない俳優なのです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

本当にわたしがそういう存在であるかわかりません。
どうして過去を信じて、今の俺を信じようとはしないのかと、夫は言います。

今の夫はわたしに罪償いでもしていて、私に愛情があるわけではないのではないかと偏屈に思ってしまいます。
私ではないよその女性を愛し、私に中絶させる勇気がなかったから「仕方がなく責任を取った」そんな風に子供が生まれ何年もたった今も思っている自分が情けないです。
それこそうまれてきた子供をないがしろにしているサイテーな親ですよね。

お礼日時:2007/06/24 13:26

少し、キツイ言い方になるかもしれませんが、ご容赦ください。



人一人の個人の力なんて、世の中にとって大した影響はありません。
良くも悪くもね。
まぁ、あなたが政治家や大企業の社長で、しかも独裁者バリの実権を握ってれば別でしょうが。

質問者様が影響を与えているとすれば、近くの人にでしょうし、質問者様の悩みも「自分が、近くの人にマイナスの影響を与えてるのではないか?」と言うことだと思います。
多分、「自意識過剰」の一種でしょう。
これはある意味性格なので、受け入れるしかないでしょうね。
その上で、「自分が思っているほど、周りは気にしていない」という事を意識するようにするといいかもしれません。
まぁ色々と「克服」する方法はありますが、人によって効く手段はマチマチなので、あまりにも気になって生活に支障が出るようなら、専門家(メンタルクリニックのお医者さんなど)の助けを借りるのが一番でしょうか。
このとき、「カウンセリング」と名のつくものには注意してください。
然るべき機関から紹介された場合は構いませんが、それ以外の場合結構治療にお金がかかりますから。(保健適用外のため)
最悪、詐欺の可能性もあります。(特にネットやメールでの有料カウンセリング)


取り合えず、Googleなどの検索エンジンで「自意識過剰 症状 治療」といったキーワードで検索してみてはいかがでしょうか?
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

自意識過剰、メンタル・・・。
通院4年が経過しています。

よくなったり悪くなったりを繰り返しています。
夫も疲れています。
子供もどんな目で見ているのか。

あせる気持ちが余計にじぶんなんていなくなってしまえと思うのかもしれないと、感じています。

お礼日時:2007/06/24 13:17

こんばんは、jinno39さん。





●「…申し訳ない」


ですか?


それで、いいんじゃないですか。いっそのこと「申し訳ないけれど私は生きる」とご自身に宣言すれば?おたがいさまです。互いに違いもあります。おもいつめないで。違いもまた味、その人その人の持ち味。ちょい運動しましょう。気持ち切り替えて。
では、いきまぁーす!
アルゴリズム体操はじめ

http://song.350ml.net/etv/taiso.html
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

体動かさないから頭も固まっちゃうんでしょうかね・・・。
昔、野生児だったなあ・・・。
木登り、川あそびだいすきだったなあ。。。

一歩進んで前習え~ですね^^

お礼日時:2007/06/24 13:50

ヒロインになった気分はいかがでしょうか。


jinno39さんの一人芝居を受け入れているご主人の事には思い至らないのでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

わかりません。
夫は、間違いなくこの結婚を失敗だと思っているという固定観念が私の頭からきり離れてくれないのです。

自分よりも夫を理解し趣味を共有し楽しい人生をこれから歩んでいくはずだった女性ではなく、こんな私を選ばざるを得なかった・・・。
どんなに夫が「そうじゃない」といっても私には「お前が妊娠しなかったら、こんなふうにはならなかったんだぞ」とうらまれているようなきもちななります。

お礼日時:2007/06/24 14:05

>そもそも、ほかのみなさんの頭の中に「自分がいなかったら周りの人は幸せになれたかもしれないのに」という考えはないのでしょうか。



私は、もともと私が人類に貢献できることはゴキブリ程度もないと思ってますので、死んだとしてもゴキブリ程度の影響もないと思っています。別に飲む、打つ、買うはしていませんが、好きなことをやって暮らしてきました。
まあ、顔をみれば、どういう性格の人か分かるようになってきました。悩まなくてもいいことで、悩んでいそうな人が多いようにみえます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

取るに足らない些細なことを悩んで何が楽しいの?
夫によく言われます。

お礼日時:2007/06/24 14:00

「世界は自分を中心に回っている」から派生した考え方です。


世界や、自分の周りの人に自分は多大なる影響を与えている、そう思い込んでいるから、持つ考えだといっていいでしょう。

旦那さんにとって、あなたと結婚したという事は、旦那さん自身の意思決定があった、という事です。
それによって引き起こされた結果が何であろうと、それは旦那さんの責任であり、他の誰もが変りにその責任を引き受ける事は出来ません。

例えば、旦那さんがパチンコに行ったとします。
そこで、その月の小遣いを貰った日に全部スッたとします。
悪いのは、パチンコの台ですか?それともパチンコ屋さん?
スッテンテンになるまでやる旦那さんの責任でしょう?
それとも、それもあなたのせいですか?

大人なら、自由な意思決定とそれに対する責任を持つものです。
他人に責任を持ってもらうのは、子供だけです。
あなたがそんな考え方をするという事は、人を子供扱いしている、とも言えます。

あなたがいようがいまいが、その人にとっての幸不幸は存在し、その選択の責任は自分で受け止めるだけの話です。

だから、あなたがいなくなった所で、誰も幸せになんかなりゃしません。
そういう考えを持つのも、いたずらに旦那さんを心配させるし、あなた自身も愉快な生活とは言えないでしょう。

だから、そういう考えが起こったら、掃除をするというのはどうでしょう?
じっと全力を注いで、それを考え続けるからいけないのです。
究極的に言えば、整理整頓に終りはありません。
考えが起こったら、すぐ整理整頓。
押入れもタンスも、見えない所はぜーんぶ開けて、キチンと整える。
もう家の中の10年前にしまった釘一本すら、その場所を把握できるくらい、整理整頓をする。

やってる間に、そんな考えをし続けない習慣が出来るでしょう。

もし、完璧な整理整頓が出来ても、その考えが捨てられないのであれば、それはそうなってから考えればよい話です。
今から仮定のお話をしてもしょうがありません。

はい、考える暇があったら、体を動かす!
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

どんな理由があるにせよ責任を取ると決めた夫が決めたんだからそれを信じよ。何度も両親に言われました。

どんな理由にせよ夫は私との結婚を決意した。それでいいじゃないか!

そう割り切ってあげたいのに、なぜだかいまだ足踏みなんて情けないですね。

確かに動かなくなりました引きこもって泣いてばかり。
もっと美人でやせている人と結婚できたのに・・・ごめんね。
なんて。

引きこもり主婦なんてみっともないですよね。

お礼日時:2007/06/24 13:59

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