アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

創作活動をしている方にお聞きしたいと思います。

私は二次創作、いわゆる版権絵を描く事を趣味にしています。
絵を描く行為自体は小学生の頃からやっていますので
今まで疑問に思った事はなかったのですが、
そういえば最近楽しく絵を描いた事が無い事に気づきまして。
いつも(うまくならなくちゃ)(◎◎も描ける様にならなくちゃ)とか
mustな感情が働いて気が重くなりながらしぶしぶ机に向かうような感じなんです。
嫌なら絵を描かなきゃいいのに絵の事から離れられないみたいで…
(上手な絵を見ると焦るわ凹むわうまくならなきゃと感じてしまうわ。)

あと、私は自分が描きたいから絵を描いているというよりは、
誰かに褒めて貰う為に描いているみたいなんです。
先日サークルに入ろうと思ったのですが、参加者さんの絵で画力をみて
自分より低い?人が多いサークルに惹かれている自分を知って最低だと思いました。
要するに自分の絵を好きになってくれる人、ファンが欲しくて参加しようと思ったようなのです。
とても”自分が描いたものが本になる”ことを求めてサークルに参加する様ではなさそうで。

*絵を描くのが楽しいと思えるようになりたい(誰かに褒めて貰う事が目的にならないようになりたい)。
*上手な絵をみて凹むようなことをなくしたい(うまい絵をみて凹むのではなく、私は私でがんばろうと思えるようになりたい)

小さな事でも構いませんので、何かご意見頂けませんでしょうか…。

(素敵な映画を観るなどして感動すると絵で表現したくなる気持ちはまだ持っています。)
(「その時の脳内のイメージをうまく表現する為に
普段はmustの感情に促されて絵の練習してるんだよ」と思うようにしてるのですが
それにしては普段の精神的負担が大きすぎます・・。)

19、女

A 回答 (8件)

こんにちは、私もその状態、陥ったことがありまして、以前は美大を目指していたのを進路変更して今は文学の4大に通っております。




美大を目指していたころは、美大の予備校までも楽しくて、「こんなんじゃ受験の辛さってのないなぁ」と思うくらいでした;

でも、私にとっての絵というのは、自分の「アルバム」っていうことに思い至りました。長年描いた私の絵には、そのときどきの自分の経験や考え方が入っていて、その変化を眺めるのがすごくおもしろい。
私にとってはそこが一番のポイントなのかな、と思い、「それなら、色々な経験をして、自分の変化を絵画の中で楽しみたーい」と考え、以前から興味があった文学の道にすすみました。

4大に入ってからは大変忙しく、絵を描けず、絵への情熱が疑わしかったのですが、2,3ヶ月に一度でも、あるときふっと描くことがあります。
そうすると、また前回とは違う絵になっていて、すごくこれがおもしろい。
2,3ヶ月に一度じゃあ少ない!と思われるかもしれませんが、私は極端にいえば自己満足で描いているので、描きたくなったら描く、これが一番自然で楽しい生き方だったりします。


これはあくまで私の個人的な意見なのですので、あくまで参考程度に(^^;)今ではやはーり美大いきたいなぁとも思ってしまい、絵画教室に通ったりお稽古留学もしてます。


それと、これも極端な言い方ですが、絵にうまいへたもない、です。
勿論昔のオランダ絵画なんかをみると「うまーいっっ」って感動してしまいますが、それはあくまで写実的なうまさです。
現代作家のうまさはそれと違うはずです。

絵画は、その人個人の経験や考えが反映されるからおもしろいと思います。
たまには絵画mustから距離をおいて、たくさん展覧会にいったり、映画をみたりしてみるのも、感性の刺激になりますよ(^^)


長々と失礼しました。どうにもわかりにくい文で申し訳ありません;
    • good
    • 1

私は創作活動を続けている美大生です。



ちょっとバッサリ言ってしまうと、あなたの陥っている事は絵をある程度描いている人間はみな感じている部分が有る事ですので、あなたは特別最低な人間でもなんでもありません。普通です。
自分が頂点でない限り、もっと上手くならなくちゃという意識を持って当然です。それを持たない絵描きは成長しないんじゃないかとも私は思います。
私が疑問なのは、絵と真剣に向き合っているならばどうして絵で苦しむことに迷うんでしょうか。
私の知り合いで、ストレスが溜まってもどんな酷い批評を受けても描き続けている方は沢山います。
誤解がないように書いておきますが苦しんで描くことが良いと書いているわけではなく、勿論楽しんで描ければ良いのですが絵によって受ける苦しみを乗り越えるくらい好きでないと、ancomoさんが望む「上手さ」や「楽しんで描くこと」は手に入らない気がします。
簡単なことではない事を承知で書きますが、もし自分の考え方などで絵が描けなくなってしまったら、少しでも絵の描ける精神状態に持っていく努力をしてください。「このままの自分の性格では絵は描けなくなる
、それでもいいのか」と自分に問いかけてみてください。

>普段はmustの感情に促されて絵の練習してるんだよ」と思うようにしてるのですが
それにしては普段の精神的負担が大きすぎます・・。

精神的に負担でそれを簡単になくしたいのなら、絵への意識を趣味程度にとどめてはどうでしょうか。

>ゲーム/漫画→背景やプレイヤーの体の動きが気になる。(この体勢だとここの筋肉が見えるんだーとか)
>ネットサーフィン→友人も絵描きなので必然的に絵サイト巡り…
という事態に;
>CMや電車の広告さえも意識し出す始末です。(コップ持つ手を凝視したりですとか)

絵を描く人間は自然にアンテナを張っているので、上記のようなことは皆やっている事だと思っても良いと思います。
    • good
    • 3

曲がりなりにも漫画と映像関係の仕事で20ン年食ってます。



………うっわー。真面目。
>自分より低い?人が多いサークルに惹かれている自分を知って最低だと
>要するに自分の絵を好きになってくれる人、ファンが欲しくて
これ、当たり前の感情ですよ。
みんな最初はこれが原動力の一つになるんです。
絵を描き、上手くなる努力に向かわせるゴハンです。
これを最低というなら、私の事もサイテー扱いしてください。
ええ。一緒に乗るセンセー方にあんまり上手い人がいないとほくそえみ、
読者の評判がいいと、働くのがイヤな癖に次回も頑張ろうとか思うサイテー野郎です。
でも、それがなかったらこんな辛いことなんかしたくないですよ。
褒められも何の得もなくて努力できる人間なんか、ほとんどいない。
(できるのは余程の聖人かナルシストかマゾだ)
絵を描く、しかも自分で納得いくほど上手くなるというのは、この世で最も辛い地獄のような職人作業の一つです。
なにしろ上限がない。
どんなに上手くなっても、この世の誰よりもキビシイ自分という批評家がいる。
しかも、求められるモチーフにも限界がない。
文字で「視界を埋め尽くす軍勢との戦い」と書けば14文字ですが、実際描くのは地獄です。そんなものは出さないようにする、という手もありますが、それでは自分の限界もそこまでになってしまう。
ただし。
何でも思い通りに描ける漫画化・画家なんてものが、何人いるとお思いですか?
ほとんどの漫画家はアシスタントを使います。時間がないだけではありません。
「誰もがホレボレする美少女や素晴らしいドラマが描けるけれど、メカが描けないのでそれは他の人に頼んでいる」超大作家が今でも何人かいらっしゃいます。(逆の男性作家もいる)
仕事とするなら、苦手を克服するよりも人の協力を仰ぐ方が正しい。
仕事でないなら、そこまでする必要はないし、趣味ならもとより自分の好きなものをできる範囲に絞って描けばいい。
好きでないものを描いたって、自分をはじめ誰も喜ばない。
……え?
「人に喜んでもらえるなら苦しくても描きたい」…?
じゃあ『褒められるために描く』のはどうしていけないですか?
『描けるようにならなきゃ』なんて無意味で終り無きムチから、どうして逃げてはいけないでしょう?

何かを作って人に喜んでもらいたい。
自分の作ったもので人を幸せにしたい。それはクリエイターの本能。
何が面白いかは自分の感覚でしか判らないから、自分の面白いものを作る。
たまたまできる事が絵だけだったから、イヤでも苦しくてもそれを極める。
それは確かに『あまりにも重たい感情』ではあります。
しかし、その重たい感情を持たない人間に、何事も努力も向き合う事もせず軽く投げ捨てる人間に、何か「他人にはできないから絶賛されるもの」が生み出せるでしょうか?

あなたがまずなすべき事は、上手くなることではありません。
それを「否定してはいけない、当たり前の感情」だと認めてあげることです。
(あげてくれーワシのためにもーでないと責められてる気がー(泣))

「時間をかけずひとッ飛びに『上手いという賞賛』だけを得る方法」などありません。そんなオイシイ話があったら誰も苦労しないし、プロは明日から日干しになります。たかが19で凹むのがイヤだなんて人生の浮き沈み拒否されたら、中年のワタクシなんぞは毎日首を吊ってなきゃいけません。
(何せアアタ、これでギャラがもらえるプロなのに土人誌では叩かれるですよ!!デッサンに文句つけようがなきゃ「絵柄が」とか言われるし。)

叩かれてナンボ、努力はイヤで当然、すぐ上手くなれたら苦労せん。
そのうち、別のことでもしてるうちに描けなかったものがパッと見えてくることもありますって。
それでええんです。
    • good
    • 7
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます!

胸に刻んでおきたいお言葉を挙げたら、それだけで投稿制限字数を超えてしまいそうです。
正直はじめの「真面目」はショックでした。よく言われるので慣れっこなんですけどね。
(真面目でいたくない真面目なんです私)

要は自分次第で、私が自分に厳しい限り、絵の事で凹んだり苦労したりし続けるわけですね。
でも凹みたくない・苦しみたくないからって自分を甘やかして妥協することなんて、私には性格上できなさそうです。
『褒められるために描く』為なら私はメカだって軍勢だって描くと思います。
つうか絶対描く。諦められません。真面目なんで!

頑張ろうと思いました。
褒められるために描くなんて歪んでると思っていましたが、今は
私は『褒められるために描く』んだ!と堂々と思えるようになった気がします。

回答して下さってありがとうございました。
考え方を、良い方向に変える事が出来ました。

お礼日時:2007/05/27 00:20

私はGデザインが仕事ゆえ、直接参考になるかわかりませんが一筆。


サークルに関しては、絵は感性の世界のものなので、求めるレベルになかったりピンとこないなら、自分を信じ判断すればよいです。
絵の道で[楽しいか]は結構重要です。その点ANo.4さんと同様、ひっかかるのは動機の部分です。
私自身、のらない仕事は手を動かす以前に、個々の絵においての[描く動機~込めるモノ]が希薄な事が多い。
 ・好きな人を描く時は、放っておいても気持がこもるので楽しいもんです。
 ・嫌いな人を描く時は、嫌な気持とずっと向き合うのでタダでは楽しくない。
後者の場合[こいつ腹黒いからタヌキにしちゃお]とイメージすると案外面白くなるもんです。楽しくない所に我慢して正面向くより、斜に構え角度を変えて面白みを発掘します。
職業ですと[自分が楽しむ]より[見る人が楽しむ]を考えます。どうしたら人の心が動くかを主軸(コンセプト)に表現を決めます。人が集まった買った等の数字が結果として、こちらの[楽しみ]になります。本質的には褒められる快感と同じです。
技術は手段です。凹むのは皆同じ。凹んだ瞬間=伸びるチャンス、と思うといいです。下手と気づけなければ成長のチャンスはないのです。嫌になる時は無理に能動的に描こうとするより、受動的に何かを吸収する楽しみを持つとよいです。いろんなイメージが頭に流れ込み、頭の引き出しに徐々に蓄積されます。様々なイメージの具現化を繰り返して技術は向上します。ANo.1さんが岡本太郎さんを、ANo.2さんがオリジナルを、ANo.3さんがデッサンを、薦められるのも同感。一つの分野内に閉じていると、類似表現の近親相姦でしか絵が生まれず、その分野自体、総じて同一化しつまらなくなっていきます。
ancomoさんは二次創作に自由の限界を感じてきたのかも?積極的に他の分野に接点(体験)を持つ事は、わたしもお勧めです。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます!

>本質的には褒められる快感と同じです
本当だ、同じですね!なんだか嬉しいです。

>下手と気づけなければ成長のチャンスはないのです
一瞬、下手だと気づかないまま好きに描いている自分を想像しました。
きっと酷い絵だろうなと思います。
でも下手だと気づかないまま好きなように描いている本人は楽しくて幸せかもしれませんね?
それはそれで、羨ましいと思ってしまいます…。

>受動的に何かを吸収する楽しみ
想像力を養うためにも必要ですよね!
直接的に絵に関係しないところで、そういう楽しみがあるか…見つけてみようかな?

タヌキの辺りが面白かったのと同時にとても感心しました!
私の事例?にあわせて応用できないか考えてみます。

>二次創作に自由の限界を感じてきたのかも?
とんでもないです!私を買い被られているようです;
私は上手くなりたいという思いの割には努力不足です。
この度質問したのは努力する為の原動力をつけるため(だと思います)。
絵を描くのが楽しいと思えるようになれば努力するだろう、
凹むことがなければ努力する時間が増えるだろう、
という次第で・・。
なんだかこの程度の人間で申し訳ありません。

お礼日時:2007/05/26 23:51

すごく突き放した言い方になってしまいますが、


上手い絵を見たときの反応は、性格の問題だと思います。
なので、ここで人からの意見で、それで変える事は難しいんじゃ
ないとか思います。

ですが、絵を描く動機とかは、自分が自分に気付いて、
変化する事はありうると思います。
僕も年に一回ぐらいそんな時期がありますが
昔回答として出した結論と今の結論は全然違うものです。

ですが、昔出した結論が間違っていたとは思いません。
自分の内面のことを、自分で結論づけているだけですから。
自分の事なんて、わかったいるようで、全然わかって
いないものです。

なので、質問者様が絵を描く動機が人に誉められたくて
って今の時点で結論づけているなら、それはそれで
正解なんだと思います。

ちなみに、その結論は誰しも思っている事なので
そんなに悪い事ではないと思います。

ですが、私の意見を言わせて頂くなら、もっと他にあると
思います。例えば、自分の描いた物が凄く上手く描けたときは
純粋に嬉しいと思います。達成感もあります。
その達成感は他の事では味わえない事だと思います。
それらを味わいたくて描いているとは思いませんか?

または、昔と比べると自分が上手くなっていると
思えたとき、自分の成長が分かります。
そんな時も、絵を描く事でしか味わえない快感があると
思います。絵を長く描いていると、そのへんの純粋な気持ちを
忘れがちで、ただ誉められてたくて描いていると
思ってしまうかもしれません。

どちらが、自分の中で比重が高いか?と
もう一度考えなおしてみてはいかかでしょうか?
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます!

凹んでしまうのは性格上のことですか…
この先も苦労しそうですね;

はい、自分が描きたいものがうまく表現できた時はとても嬉しいです!
今まで絵を描いてて良かった!と感動します。
ただ、そんなこと本当に稀なんですよね。
だから質問したようなことを考えてしまいます。

褒められるために描く事は悪い事じゃない、というので心が少し軽くなりました^^
自分に新しい風がふいてきた気がします。

お礼日時:2007/05/26 23:22

2次創作において技術不足に悩むのなら、「絵画としての基礎力の充実」を図るのが良いと思います。



2次創作の場合、キャラクターデザイン自体はあるわけですから、客観的な絵の基礎力が上がれば出来上がった絵もおのずとレベルアップしますしレベルアップすれば描く事も楽しくなり更にレベルアップを目指そうという気にもなるのではないでしょうか?。

「mustな感情で、、、」とおっしゃるのなら、いっそ1~2年デッサン教室のような所に通ってみてはいかがでしょうか?

「mustな感情で」好きな事をするより、mustな感情でmustな事をする方がまだ割り切れて気が楽だと思いますし、その人の才能や現在の技術レベルに関係なく1~2年学べば確実に基礎力はアップします。

本などで学ぶ事も出来ますが、基礎の部分に関しては習った方が確実に早くレベルアップできると思います。

その人の元々の才能の種類により、やり方はある程度変わってくると思いますので世の中の一般論はあくまで参考程度にし、自分にあったやり方をする事をお勧めします。

元々、デッサン力に優れた人がいる一方で色彩感覚には優れるがデッサン力は今ひとつという人もいます。この2人では勉強の重点がそれぞれ違ってくると考えます。前者は単なる「デッサン屋」になるのを避ける勉強が重視されるでしょうし、後者は色彩の才能を生かすためにある程度のデッサン力をつけるのが重視されると思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます!
もしよろしければ、この件についてもご意見頂きたいです。

確かに私は人に習った事はありませんでした…
デッサン教室には憧れます。
きっと基礎がなっていないと思うし、観察力も磨きたいので。
ただ私の頭は固くて、体を正しく書こうとすると
筋肉、骨格、パース、影、立体感等すべてを正しく書こうとしてしまいます。
なので何か書こうとするとペンが止まります。
(私は構造を気にして描く事を左脳描きと呼んでいます。)
まさか正確なものなんて描けないので、一時期これに陥って何も描けなくなりました。

もちろん構造を知る事は大事だと思います。
でもこういうことがあったので、これからデッサン教室だなんて体の構造を叩き込む場所に行ったら
また左脳描きスタイルに陥ってしまうんじゃ無いかと心配で、教室に憧れる反面、怖いんです。

構造を完璧に知って正確な絵が描けるようになっても
魅力的な絵(構造的に腕が細すぎたり長すぎたりおかしいが、惹かれる絵)
は左脳描きが働いて描けなくなるんじゃ無いかとか。
これはこれ、と割り切れれば良いんですが…割り切れる自信がありません。

お礼日時:2007/05/26 23:11

はじめまして、とあるところで創作活動をしている者です。



提案なのですが、今絵を描いている状況を、少し変えてみてはいかがでしょうか?
聴く音楽のジャンルを変えたり、描く場所を変更してみたり、自分のオリジナルのキャラクターを考案してみたりなど。
何も考えないで落書きをしてたりすると、それが意外と楽しく思えたりするときもあります。(棒人間やパラパラ漫画でも)
あとは一度絵を描くことを離れてみるのもひとつの手かと思います。
ほかの自分の趣味に手を出してみたりすると、意外と自然に絵が描きたいな~と思えるかもしれませんし。

質問文を読んで、ancomoさんはとても自分に厳しい方なのだとお見受けしました。
私は誰かに褒められるように頑張って絵を描くことも、上手な人を見て凹むこともどちらも大切なことだと思います。
自分の絵を認めてもらえるからこそ、褒めてもらえたりファンがついたりするのではないでしょうか?
プロの方でもアマチュアの方でも一緒だと思います。
自分の絵を好きになってもらえて、お褒めの言葉をいただいたり、ファンになっていただけて応援されるのは嬉しいことだと思いますし。
上手な人の絵を見て凹むというのが、どういう方向へ凹んでしまうのかはわかりませんが、
もし「悔しい」「上手でいいな、描けるようになりたいな」と感じるのでしたら、それはancomoさんのハングリー精神だと思います。
「絵の練習」だと思わないで描いてみませんか?
自分の中でどんなに下手でも、思ったとおりに描いてみたらいいと思います!
感動する心の表現が、きっともっといい絵になると思います!

うまく言葉になっていなくて申し訳ないです;;
私自身イラストを描いているとき、描きたくなくなったり描けなかったりなんていうことが山ほどありまして……(締め切りがあるときほどスランプです;;)
ですが今回の質問を読ませていただいて、私も頑張らなきゃ!弱音はいてる場合じゃないな!と考え直すことができました。(^^)
思うところはたくさんあるかと思いますが、お互い前向きに頑張りましょう!
長々と長文失礼いたしました。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

棒人間やパラパラ漫画を描いてみるのはちょっと楽しそうですね^^

一時期絵から離れて他の趣味に精を出そうと思ったのですが
ゲーム/漫画→背景やプレイヤーの体の動きが気になる。(この体勢だとここの筋肉が見えるんだーとか)
ネットサーフィン→友人も絵描きなので必然的に絵サイト巡り…
という事態に;
CMや電車の広告さえも意識し出す始末です。(コップ持つ手を凝視したりですとか)
違う趣味を作ろうと試みたものの、作ろうと思って作れるもんじゃないとわかりました。

素敵な絵を見ると「私もあんな絵が描きたい、描けるようにならなきゃ」って重たい気持ちになります~。
あまりにも重たい感情なので、上手な絵を見ないようにと逃げてしまったり。
逃げないで、素敵な絵こそしっかりみるべきだとは思うんですけどね…。

yotogi_yさんも調子のよい時と悪い時があるんですね。
創作活動に締切があるのは私の想像以上にお辛い事だろうと思います;
正直なぜこのQで考えを直されたのか不思議なんですが、
お役に立てたようで(?)よかったです^^

長文ありがとうございました!お気持ち嬉しいです!

お礼日時:2007/05/25 21:15

岡本太郎さんの本でもお読みになってみては??


上手にキレイになんてくそ喰らえという姿勢です。
生きることそのものがアートですよ

http://www.amazon.co.jp/%E8%87%AA%E5%88%86%E3%81 …
    • good
    • 0
この回答へのお礼

>上手にキレイになんてくそ喰らえ
わあぁうらやましい!
こういった論読んでいつも思うのですが
「熱い人」じゃないと個性を貫けないような気がします…
でもちょっと気になったので図書館で借りてみます♪
本のご紹介ありがとうございました^^

お礼日時:2007/05/25 20:45

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!