dポイントプレゼントキャンペーン実施中!

 初めまして、こんばんは。
考古学>古墳>前方後円墳 についての質問です。

前方後円墳の起源について諸説あり、未だ定説はないかと思いますが(方形周溝墓などからの発展が有力でしょうか)、その一つに前方部祭壇説というのがあったと思います。
この説は名前だけ聞いたことがあるのですが、具体的な内容がわかりません。いつ頃、どなたが唱え始めたのでしょうか?
おおまかな内容でも構いません。

よろしくお願いします。

A 回答 (2件)

 誰が唱え始めたかは、文献の初出を調べれば分かる事ですが、あまり意味のあることではないと思います。

日本の考古学は諸外国に遅れて発達したため、外国の考古学概念が取り入れられており、また、大抵の遺跡は究極的には、祭祀遺跡か墳墓かどちらかになっています。しかも死者の埋葬とその葬礼は密接に結びついているため、行いやすい場所であれば、どこでやられたとしても不思議な事はなく。
 それゆえ、誰でも思いつく考え方です。というよりは、それ以外を思いつける人がいないと言った方がいいでしょうか。
 それに、祭壇跡があったからといって、必ずしも、墳丘と同時に作られたかどうかも分かりません。さらに言えば、古墳自体も副葬品だけから年代が推測されているに過ぎず、例えば、墳丘だけは大昔からあって、三世紀頃から再利用することが流行っただけかもしれないのです。日本の古墳は異常に多すぎるので、あるいは考古学会が重大な誤りを犯している可能性もあります。人の意見の出所を気にするよりも、こういう基本的な疑問をついて行った方が実り多い研究が期待できるのではないでしょうか?
    • good
    • 0
この回答へのお礼

丁寧にありがとうございます^^
探している時にはなかなか見つからず、忘れた頃に文献が出てくるもので・・(;^_^A アセアセ・・・ 一応同様の疑問を持たれた方のために、初出は梅原末治氏やウィリアム・ガウランド氏らしいです。
誰が初出なのか分からないまま色々と読んでますと、Horusさんの仰るように埋葬と祭祀は切っても切れないので、こういう論も当たり前と言えば当たり前ですね。楯模倣とかもおもしろいですが(笑)
最後の実り覆い研究のアドバイスは有難いです^^
しかしまあ、人の意見の根拠を知ってこそ批判もできるということで。。
個人的には近藤義郎氏の弥生墳丘墓の道を象徴化したものかなと思いますが、それにしてもこういう部分の認識が著名な考古学者の中で安定していないのにはちょっと意外でした。

お礼日時:2002/07/25 04:13

後円部に葬り、前方部を祭壇としたという説のようです。



http://rahken01.tripod.co.jp/zatugaku/nihonshi-n …

参考URL:http://www2.wbs.ne.jp/~jrjr/nihonsi-1-4-5.htm

この回答への補足

さらに補足質問させていただきますね。
具体的にその祭壇というのは、箸墓タイプの古墳の墳頂部に乗る(この場合特に前方部の)円壇や方形壇のことをさすと考えてよいのでしょうか?(埴輪列などもそうだと思いますが)

補足日時:2002/06/26 10:09
    • good
    • 0
この回答へのお礼

さっそくありがとうございます^^
ぼんやりですが、わかってきた気がします。

お礼日時:2002/06/26 10:09

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!