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マックス・ヴェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」に関する質問です。
マックス・ウェーバーによればプロテスタント達は「労働を自己目的化」していたけれども修道院と違って「禁欲」は倫理的に要求されないと考えていたのですよね。
とすれば、当時のプロテスタント達は労働の結果たまたま得られた財について消費することは「悪」とは考えなかったのでしょうか。
財が衣装にも使われて、意外にも、華やかな衣装風俗が展開されていたりしたのでしょうか。
御回答よろしくお願いします。

A 回答 (3件)

禁欲を倫理的に要求されなかったというのは誤解でしょう。


確かに修道院などに入り、世俗からはなれて禁欲を貫くというそれまでの禁欲という考え方は要求されませんでした。
しかし、「隣人愛」の実践である労働を通して神の栄光をこの世に広めることが求められていました。
この実践が「世俗内的禁欲」といわれるものです。
職業生活を通して富を得ることはその職業実践が神に良しとされていることの現れ、ひいては救われていることを確信できるものと考えられましたから、労働で富を得ることはよいことです。
しかしそれ(労働で得た富)を自らの楽しみのために浪費することは悪と考えられていましたから、その富は再び神の栄光を表すために職業生活に投資されていきました。
まして華やかな衣装で着飾るなどということは、心が神でなく富に向かっていることを示しますからもってのほかのことでした。

この回答への補足

御回答ありがとうございます。
この考え方は現代アメリカにおける福音派にも通じるものだと考えるのですが、現代アメリカで原理主義に近いスタンスをとる福音派の方達はどういった服装を好む傾向にあるのでしょうか。
たとえば、フランクリン・グラハム、パット・ロバートソン、ラルフ・リード等の伝道師はそれなりに「良い服」を着ているように見えるのですが・・・。

補足日時:2007/05/10 08:51
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質問者の言われる事は、プロテスタント全体ではなく、プロテスタントの中の改革派教会にのみ当てはまる内容です。


そのため、プロテスタント全般というと、誤りになってしまいますので、ご注意を。
改革派教会ですが、宗教改革期に貧困層に広まった宗教で、宗教改革期においては、とても得られた富を消費する余裕はなく、むしろ節約と勤労により新規投資として利用され、拡大再生産に使用されました。
「勤労は美徳」という考え方で、そんな中で一人だけ華美な服装などできるものではありませんでした。
また、改革派教会が勢力を伸ばすのは、産業革命以降になります。
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衣装は知らんけど、建物(内装など)豪華で、派手やって聞いた事あるわー。

カトリックはその点質素やって・・・そのような認識。
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