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出身は沖縄です。現在は関西地区に住んでいます。
私は、沖縄の人としての誇りを持っています。それに日本人だという誇りもあり日本に生まれて本当に良かったと思うくらい、愛国心はある方だと思っています。
ですが、どうしても「君が代」「天皇」に対してかなり抵抗があります。
どうしてか、と言われればはっきりとは言えないのですが、昔沖縄が日本人に色々されてきたという事実などがあるからかとも思います。
でも、日本が大好きで日本人として誇りがあると思っているのですがどうしても君が代が歌えず天皇を受け入れることが出来ません、それでよく本土の友達と言い合いになってしまいます。
戦争の事でも、周りの本土の人は沖縄戦での「日本のかっこよさ」を知ってる人や全く興味のない人はいても「どうやって兵士が死んだか」や「つらさ」を知らない人が多く、私はどうしてもそれに反発してしまいます。

歌えないことへの非難や「沖縄の人だから…」という諦めにも似た言葉が私にとって沖縄の人は「日本人じゃない」と言われているような気持ちになってしまいます。
沖縄の人は沖縄が大好きなのは認めます。でも、日本人だとも思っていると私は思います。
君が代や天皇を愛さなければ、それは愛国心とは言わないのでしょうか?

A 回答 (12件中1~10件)

ご質問の真意は「沖縄が太平洋戦争で多大な被害を浴びたことと、その結果の県民感情をもっと沖縄県民以外の人に理解してほしい」と言うところにあるように思います。

そのお気持ちはもっともなことであると個人的にも思いますが、それは質問ではなく意思表明ですので、回答するべき内容はありません。

>君が代や天皇を愛さなければ、それは愛国心とは言わないのでしょうか?

こちらの方について、「沖縄」に限定せず一般論として回答します。
個人の思想信条の自由として、君が代と歌わない、天皇を敬愛しないと言う行為は、当然許されると思います。但し、根拠を「個人の思想信条の自由」に置く以上、他人の思想信条に対しても最大限の敬意を払うことは当然です。

私の友人にカソリックの信者が居ます。彼は旅行等で皆と一緒に神社に行っても絶対に頭を下げたり柏手を打ったり賽銭を投げるような行為はしません。かと言って、友人達に対して、唯一絶対神はキリスト教の神のみであるとか、そういう議論を決してけしかけることもありません。友人達が参拝している間、できるだけ自然な形でそっと後ろに退き、参拝が終わるまで邪魔にならないように静かにそこで待っています。その姿勢には、自分の行動は、神道を敬愛する人たちの思想信条を決して否定したり蔑んだりする意図ではないと言うことを、十分に他者に理解させるだけの配慮に満ちています。

たとえ、個人的な人生経験や思想信条の理由で、君が代や天皇に大きな抵抗があったとしても、普段の場であなたにそう言う配慮ができていれば、あなたの思想信条を十分に受け入れるだけの寛容さは日本国内にまだ残っていると私は思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
私は県民感情を理解してほしいと思って書いたわけではないのですが、その様に感じられたのなら、ごめんなさい、そういう意味で書いたわけではなかったのですが…そういう風に感じとれる内容ですね。訂正します。
県民の気持ちはその県民にしか通じる事が出来ない、と思います。私も他の県民の気持ちは理解は出来ても通じることは難しい事だと思います。ので、特に押しつけるつもりもありません。
ただ、戦争などの「価値観の違い」にビックリはしました。沖縄で知っていて当たり前のことを知らなかったのが衝撃だったので(冷静に考えれば、知らない方が普通なのではあるのですが)それが文章に出てしまったのかもしれません。

貴重な意見、ありがとうございます。私は天皇や国歌を受け入れなければ日本人としてダメなのかと思っていました。
これからは自分なりに天皇や国歌との良い付き合い方を見つけようと思います。ただ、抵抗があるだけで嫌いと思っているわけではないということだけ主張したかっただけなのかもしれません。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/06/04 03:14

 愛国心があるからこそ、君が代が嫌いだという答えだってあると思いますよ。

もっとも沖縄の事を私は金喰い虫と認識していますから、あなたと価値観を共有はしていませんが。

> 勉強不足なのは認めますが、私自身のわだかまりをある程度無くしてから天皇について調べたいというのが私なりの意見です。
これはどうでしょう?わだかまりをなくすためにも学ぶのであって、そんなこといってたら、学ぶ機会など永遠におとずれないきがします。

 あと、ご多分にもれず被害者意識が強いようですが、本州に(しかも私も基地のそば)住む人間から言わしてもらうと、沖縄がいかに恵まれているかも考えるべきだと思います。山のような公共事業に優遇税制、昔は被害者かもしれませんが、今は金喰い虫です。そして、この優遇措置で甘い汁を吸い続けているから、第二次大戦の被害を声高に叫ぶのかと、疑いの目さえ持ってしまいます。
 それから、日本が戦争に走る危険性を声高に叫ぶ人が多いですが、日本が戦争に巻き込まれるほうがより現実的ではないでしょうか?そして昔と変わらず、沖縄が最前線なのです。本来沖縄の人こそ、現実的に戦争を防ぐ手立てを考えるべきなのに、逆の方向ばかり見ているのが、おろかに見えてしょうがありません。戦争で傷ついたのは沖縄だけではないのに、特別扱いがいつまでも続いています。
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色々な回答でほぼ結論が出ていると思いますが、意識を持ち歴史知識を持っている、それが平均以上と言う事では貴方は自分の事を誇っていいと思いますよ。


最近のテレビのアホ強調クイズを見たときに、誰も貴方が勉強不足という事は出来ないと思うし、君が代の「さざれ石の巌となりて・・」の部分が反魂歌であると言う説をどれだけの人が知っているか、それを知らなければものを言うべきでないのか、というのは違うと思いますよ。
かってオリンピックでの国旗掲揚・国歌斉唱で、表彰される米国のメダリスト自体が抗議した件がありましたが、個々人が皆違った「世界で唯一」な存在ですから、意見の違いがあってもそれが並存できるのが「良い国」と言う事だと思います。
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No.7 へのお礼:


> 私の意見です。

 知識が無い状態でどんな意見を持ったところで、価値はありません。そのことをちゃんと弁えましょう。

> 沖縄県民としても国家に貸しがある、とも思ってはいません。

 日本国に貸しがあると思わないのなら、それは誤りです。日本国が沖縄に偏重して国防のための犠牲を強いたのは単なる事実なのですから。それをどう平準化するかという点についてはいろいろと考えるべきですが。

> 過去の悲劇に固執しているつもりもありません。ただ、戦争か
> ら多くのものが学べたとは思います。

 つもりなだけですね。
 現実に今の問題点よりも過去のごく一面に拘泥しているわけですから、あなたの主観的な自己認識とは全く関係なく、あなたは過去の悲劇に固執しているし、それを偏重して捉えています。従って、そこからの学びの中には現実の問題を解決する知恵はまず無いでしょう。

 繰り返しますが、知識が無い状態で何を思おうと考えようと、意味が無いのです。
 猿候捉月という言葉が、そのまま当てはまりますね。
 耳に痛い意見に対し、自己正当化に汲々とするのではなく、まず素直に知識をつけることに努力しましょう。
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未だに本州のことを内地といってしまう関西在住の元道民です。


意味合いは違いますが、今でも沖縄の人も本州や九州のことを内地とか本土とか呼ぶのでしょうか?

愛国心とは、風土や文化を含めた種々雑多な「国」という、一種ぬえみたいな存在を愛する、ということであると解釈しています。決して「国家」ではありませんし、文化や風土全てを愛する、などということでは無いと思います。「国家」を否定する愛国心もありだと思っています。

例えば私は関西の気候風土はどうしても好きになれませんが、さりとて愛国心がないといわれるのは心外です。また、人形浄瑠璃が好きな人は日本中集めてもそう数は多くなかろうと思いますが、それ以外の人に愛国心がかけているとは言えないと思います。

同様に、国旗・国歌にたいして良い思いを持っていない、ということを以て愛国心が欠如している、というつもりはありません。多分、皇室を容認している人は多いでしょうが、愛している人は少ないでしょう。

例えば悠仁親王のお名前を正確に読めない人の方が多いでしょうし、君が代が歌えない人も多いですしね。



が、ね。

外国人の人、特に欧米諸国の人は、これは文化の違いなのですが、国旗・国歌が国の象徴なのです。これらに対して悪い感情を持つ=国家そのものを否定する、という意味に捕らえる可能性は小さくないです。特に関西は世界陸上などで外国人が多く集まる関係上、好むと好まざると、そう見られてしまう、という事にも理解は必要です。

日本国内(日本人内)では問題はない(国歌否定愛国心ありが認められる)と思いますが、一歩海外へ出る(又は海外の人間の目から見る)と国歌否定=愛国心なしに見られる可能性は小さくない、ということは、理解しておいてください。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
「本土・内地」のそれ以外の言い方が思いつかなくて、どうしても使ってしまいます。差別に感じる方もいるという事なので、控えたいとは思っているのですが…使いなれている所為か言ってしまいます。

はい、私も外国の方と交流を持った時に文化の違いを感じました。国歌が歌えない天皇が苦手であるという事に疑問を持ったのもそれが一番のきっかけです。
歌えない方というのも多いのですか……それにはちょっとびっくりです。やはり沖縄は離れているせいか本州の方と常識のギャップを感じることが多々あり、これから本州の事を知って自分なりの愛国心の意味を固めたいと思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/06/04 02:58

> 君が代や天皇を愛さなければ、それは愛国心とは言わないのでしょうか?



 愛国心の定義はそんなものじゃありませんよ。

 ただね、あなたが「本土の人が沖縄について知らない」と言う以上に、あなたは天皇や君が代について知らないんじゃないですか?
 君が代の歌詞の原典がどこにあるか、ご存知ですか?
 あのメロディーは誰が作曲したのか、ご存知ですか?
 天皇が国際社会で位置づけられている序列を、ご存知ですか?
 世界の王室・皇室と比べたとき、天皇家の歴史の長さのランキングをご存知ですか?
 天皇が権威を持つ論拠を、ご存知ですか?

 思いつくままに上げましたが、要は、あなたの知識不足により被害者意識が偏重しているという問題だと思われるということです。

> 「どうやって兵士が死んだか」や「つらさ」を知らない人が多
> く、私はどうしてもそれに反発してしまいます。

 戦争という巨大なイベントを切り取れば、つらいシーンくらい幾らでも見つけられます。で、だからどうしたというのでしょうか。戦争においては、どちらも勝たなければならないのですから、文字通り必死になります。
 そして、あなたは気づいていないようですが、米兵だって死にたくなければ怪我をしたくも無いのです。圧倒的に物量が上回った状態での勝ち戦であれば、なお更です。
 そんなときどうするか。確実に遠いところから敵を潰していく手法に出ます。やられる側からすれば、おおざっぱに言えば手も足も出せずにジリ貧へ追い詰められるわけです。
 単にそれだけの、戦術的選択の結果にすぎません。しかも、所詮過去の話です。

 沖縄にとって「日本」という国家に対する貸しがあるとしたら、そんな話でありません。基地問題を地主の利権化し、自立できない環境に置いてスポイルしてしまった点でしょう。
 この問題は、今現在の政府方針の問題であり、今「日本」に解決を問わなければならない問題です。にもかかわらず、分かりやすいとは言え所詮は過去の戦術レベルの悲劇に意識が行くのも、知識が無いからです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
私は、愛国心とは人それぞれ一体どういう意味のものかという意見を聞きたかった為に質問をしました。
「沖縄を知ってほしい」と強く思っているわけではありませんし、被害者だとも思っていません。県民として知ってほしいとは思っている節はあると思いますが、戦争に対しての「価値観」の違いにまた歴史を繰り返すのではないか、という不安を感じているというのはいうのが本音です。

天皇を苦手に思っていても天皇陛下個人を嫌っているわけでもありませんし、歌には色々な意味の説があってどれが本当の意味なのかはわからない、という感じがします。
勉強不足なのは認めますが、私自身のわだかまりをある程度無くしてから天皇について調べたいというのが私なりの意見です。
天皇や国歌を廃止という気持ちもありません。国民としてそれはどうなのか、と疑問に思ったからこそ質問しました。

それに米兵を嫌っているわけでもなく、基地に対しては正直これが妥当なのではないかと思っています。沖縄県民としても国家に貸しがある、とも思ってはいません。
過去の悲劇に固執しているつもりもありません。ただ、戦争から多くのものが学べたとは思います。それを過去のことだと流すだけにはしたくないというのが私の意見です。
乱文申し訳ございません。ありがとうございました。

お礼日時:2007/06/04 02:48

愛国心よりも愛郷心が優るのは自然なことです。


それと国家の概念とは、人が思ってるほど簡単なものではなく
多くの人がわかったつもりでわかっていません。
共通認識、あるいは常識と思っていることが
実は常識ではないということはままることです。
日本人の多くは国家を正しく認識しておらず、
空気かなんかと同じようにしか感じていません。
中国やロシアのようなかつての全体主義国家で国家に依存する人々の考えや、
アメリカのようにことさら(ホワイトアメリカ的価値観への)忠誠心を
口にする文化とは、かなりカルチャーギャップがあります。
それらとは比べるべくもありません。

またこの国は自由の国です。日本国憲法は基本的人権と自由を認めています。
あなたが国歌や天皇制を嫌っていても、
反乱や政府転覆でもを図らない限りは、それは”自由”です。
公共の福祉に反しないあらゆる行動・思想は自由なのです。
だからあなたはあなたなりの考えで、国を捉え、
あなたなりの愛国心をもてばそれでいいんです。

沖縄戦についてですが、日本人の多くの”無知”は
しょうがいないところでしょう。
何しろ歴史に対して一般的認識が低いので、
沖縄戦以外についても、ほとんどの日本人はよく知りません。
歴史を知らない人間がこうも多いから、
たわいも無い内容でも、クイズ番組その他が成立するのです。
沖縄戦の記憶について人々はもっと知っておくべきだという
考えはよくわかりますが、
さっきいったようにこく国は自由の国なんですから、
無知な人間に強制することはできないのです。
偏見や定見がないような人々もそれらの(例え愚かでも)立場を
容認するのが、自由の代償というべきものでしょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
歴史関係は本当に知らない方が多く、私にとっての当たり前、だった事が当たり前ではなかった事に凄く動揺していました。
戦争が何故いけないのか、という意味が理解出来ていないような気がして「また、戦争が起きるのではないか」と不安でいっぱいになって焦ってしまいました。
自由の代償…その言葉がとても身にしみました。
これからは自分なりに国について考えて気持ちに決着をつけたいと思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/06/04 02:20

出身は佐賀で今、沖縄で働いてます。


私は君が代を小学校からずぅ~と歌い続けてきました。歌詞の中に祖父の名前「岩男」があったので大好きでした。君が代の意味を知らず、また興味もなく育ちました。
今ではまともに歌えるか微妙な日本人18歳です。
天皇を愛してると聞かれても、「いや特に・・・」と返事してしまいます。愛国心=国歌、天皇という考えがピンときません。

私の中に愛国心とわ?と初めて浮かんだのは小6年生の時です。
私の小学校は6年生になると、長崎原爆資料館へ戦争を学びに行きます。又この時期は戦争資料館という教室が設けられて世界各国の戦争の資料、長崎、広島の写真資料が並びます。国語の授業は毎日戦争映画、戦争アニメなどが続きます。国語の先生が戦争に詳しく、どうやって殺し合いをしたかなど事細かく話されたのを覚えてます。
それから私は戦争に関する資料を見れません。見すぎたせいだと思ってます。その時思ったのは人間の怖さ、そして世界中の人にこの事実を見て知って、戦争で解決策を見出すのではなくて、手と手を取り合い助け合う気持ちを持ってほしいと真剣に思いました。

愛国心とは、日本の汚い部分、綺麗な部分、全部を受け入れて初めて言える言葉だと私は思います。

私は愛国心があります、でもずぅ~と改善されず醜い部分が存在している事が悲しいです。
せっかくの綺麗な部分が台無しになってると思います。

回答が的を得てないかもしれません。
その時は申し訳ありません・・・。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
沖縄県民は毎年戦争の勉強をしていたので、それを当たり前に感じていました。君が代や天皇も意味は何となくしか分らず、大人の方はそれに目を瞑って生きていつような気がしていました。今も正直、天皇や君が代をちゃんと把握できているかわかりません。
私も汚い部分も含めて受け入れての言葉だと思います。ただ、それをあまり人に言った事がなくて、本土に行って初めて「君が代」を歌わなければならない、という状況に戸惑ってしまいました。
とても参考になりました。ありがとうございます。

お礼日時:2007/06/04 02:14

あまり確証のある定説がないので私見で答えさせていただきます。



まず、初めに言っておきますが私はこの歌が「好き」です。
詩の意味云々を省いてよりも荘厳な曲調、明治より続く伝統的な歌(実質当時から国歌だった)であるこの歌が好きです。

洗脳されてかわいそうに、などと思うのならば嘲られても構いません。私もその相手を固定された観念の持ち主だと笑うので。


また、問題にされる『君が代は千代に八千代に』とある『君』の意味ですが、これ事体も意味が曖昧で、
「天皇」を指すという見解が大半ですが、字面どおり「君、あなた」の二人称を指す場合があります。
江戸時代にも既にこの詩は結納賛美歌として使われていたため、後者として使っても全く問題はないと思います。

せっかく日本には「思想の主義」という非常にありがたいものがあるので、このあたりは自由にとった方がよいかと。
後者としてとるのなら『みんながずっと幸せでいられますように』とでもとるし、
前者としても日本国憲法で天皇は日本の象徴、となっているので天皇=日本ととれば『日本が永久に続きますように』ととれるので、別にこちらも何の問題もないと思います。

無理やり『戦時の天皇を崇めよ』と詩の意味を強制されたのならばこれは反するべきですが、
このあたりをどう取るかは質問者さんにお任せします。


あと、天皇についてですが、賛否両論が激しいのは承知で私は現在の天皇が「好き」です。
現在の天皇と戦時以前の天皇はほとんど別物でありますが、やはり日本の象徴という立場は変わりませんし、海外でも要人との交流など精力的に活動なされています。
戦時以前の天皇制は「思想の自由」によってもう既に崩壊しているのです。今の君が代に軍事体勢を叫ぶ意味はありません。

ただ、天皇家の人の選択の自由幅が狭いというのはかわいそうだとは思いますが……


まあ、何が言いたいかと言うと、愛国心は気持ちの問題ということです。
日本に誇りを持つあなたは立派な愛国者ですよ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
私は、君が代と天皇にどうしても抵抗してしまいます。
君が代、は沖縄では長くタブーとして扱われ続けていたので学校では習っていません。それでTVなどの影響が多く、その歌の意味が明確に分っていないのも事実です。
私自身は、天皇陛下は個人として嫌っているわけでもなく寧ろ好意的に思っているのですが、どうしても「天皇」という言葉が気持ち的に受け入れることが出来ないと思っています。

今まで話を聞いた方が、天皇に妄信的に感じてしまってどうしても受け入れることが困難に感じていいましたので、こういう意見もあるのだな、と分ってとても嬉しく感じました。

天皇や君が代を受け入れる事が出来るかは分かりませんが、自分の愛国心を貫きとおせれば、と思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/06/04 02:07

愛国心=天皇崇拝ということではありません。


今の日本は民主国家であり、国民それぞれ様々な考え・思想があり、また、現行憲法もそれを保証しています。愛国心の定義を一義的に決めることは誰にもできないはずです。
国を愛する点では同じでも、天皇の権限拡大を求めている人もいれば、天皇制を廃止しようとしている人もいます。
要は、それぞれがそれぞれの形で国を愛し、公共の利益に反しない程度に行動することが本当の愛国心なのじゃないでしょうか。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
最近、教員などが国歌を歌わなかったということで免職になったりしたというニュースを見ていたので、過剰に反応しすぎていたのかもしれません。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/06/04 01:53

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