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黄道十二星座といって、黄道が通る12の星座が特定されています。今の知識であれば、天の赤道に23.5度傾けて黄道を描くことができると思いますが、昔の人は、どうやって太陽が通る場所の星座を確定したのでしょうか。太陽が通る昼間は、星座が見えませんが。

A 回答 (2件)

太陽と正反対のところに位置する星座を調べたのだと思います。

それをちょうど半年後の太陽の位置と考えるのです。

東西方向(赤経):真夜中の12時(正確に言うと太陽が沈んで翌朝昇ってくる時刻の真ん中)に南中する位置のちょうど180°(12時)ずれた位置に対応する赤経。

南北方向(高度、赤緯):太陽の南中高度の、天の赤道を挟んで反対の位置に対応する赤緯。

地球の公転軌道は真円ではありませんので、正確な計算は難しかったでしょうね。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。

星座を整備し、それから太陽の位置を記録しておいて正反対に位置する星座上に描くことになると思いますが、どうしてこのようなアイディアが生まれてきたのか不思議です。中国では24節句はあっても、このような考えはなかったような気がします。

お礼日時:2007/08/04 20:26

エレガントな宇宙を読んでいる割に、


質問内容はあまりエレガントではないようですね。

この本を教程とするのは問題がありますよ。

昼は太陽は高く、夜は月は低い。
昼は太陽は低く、夜は月は高い。
挙句、月が東西遠くに惑星を引き連れていれば線はおのずと引かれるでしょう。(白道ではありません。)

メトン周期は紀元前に発見されています。
これを利用すれば200年で1日しかズレない太陰暦が出来ます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%88% …
平安時代の暦は夏に雪が降る。これは話半分に聞いておきましょう。
勉学の妨げになります。

西洋占星術は極めて発達していました。
太陽の位置や惑星の位置は極めて正確に把握していたようです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%A0%E6%98%9F% …

数学も発達していました。
中世には既に円形をした機械歯車式の惑星運行計算機もあったようです。

また、間違いながらも、天動説での惑星運行の順行、逆行も理論的に説明されていました。
「天動説ではこれは説明がつかない。」は大きな誤認です。

プトレマイオスの惑星理論です。
http://kakuda.ed.niigata-u.ac.jp/semi/java/progr …

古代メソポタミアからの観測による観測学の進歩、数学の進歩などが理由に挙げられます。

観測から、南中角度の狂いを解けば、恒星と惑星の区別がつきます。

ニュートンやケプラーが良い例で、はるかに昔の人です。
昨日出来た学問ではありませんし、
昔の人を今生きている現代の人間が嘲笑出来ると思った事は一度もありません。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。

現代人は、今の知識・理論で解釈するため、なかなか昔の人が考えた方法を後追いするのが難しい気がします。

お礼日時:2007/08/04 20:32

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